2 鳥山石燕、最後の妖怪画集

「鳥山石燕――といえば江戸時代、いや日本を代表すると言っても過言ではない浮世絵師のことだね」

「そう、だからこの本は……」

「彼の代表作といえば言わずもがな妖怪画シリーズ。『画図百鬼夜行』に始まり『今昔画図続百鬼』『今昔画図百鬼拾遺』と続き、『百器徒然袋』に終わるもの。しかし妖怪画という一方でその描き方はおどろおどろしく恐怖心を掻き立てるようなものではなく、従来の百鬼夜行絵巻に見られるようなどこかコミカルで親しみやすい妖怪として描かれている。間違いなく妖怪画の歴史においてターニングポイントとなった一人であり、当時の人達は勿論、今日の日本にまで妖怪の在り方に影響を及ぼしている……」

「うん、そう、だからその鳥山石え……」

「しかしその生涯の多くは謎に包まれている。ただ妖怪を描いただけではない、多方面に渡る知識や巧みな風刺が織り込まれていることから鑑みるに、恐らくその背景には」

「俺に話させて檜山」


 止まらなくなってしまった檜山さんに、とうとうつかさがストップをかけた。檜山さんはまだ話し足りないようだったけど、素直に口をつぐんだ。


「……さっきの檜山の話に被せるわけじゃないけどね」


 そしてやっと語り手に戻ったつかさは、本をオレらに見えるよう持ち上げる。


「鳥山石燕の妖怪画シリーズは、『百器徒然袋』で幕を下ろしたとされている。だからもし、この『新百鬼夢語』が本物となれば、文句無しの大発見ってことになるんだ」

「え……じゃあ実際に本物かどうかはまだ分からないの?」

「うん。曰く付きの本だからっていうんで長く秘匿されてて、鑑定もしてないんだってさ」

「怪しいなぁ」

「そりゃ呪いの本なんだから」


 そう言うつかさの目に好奇心の光が輝いているのを見たオレは、「またつー君の悪い癖が出てるなぁ」とうなだれた。

 弟は、オレよりもずっと頭が良く、またリアリストである。けれどそんな面がある一方で、とんでもないオカルト好きだったのだ。

 しかも、ただまるごと信用するだけでは飽き足らない。その頭脳と行動力でもって、人の手が一切入らない正真正銘の怪異を探し求めているのである。

 ――もっとも、常にそれに付き合わされる大和君はたまったものでないが。


「僕は何度も手放せって言ったんですけどね」

「聞きゃしなかったんだろ。わかるよ」


 ため息をつく大和君に全力で同情する。なんかもうほんと弟がごめん。

 一方檜山さんは、つかさが持っている本をしげしげと眺めていた。


「……見た所、だいぶ年季の入った本のようだね。これは誰から預かったの?」

「言わないようにと言われてるけど、担任の紫戸(しど)先生だよ」

「言っちゃった」

「この俺に口止めを要求する方が愚かなんだよ。俺は必要だと思ったことは迷わず言うぞ」

「まあつー君はそういう子だよね」

「んんん、読んでみたいなぁこの本。つかさ君、ちょっと見せてもらっていい?」

「どーぞ」

「ありがとう」


 呪いの本だというのに、揃いも揃って物怖じしない二人である。檜山さんはつかさから本を受け取ると、躊躇うことなくプラスチックケースの蓋を開けた。

 その手には、いつのまにか手袋が嵌っている。彼は風呂敷を敷いたカウンターの上に静かに本を置くと、表紙に手を乗せた。


「……ふむ」


 丁寧な手つきで頁をめくる。しみだらけの紙の上に、筆で描かれた絵が現れた。


「……前置きは無いね。ぱっと見刊行年月も書かれていない。もしかして正式に出版されたものじゃないのかな」

「え、じゃあ偽物……?」

「いや」


 檜山さんは、大きな眼鏡を持ち上げて直した。


「“おどろめ”。この妖怪の名も姿も、僕は聞いたことがない」


 描かれたるは、机の下からこちらを覗く大きな目をした芋虫の妖怪。上部には、くずし字でぐねぐねと三、四行何か書かれていた。

 しばらく檜山さんは、黙ってページをめくっていた。が、突然ガバッと顔を上げる。


