第3章 新百鬼夢語

1 弟、登場

 嵐の前の静けさ、という言葉がある。けれど実際の嵐は、小雨が降ったり風が強くなってきたりして、ちゃんとその訪れを予期させてくれるものだ。

 ――そういう意味では、彼は嵐よりも手に負えない存在なのかもしれない。


「兄さーーーーん!! やっと見つけたーーーー!!!!」


 とある日曜日。今日も今日とて檜山さんと二人っきりの店番に浸っていたオレは、突如店内に響いた声に数センチ飛び上がった。

 急いで入口を振り返る。そこには、肩で息をする背の高い青少年の姿があった。


「つ、つー君!? なんでここに!?」

「探し当てたからに決まってるだろ! 兄さん、なんで俺に言わずに勝手に家出てっちゃうんだよ!? お陰でここ見つけるのに二ヶ月近くかかったんだぞ!」

「逆によくその短期間で見つけたね!?」

「大学から自転車圏内、かつ仕送りの金額と兄さんの使うだろう生活費を加味して大まかな住所を割り出した後はしらみつぶしだ!」

「すごい推理力と行動力!」


 少し癖っ毛な自分とは違い、サラサラとした髪。普段はむしろおっとりとした性格なのだが、何故かオレや友人のことになるとこうした過激派の一面が顔を出す。身内思いと言えば外聞はいいけど、身も蓋もない言い方をすればただのブラコンだ。

 彼の名は、つかさ。今年高校二年生になったばかりのオレの弟である。


「帰るぞ、兄さん! こんな空気の悪い所にいたら体悪くする!」

「だ、大丈夫だよ、ちゃんと換気してるから!」

「そういうことじゃねぇぇ!」

「どしたのどしたの」


 オレを店から引っ張り出そうとする弟に必死で抵抗していた所、ちょうどトイレに行ってた檜山さんが帰ってきた。オレ達の状況を見て首を傾げる彼だったが、すぐに合点がいったように手を叩く。


「いらっしゃいませ!!」


 お客さんじゃないよ檜山さん!!!!

 なんでだ、この人! 頭いいはずなのになんでこういう時だけポンコツになるんだよもう! そういうギャップも好き!!

 そしてブラコン弟もまた、檜山さんの存在に気づいたようである。


「檜山ァ……! よくもうちの兄さんを誑かしてくれたなァ……!」

「あれ、その顔もしかしてつかさ君? わあ、大きくなったねぇ」

「兄さんは連れて帰るからな! 今までお世話になりました!」

「最後に会ったのがもう十年ぐらい前だからなぁ。あの時は本当にちっちゃかったもんね」


 敵意を剥き出しにする弟と、元養育係の檜山さん。全く会話が噛み合っていない二人に挟まれたオレは、どうすべきか分からずあわあわとしていた。檜山さんに事情を説明すべきか、先に弟に檜山さんへの無礼を注意すべきか。迷っているうちに、つかさにぐいと腕を引っ張られた。


「帰ろう、兄さん! 檜山にどんな弱み握られてるか知らねぇけど、全部俺が解決してやるから! また家族みんなで一緒に住もう!」

「あ、いや、つー君! オレ好きでここに来てるっていうか、むしろ永住する気で来たと言うか!」

「ああ!? どんな薬物仕込まれたらこんな陰気な店に住みたがれるんだよ!?」

「薬物!?」

「まずは胃洗浄から始めるぞ! 大丈夫、金握らせればなんでもやってくれる病院知ってるから!」

「流石に多方面に失礼過ぎるだろ、その発言は! ちょ、やめ……!」

「つかさーーーーーーー!!!!」


 オレと弟がやいのやいのと言い合っていると、更なる声が現世堂に増えた。……ああ、この声の主も自分は知っている。


「げ、大和(やまと)君!?」


 戸口に立つ妙に色気のあるタレ目の男子に、つかさの顔が引き攣る。――そう、彼こそつかさの唯一の友人にして、オレと同じ彼の過激化対象の一人――高校一年生の大和君だった。

