8 ひざまくら

 檜山さんと一緒に警察署に行き、怪我の有無や状況などの仔細を聞かれて。そうしてやっと解放された頃には、とっぷりと夜が更けてしまっていた。

 疲労困憊の体を引きずり、二人で牛丼屋さんに入る。だけど胸も頭もいっぱいだったオレは、特盛り一杯を食べきるのでやっとだった。


「いやぁー、いつ見ても慎太郎君はいい食べっぷりをするねぇ」


 檜山さんには褒められたけど、複雑である。だっていつものオレならこんなもんじゃない。もう一杯ぐらいいける。サラダも味噌汁もつけてる。

 そんなオレの気落ちは、自宅に帰り、お風呂に入り、布団の中に入ってからも続いた。

 檜山さんの家は、古書店と一体型になっている。一階はお店と檜山さんの住まいと倉庫。そして二階には、倉庫と僕の部屋がある。何でも昔は二階部分も本屋だったようで、床が抜けないようしっかり作られているらしい。

 暗闇の中、天井の木目を見上げる。何となく眠れなくて、オレはゴロゴロと寝返りを打っていた。

 ――鵜路さんは、これからどうなるのか。そもそも彼の身に何が起こったのか。彼に本を渡したのは誰? 本の著者は?

 『Read the air!』という奇妙なフレーズが頭の片隅をよぎる。そういや、あれだけどこかで見たことがあったんだよな。どこで見たんだっけか。

 布団を抱きしめて、深いため息をつく。分からないことが多過ぎた。かといって、オレが知るべきではない事柄である気もした。

 いや、もう鵜路さんは掴まったし、本も回収されたのである。だったら、事件は終わったものとして、オレは普通の生活に戻ればいいのだけど……。

 ……本当にいいのかなぁ、それで。


「眠れない?」


 突然の声に飛び上がる。振り返ると、闇の中でも目立つ白髪頭の檜山さんが引き戸を開けてこちらを覗いていた。

 そして、思い出したようにコンコンとノックする。遅い、遅いですソレ。


「ど、どうしたんですか?」

「なんか二階が賑やかだったから、来ちゃった」

「来ちゃったって……。すいません、うるさかったですか」

「ううん、僕も眠れなくてさ」


 そう言うと、彼はいそいそと入ってきてオレの隣に腰を下ろした。

 温度が、近い。檜山さんの匂いがする。さっきまでぐるぐると思い悩んでいた全てが吹っ飛んだオレは、心臓の音が漏れ聞こえないようぎゅっと両膝を抱えていた。


「……今日は、ごめんね」

「え、な、何がですか?」

「君を危険な目に遭わせて。僕も家に残るか、君を連れ出していればよかったのに」

「え!? いや、オレの自業自得ですよ! だってドアを開けなきゃ、鵜路さんは入ってこなかったから……!」

「どうかな。彼は店内に盗聴器をつけてたし、いずれにしても侵入されていただろうと思う」

「……それでも、オレは不用心でした」


 はぁー、と長いため息をついて、オレは項垂れる。実の所、この件についてはごっそりと落ち込んでいたのだ。


「檜山さんちは商店ですから、商品や売上金もある。今回はだいぶ例外でしたが、もし来たのが強盗だったらと思うと……。オレは、もう二度と檜山さんに顔向けできなくなる所でした」

「お金はどうとでもなるけど、命は替えがきかない。慎太郎君が生きてくれただけで十分だよ」

「でも」

「いいから」


 肩を抱かれる。何が起こったか判断する暇も無く、オレはそのまま引き寄せられた。

 ぽすん、と体を倒される。檜山さんの膝に頭を乗せたオレは、檜山さんの顔を下から見上げていた。


「夜に考え事をするのはご法度だよ。そうでなくても、今日は本当に色々あったのに」


 両頬を手で挟んで、檜山さんはオレを覗き込んでいる。それでようやくオレは今の状況が掴めてきて、いよいよ心臓がえらいことになってきた。


「もう今日は何も考えなくていい。昔みたいに僕が側にいるから、ゆっくりお眠り」


 そして、彼はふわりと笑った。

 ――眠れない。眠れるわけない。だって暖かいし目がすごく優しいしこんなに近いし膝枕だしあああああああああああああ。

 内心大パニックになるオレだったが、気づいているのかいないのか檜山さんは柔らかく微笑んでいる。

 ……え、オレのポーカーフェイスがすごいの? それか檜山さんがめちゃくちゃ鈍いの? どっちも?

 でも、申し出は嬉しい。とても嬉しい。だけどこれって子供扱いされてるってことだよな? だったらそれは大いに不本意である。でも言い出せない。この状況は手放し難過ぎるからだ。


「……」


 優しい手が、オレの髪を撫でている。そうされていると、自分が幼い頃の記憶が安心感を伴って蘇ってきた。

 そうだ、ちっちゃい頃は、こうやってずっと側にいてくれたんだよな。父さんも母さんも仕事でいない時は、檜山さんが面倒を見てくれて。時々、こうして寝かしつけてくれる日もあって。

 その手が好きだった。柔らかい匂いが好きだった。

 なのに、ある日突然いなくなってしまったのである。

 忘れていた悲しみが込み上げる。胸がぎゅっと締め付けられる。だいぶ眠たくなっていたのに、オレは無理矢理目をこじ開けて檜山さんの手に触れていた。


「檜山……さん……」

「ん、何?」


 檜山さんが、髪を撫でる手を止める。俺は、眠気に抗いながら口を開いた。


「……なんで……いきなり、オレの前からいなくなったんですか……?」

「……え」

「オレ……すごく、嫌だった……」


 手を握る。もう離れていかないように、幼児が親を引き止めるように。

 ああ、こんなことじゃまた子供扱いされるな。そう思ったけど、気持ちは止まらなかった。

 あと眠気も。


「……慎太郎君」


 檜山さんの顔がぼやけていく。なんとなく、切なそうな顔をしていたのは気のせいだろうか。

 そうじゃなかったらいいな、と思った。

 檜山さんの唇が動く。それでももうとても抗えなくて、懐かしく愛しい声の中、オレは夢の世界に落ちていった。

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