3 本気
「すいません、檜山さん。弟たちがやらかして……」
「いや? 久しぶりに会えて嬉しかったよ。今度来てくれた時は、上がってもらってお茶でも飲もうね」
本に被害が無かったからか、檜山さんはいつも通りニコニコとしている。本当に気にしてないみたいだ。
……それにしても、男子高校生二人をあれほど簡単に持ち運んでしまえるなんてすごい力である。とてもそんな風には見えないのに。
不思議に思って尋ねると、檜山さんは袖をめくって力瘤を見せてくれた。
「こう見えて毎日筋トレしてるよ。一時ジムにも通ってたし」
「え、そうなんですか!?」
「うん。そっちの方が色々と効率もいいからね」
「あ、本とか重いですもんね」
「そうそう」
かっこいい。でもそれ以上に自分の非力が恥ずかしくなってきた。オレなんでこんなんで檜山さんのボディガードになれると思ったんだろう。
とりあえず、今日から筋トレを頑張らねば。そう人知れず心を決めたところで、檜山さんはメモを取り出しどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし、突然すいません。当方、古書店『現世堂』の店主、檜山正樹と申しますが……」
恐らく相手はつかさの担任の先生だろう。早速本を借りる手筈を整えているのだ。
「……いえ、本を買い取りたいというわけではありません。あまりにも興味深い本だったため、ぜひ一度拝読したく思いまして……。はい、無論紫戸様がお望みでないのでしたら、他にも漏らさず……」
数分、檜山さんは説得を続けていた。相手はだいぶ渋っていたようだったが、「そこをなんとか」「口外はしませんので」「大丈夫大丈夫」と柔和な押しの強さを発揮し続け、ついに借りる約束を取りつけたらしい。電話を切った檜山さんは、オレに向かって親指を立ててみせた。
「やったぜ」
「やりましたか!」
「つかさ君が本を返したら、一度傷が無いか調べた後で僕に回してくれるらしい」
「でもその方がありがたいですね。良かったです!」
「うん。で、ついでに今からどういう事情でそんな貴重な本が家にあったのか、直接話を聞けることになったんだけど……」
檜山さんがじっとオレを見る。どうしたんだろうと思っていたら、存外真面目な顔で尋ねられた。
「……慎太郎君、一つ聞きたいんだけどね。さっきつかさ君と話してた時に、うちに永住するつもりで来たって言ってたろ」
「え」
「あれ、どういう意味で言ったか教えてもらってもいい?」
唐突な質問に、オレの思考は完全フリーズする。
――言った、っけ? オレそんな本音言いましたっけ? あ、そういやつかさに店の外に引っ張り出されそうになった時に口走った気も……。
……あわわわわわわわわ。
混乱して何も言えないでいると、それを察してくれたのか檜山さんはフッと柔らかく微笑んでくれた。
「ごめん、困らせるつもりは無かったんだ。ただ、どれぐらい慎太郎君が本気だったのか知りたくてさ」
「ほ、本気……?」
「うん。君が本気なら、僕としても中途半端なことをするわけにはいかないと思って」
「……!」
……え? それってつまり、オレの永住願望宣言に檜山さんが本気で対応してくれるって意味? でも、檜山さんはオレのことを弟としてしか見てないだろうし……。
――フラ、れる?
え、オレの想いに応えられないから、今ここでばっさりと断られるってこと? 一思いにやられるのオレ?
――現世堂から、追い出されるのかな。
恐ろしい想像に、じわじわと指の先が冷たくなる。鼻の奥がツンとして、今にも涙が滲みそうになって……。
「いやー、まさか君が古本に本気で興味があるなんて知らなかったよ。てっきり大学近くに僕の店があったからここに住んでるのかと思ってたんだ僕は」
「……」
「何、もしかして将来は学芸員とかそういうの目指してたりするの? だったら僕にも本気で応援させてほしいな。ああ、良かったらこれから一緒に先生のところへ行ってみないか? 一応先方には僕の助手ってことで説明してだね……」
「…………」
「ん? どした?」
――オレは、一瞬で涙が引っ込んだ。
「…………」
「おーい、慎太郎君?」
多分今、オレすげぇ顔してるんだろうな。
「……ナンデモナイデス……!」
「ナンデモナイ顔じゃない」
「ナンデモナイデスヨ……!」
「そ、そっか。それならいいんだけど」
「デモオレ、ヒヤマサンニツイテク……!」
「なんでさっきからカタコトになってるの?」
プルプルと拳を握りしめ、声にならぬ感情を抑えるオレである。一瞬マジでここで告白してやろうかと思ったけど、オレの心の中の臆病者達がこぞって押しとどめた。ちっちゃいオレ達が「だめーっ!」っつってた。
何はともあれ、檜山さんとのお出かけにオレが反対するわけもない。今日の天気予報では少し肌寒いとのことだったので、気を取り直したオレは彼の為に上着を取ってきてあげることにした。
彼がいつも着ている和装なんだか漢服なんだかよく分からない袖の広い服の上に、これまた袖が広めのアウターを羽織らせてあげる。自分が着てもちぐはぐになってしまうのに、檜山さんが着たらピタリと古本屋の店主に仕上がるのが不思議だ。
かっこいいなぁと思いながら襟を整えていたら、ふいに彼の腕が持ち上がる。そのまま後頭部に手が触れたかと思うと、そっと引き寄せられた。
トン、とオレの額が檜山さんの胸に触れる。
「!!!!?」
心臓が吹き飛ぶかと思った。
「なななななんですか!? どしたんですか!!?」
「……んー」
何が起きているかわからない。
一気に鼓動が激しくなる。檜山さんの匂いで胸がいっぱいになって、細い指がオレの髪を掻いて。
状況が飲み込めなくてパニックに陥りかけるオレの頭上に、静かで低い檜山さんの声が落ちてきた。
「……君が望むなら」
「はい!?」
「君が望むなら、一度家に帰っても良かったんだよ?」
「え……!? あ、つかさの件ですか!? いえ、オレはここでバイトしなきゃですから!」
急いで答えると、「いいや」と檜山さんが声を漏らした。首を横に振ったのが、髪の毛に伝わる感触で分かった。
「君が来るまで僕一人でやってこれたんだ。そこは心配無用だよ」
「だ、ダメですよ檜山さん! あなたオレが目を離したら普通に炊飯器のご飯三日放置するじゃないですか! ほっとけませんよ!」
「それもそっか」
「納得しちゃった!」
「……でも、無理しなくていいからね」
そうして、ぎゅっと一度頭を抱きしめられ。
「僕は、引き止めるつもりはないから」
「……」
そんな状態があとほんの五秒だけ続いて、オレは解放された。心臓はもう爆発しそうなぐらいドキドキとしていて、足なんか震えて生まれたての子鹿みたいで。
でも、気まずそうに後ろを向いて出かける準備をする檜山さんの横顔が、いつか見た時のようにひどく暗く沈んでいた。よりにもよって、そんなことにオレは気づいてしまった。
「……大丈夫ですよ」
だからつい、声をかけてしまったのである。
「オレは、ここにいたいですから」
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