 が、何故かつかさはこの年下の友人に滅法弱かった。大和君はずかずかと店の中に入ってくると、いとも簡単にオレからつかさを引き剥がす。


「おばさんに言われて来てみりゃ、まーた慎太郎さんを困らせて! ブラコンも大概にしろっつったろ、このバカ!」

「でも、檜山が」

「檜山“さん”だろ!」

「……俺の兄さんを拐かすから……」

「違いますよね、慎太郎さん!」

「あ、うん、違う。オレの意思です」

「ほら見ろ! なんでお前はそうやって人の話を聞かないんだ! 頭いいんだろ!?」

「うん、檜山よりいい」

「檜山“さん”!!」

「……むうっ……!」


 あっという間に大和君に大人しくさせられた我が家が誇る猛獣である。シュンとなった弟の頭を無理矢理下げさせながら、大和君はオレと檜山さんに謝罪した。


「お二人共、つかさがご迷惑をおかけしてすいません。でも、慎太郎さんが家を出て行ってからの二ヶ月間、コイツもめちゃくちゃ落ち込んでて……」

「そ、そっか。それはごめんよ、つー君」

「『兄さんが俺を置いて家を出て行くわけない、絶対兄さんを誑かした奴を見つけ出して覚めない悪夢を見せてやる』って息巻いてて……。危険を感じた僕も常に見張るようにしてたんですが、ついにこのようなことに」

「お世話かけて本当にごめんね、大和君」


 家が近所なのと親同士の仲が良かったこと、何より本人の面倒見の良さにより弟のお目付けを担っている大和君である。申し訳ない。そしてオレもオレでこうなることがわかっていたので、檜山さんのことは言わずに家を出ました。大変申し訳ない。

 しかし我が弟ながら、相変わらず凄まじい推理力と執念である。そういや昔から、オレや大和君が玩具を無くしたり迷子になったりしたら、誰よりも早く見つけてくれてたもんな。基本的にすごくいい子なんだよ、うん。

 なんだかしみじみとしていると、とんとんと檜山さんに肩を叩かれた。


「ん、なんですか?」

「いつまで立ち話も何だし、上がってもらったら? 店番は僕がしておくから」

「え!? い、いいですよ、仕事中ですし! ごめんつー君、そういうわけだから、仕事が終わる六時ぐらいにまた来てもらっていい?」

「……そしたら、家に帰ってくる?」

「それは帰らないけど」

「シャーッ!」

「檜山さんに威嚇しない!」


 だって家に帰ったら、二度と出してもらえなさそうだもんな。全身の毛を逆立てんばかりの弟をどう宥めようかと考えていると、その隣で腕組みをしていた大和君が思い出したように「そうだ」と声を上げた。


「なぁつかさ。思いついたんだけど、もうちょいここにいたいってんなら僕らがお客さんになりゃいいんじゃねぇか?」

「え? ……ああ、もしかしてあの件?」

「そうそう。僕らじゃ本自体が本物かわかんねぇしさ、一度檜山さんに見てもらおうぜ」

「えー」

「頼むよ。……僕もつかさのことが心配なんだ」


 そうまっすぐに大和君に言われた弟は何やらもごもごとしていたが、やがて観念したように背負っていた鞄を下ろした。それからチャックを開け、中に入っていたプラスチックのケースを取り出す。

 保管されていたのは、紐で綴じられた古そうな本。それを手にして、つかさは言う。


「……これ、今俺が持ち歩いてる本なんだけどね。実は持ってるだけで不幸が訪れるっていう、呪いの本なんだってさ」


 呪いの本――という単語に、オレと檜山さんは顔を見合わせた。聞き逃すには、あまりに不穏な事件が立て続けに起きたばかりだったのだ。

 しかしそれには気づかず、弟は続ける。


「実際、これを手にした日から何故か俺の周りでよく事故が起きるようになった。幸い、全部未遂に終わってるけど」

「事故?」

「そう。……曰く、それらはこの本に封じ込められた妖怪が悪さをしてるからだという」


 つかさは、長い指を表題に沿わせた。


「この本の名は『新百鬼夢語(しんひゃっきゆめがたり)』――かの有名な鳥山石燕が遺した、最後の妖怪画集なんだ」


 檜山さんの眼鏡の奥の目が、訝しげに細まった。

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