「つかさ君! この本借りてもいい!? 一晩だけでいい、みっちり調べたいんだ!」

「嫌だ」

「そこをなんとか!」

「まだ呪いの検証ができてないし、そもそも檜山のお願いを聞くのが嫌だ俺は」

「じゃあせめてこの本を貸してくれた先生の連絡先を聞かせてくれ。君の次に借りる約束を取りつけたい」

「どうしよっかなー。兄さんと交換ってのはどう?」

「困る」

「ならダメ。土に還ってろ」

「コラつかさ!!!!」


 とうとう大和君からゲンコツが飛んできた。弟は背が高く基本的には優等生なので、誰かに叩かれている姿を見るのはとても新鮮である。

 頭を押さえて口を尖らせるつかさを尻目に、大和君が檜山さんに向けてスマートフォンを差し出した。


「つかさがすいません。これ、紫戸先生の連絡先です」

「ありがとう。早速控えさせてもらうね」

「はい。それとアイツすげぇ飽きっぽいんで、多分明後日ぐらいには本を返却してると思うんですが。もしそうなったら、僕から檜山さんに連絡しましょうか?」

「あ、ほんと? 助かるな」


 大和君と檜山さんの間で、にこやかなやりとりが繰り広げられている。他方、つかさはちょっと拗ねたのか、オレの服の裾を引っ張って甘えてきた。

 兄として、大和君にはたかれた所を「よしよし」と撫でてやる。何故なら今のオレはご機嫌だった。さっき檜山さんが、オレと先生の連絡先を天秤にかけてオレを選んでくれたからね。嬉しい。


「ところで、さっきよく事故が起こるようになったって言ってたけど」


 そして先生の連絡先もばっちり書き留めた檜山さんは、改めてつかさに目を向けた。


「具体的にはどんなことが起きたの? それこそ怪奇現象に近かったとか」

「いや、そんなんじゃないよ。つーか事故ってほどでもないな。ただなんとなくツいてないだけで」

「ツいてない?」

「上から植木鉢が落ちてきたり、階段降りてる時に後ろからぶつかられたり。あとは、跳び箱の踏切台が壊れたりとか」

「なるほど」

「どれも大したことじゃないんだけどね。本を手に入れてからそれが顕著だから、それと関連付けた大和君が呪いかもって心配してるんだ。ね? 大和君」

「そ、そりゃな。いや普通じゃねぇだろ、踏切台が壊れるとか」

「とはいえ、この本とこれら事故に因果関係があるかどうかはまだ不明だ。もっとデータを取らないと」

「いや、それより先に呪いが本物だったらどうするんだよ。植木鉢だって、落ちた場所がお前の頭だったら死んでたかもなんだぞ?」

「それは別にいいよ。むしろ呪いに負けて死ぬなら本望……ぶぇっ!!」


 狭い店内でつかさの姿が消える。とうとう堪忍袋の緒が切れた大和君が、弟に強烈なラリアットを食らわせたのだ。

 ひっくり返されたつかさは、怒りのオーラが立ち上る大和君を見上げ大いに慌てていた。


「や、大和君!? どしたの!?」

「どしたも何も……! こっちは気が気じゃ無いってのに……!」

「なんで!? ……あ、糖!? もしかして糖が足りてない!? オッケー、コンビニでおにぎりかプリン買って補おう! 手持ちが無くても気にするな! 俺のが年上なんだ、奢ってあげるよ!」

「自分に都合が悪くなった途端に年上ぶるのやめろ! いい加減にしろよお前!!」


 掴み合いの喧嘩が始まってしまった。兄として急いで割って入らねばと思ったけど、オレが行く前に檜山さんが動いていた。

 素早くつかさと大和君の腰に腕を回し、いとも容易く持ち上げる。そしてそのまま彼は店外へと歩いていき、ぽいと二人を下ろした。

 一度店内に戻り、プラスチックケースに戻した本をつかさに渡す。それからぽかんとする二人に向かって、彼は人差し指を唇に当ててみせた。


「店内では、お静かに」

「……」

「……」


 ――檜山さんは、相手が誰であろうと、大切な本を害する者は決して許さないのであった。

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