7 丹波さん

 ――まるで、夢を見ているかのようだった。

 あれほど意味不明な事を言ってオレを殺そうとしていた男が、檜山さんの語り口には大人しく聞き入って。促されるままに本を閉じたと思ったら、途端に呆けたようになってしまったのである。

 夢……というよりは、一つの手品を見せられたかのような。


「うん、やっぱりあった」


 一方檜山さんは、カウンターの下に頭を突っ込んでいた。その手には小さな機械が握られている。


「それは……?」

「リアルタイム型の盗聴器。多分だけど、隣町の古本屋さんも同じように事前に仕込まれたんだろうね。そして、隙を突かれて殺された」

「……檜山さんが本の中身を調べたことも、それを通して把握されたんでしょうか」

「だと思う」


 なら、鵜路さんがそのことを知っていたのは、不思議でも何でもなかったわけだ。オレとしてはだいぶ怖かった点だったので、そこは安心した。

 でも、やはり気になることがある。


「……檜山、さんは」

「ん?」

「さっき……鵜路さんに、何をしたんですか?」


 尋ねてみて、すぐに自分が間抜けな質問をしてしまったと気づいた。何って、オレはその始終を間近で見ていたじゃないか。

 けれど彼は、オレの問いの本意を理解してくれたらしい。「んー」と首を捻ると、言葉を探しながら答えてくれた。


「多少語弊はあるけど、洗脳を解いた……と言えば、話が早いかな。もっと噛み砕くと、自分を本の主人公に投影した鵜路さんに、僕が現実を突きつけたというか」

「現実、ですか」

「うん。彼はVICTIMSの主人公である血溜まり男爵になりきっていただろ? 憧れ、投影し、同じ行動を取っていた。だから彼の目を覚ますには、自分は血溜まり男爵ではなく、鵜路恒男という人間なのだということを思い出させてやらないといけなかった」


 檜山さんは、手近にあったビニール紐で手早く鵜路さんを縛り上げている。……途中何故か自分の腕を縛っていたので、急いでオレが代わったが。


「人は自分好みの書を読んだ時、大なり小なりその世界観に呑まれる。啓発書を読んで、その日からそこに書かれた言葉通りに行動する人のように。決して悪いことじゃないんだ。けれど感受性が強い人や影響を受けやすい人は、文字を通して書き手の望むままの性格や行動に変えられやすい」

「……それに該当するのが、鵜路さんだったんですか。でも、まさかそれだけで人殺しまでするなんて……」

「そう。だからそこがおかしいんだよ」


 檜山さんはため息をつくと、鵜路さんの手から本を取り上げた。


「この本は、おかしい。執拗に殺人鬼を肯定し、美化し、読者を殺人へと駆り立てようとしている。まるで啓蒙書と宗教書と指南書を物語仕立てにしたような……ああ、勿論悪い意味でね」

「そ、そうなんですか」

「それでも、殆どの人はこの本を読んでもフィクションとして割り切るだろう。だけど、ほんの一握りの人は、様々な要因が重なって心の隙を突かれてしまうかもしれない」


 そして、今回起こったのはそんな悲劇だったんじゃないか。そう檜山さんは言った。


「加えて、この本は一般に流通しているものじゃない。……だったらいるはずなんだよ。本を、彼に巡り合わせた人が」

「……! なら、敢えて鵜路さんが狙われた可能性もあるってことですか!?」

「あくまで可能性だけどね」

「鵜路さん、聞いてました? どうです、誰が貴方にこの本を渡したんですか?」


 けれど、尋ねた彼はすっかり腑抜けのようになっていてピクリとも反応しなかった。それでもしばらく話しかけてみたけど、暖簾に腕押しだったので諦める。


「……でも、檜山さんはすごいですよね」

「何が?」

「あんなに上手く対応できたことがですよ。オレを助けて、鵜路さんを説得して。オレ、焦っちゃって通報すらできなかったのに」

「ああ、それはだって、以前にも……」


 しかし会話はここまでだった。パトカーのサイレン音が止まり、開けっ放しのドアから青い服を来た人がドカドカと数名入ってきたのである。


「警察です! 通報してくださったのは貴方ですか!?」


 その先頭に立っていたのは女性の警察官。まだ若く、長い髪を後ろで一纏めにした、吊り目がちの気の強そうな美人だった。

 そんな彼女に向かって、檜山さんは柔らかく破顔する。


「はい、そうです。お疲れ様です、莉子(りこ)さん」

「……やっぱり貴方でしたか。相変わらずのトラブル体質っぷりは流石ですね。お祖父様が心配されますよ」

「ははは、面目無いです」

「……」


 ……知り合い?

 やたら親しそうな二人の様子に、僕は檜山さんの服の裾を摘んでじーっと女性を窺っていた。するとすぐにその視線に気づいた檜山さんが、彼女を片手で指して紹介してくれる。


「彼女の名前は丹波莉子(たんばりこ)さん。お父様も警察官でね、僕のお祖父さんの後輩だった方なんだ。だから莉子さんとは子供の頃から交流があったんだよ」

「そうなんですか。初めまして、丹波さん」

「こちらこそ初めまして。……なるほど、貴方が噂の慎太郎君ですか」

「噂?」

「ええ。お話は時々正樹さんから聞いていましたから」


 ――正樹さん?

 今、この人正樹さんって言った?

 下の名前で、呼んだ?


 思わぬ衝撃にプルプル震えるも、しかし丹波さんが気づくはずもない。ぐるりと周りを見回すと、縛られてうずくまる鵜路さんに目をとめた。


「お電話では、自宅に不審者が侵入とのことでしたが。彼のことで間違いないですか?」

「あ、はい。もう抵抗はされないと思いますが、念の為縛っておきました」

「まったく、危ないことをされないでくださいよ。ええと、他に怪我や窃盗など被害はありませんか?」

「そうですね……。僕が駆けつけた時には、慎太郎君が鵜路さんに馬乗りになられて首を絞められていましたが」

「……は!? えええ!? 大事件じゃないですか!」

「あと、彼は恐らく先日殺された粟野敬之さんの事件にも関わっています。僕はさっきまで警察署にいて、その事件について相談してたんですけどね。それと照合してお話しさせてもらえれば……」

「え、えええええ!? ちょ、なんでそんなどエラい話をそんなのんびり言えるのよ!? と、戸田君! 至急この男を連行して!」

「それではお願いします。あ、僕も今から署とか行った方がいいですか?」

「だからなんでそんなに落ち着いていられるのよ!? ああもう正樹さんのそういうとこ昔からほんと嫌! ほんっと嫌い!! これ全部パパに言いつけてやるから!!」

「あ、それは困ります困りますやめて巡り巡ってじいちゃんとこに連絡がいくから待ってやめて」


 檜山さんのお祖父さんは元警察官で、めちゃくちゃおっかない人なのである。

 とにかくこうして僕らは、長い長い事情聴取をされることと相成ったのだ。

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