番外編 月が見えない夜だとしても
山ほどお団子を用意して、ススキを飾って。来たる中秋の名月、オレはもうこれ以上無いってぐらい、気合いを入れてお月見の用意をしていた。
もちろん下心はありありだ。いわゆる「月が綺麗ですね」ってやつをやるためである。
最初に言ったのは夏目漱石だったっけ? え、デマだっけ? あんまり詳しくないけど、とにかく最近ではすっかり遠回しな告白の代名詞になってるフレーズの一つだと思う。
何よりちょっとかっこいいし、ロマンチックだし。
で、こういう言葉をあの檜山さんが知らないわけがない。つまりオレがぽつりと言ったらバシッと意図が伝わって、後はなんかこういい雰囲気になるんじゃないかなーとか思ったりしたのだ。
とまあそういう理由で、オレは檜山さんとお月見をしつつ「月が綺麗ですね」を繰り出そうと考えていたのだけど……。
「曇りー……」
生憎の空模様を見ながら、二階の窓にもたれて呟く。月どころか星の一つも見えやしない。そんなサービス精神極悪の天気を眺め、オレは手にした月見団子をまた一口食べた。
「だから言ったろー?」
その後ろで、お月見に付き合ってくれている檜山さんがため息をつく。
「明日は雨が降るから今日は曇るって。ほら、そろそろ窓閉めよう? 虫入ってくるよ」
「大丈夫です。全部オレが食い止めます」
「さすがに難しいんじゃないかな……」
「月ー……」
未練がましく空を見上げて、残り少なくなったお団子をまたつまむ。大量に作ったような気がしたのに、食べてみればあっという間に無くなってしまった。月もそうだけど、こっちも悲しい。
「いや、本当にめちゃくちゃあったからね? ひとえに君が食べまくって減っただけだからね?」
「ぐすっ……ススキって食べられますかね」
「ヤケにならないの」
「うう、せっかくのお月見なのになぁ」
「そんなに楽しみにしてたの?」
檜山さんが不思議そうに言う。……そりゃあ、檜山さんからしてみれば、オレは月見団子にさえありつけば幸せな人種に見えるんだろう。確かにその見解は間違ってない。でも、檜山さんの恋人になれた今は違うのだ。
念願の「月が綺麗ですね」を言った時、檜山さんがどんな反応をするか。オレは、それを見てみたかったのである。
「……弱ったなぁ」
そうして半泣きで窓辺にしがみついていると、ふいに頭を撫でられた。驚いて振り返ると、すぐ近くに檜山さんの顔があってドキリとする。でも、彼の視線はオレに無い。
空を見ているのだ。
「じゃあ、こう考えるのはどう?」
優しい檜山さんの声が、耳のそばに落ちる。
「たとえ曇ってたって、月はそこにある。見えない月を恋い慕うのも、立派なお月見だって」
「み、見えない月を……?」
「雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。……雨の中で月を思うのも、家の中で春を知らずにいるのもまた風流。徒然草だよ。習っただろ?」
「い、言われてみれば」
「うん、覚えてて偉いね」
オレの返答に檜山さんは嬉しそうに微笑んで、また空を見上げた。
「だからこうして残念がるのも、ちゃんとしたお月見だと僕は思うよ。雲の向こうにある月を思って、心の中にある月を見る。月の無い空に喩えて、歌を詠む。今日は中秋の名月だなぁと思い、お団子を食べる。ね、どれも立派なお月見だ」
「そっかぁ。そう言われてみれば、そうかもしれません」
「ふふ」
くしゃくしゃと髪を撫でられる。こうされるのは子供っぽくて恥ずかしいけど、一方で嬉しい気持ちと安心する気持ちがない混ぜになって、どんな顔をすればいいか分からなかった。
「……だけど、考えてみれば片想いのような話だよね」
「え、片想いですか?」
「うん。だってほら、どんなに団子を丸めて歌を詠んだ所でさ。月は僕らのことなんざ、全く気にも留めやしないだろ?」
檜山さんの目は、まだ空を見ている。その瞳が、切なそうに細くなった。
「――僕らは、月がどんなに隠れていても恋焦がれるのにね」
「……」
動悸が激しくなる。顔が熱くなる。檜山さんの言葉は、オレの予想したどんな言葉よりも強く胸を締めつけた。
“月がどんなに隠れていても、恋焦がれるのに”。
勘違いでも、思い込みでも、深読みのしすぎでも。全然ドキドキするのが、止まらない。
――檜山さんは、オレがどんなに見えなくなっても、ずっと好きでいてくれるんだろうか。
「え、なんか熱い」
そしてすぐバレた。そりゃこんなに近かったから無理ないよね。
「大丈夫? めちゃくちゃ顔赤いけど」
「だ、大丈夫です! たいしたことないです!」
「そんなわけないだろ、すごく熱いよ。えー、夜風にあたりすぎたかな。早く窓を閉め……」
「大丈夫ですって! ただの蚊ですから! 顔中刺されまくっただけですから!」
「一大事だよ!!?」
それから問答無用で担ぎ上げられ風呂場へと直行し、頭から冷水を浴びせられることになったオレである。檜山さんは頭いいはずなんだけど、時々よくわかんない嘘に騙されます。オレは心配です。
でも、こっちもそれどころじゃないぐらい檜山さんの言葉にやられてしまっていて。全然、顔の熱は引かなくて。この人には一生勝てないだろうなぁと思いながら、オレは檜山さんから押し付けらた氷嚢をほっぺに当てていたのだった。
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