四話 人間より猫のがマシかもしれない


「すごいな、これは……」

「そうね」

「みゃあ」



 栗原家に入った優太は思わず呟いた。玄関から奥に続く廊下。その先は台所に繋がっているのだろうか。ありふれた間取りだ。しかし、混沌としている。



 付喪神が多いのなんの。例えば、玄関を開けてすぐ右手の靴箱。年季はあるが汚れのない靴箱の上に二体の付喪神が横並びに座っている。一体は汚れた運動靴に小さな両手両足が生えた外見だ。二体目は薄汚れた手袋でつぶらな一つ目と小さな口がついていて悪戯っぽく笑っている。二階に繋がる階段の手すりには、包帯を巻いた湯呑みが乗っかっている。



 付喪神の外見は様々である。穏やかな妖怪であり滅多に人間を襲わない。とはいえ、これだけ付喪神が溢れていれば見える人間ならば落ち着いてはいられまい。栗原一家は霊視力が弱いのだろう。



(邪気がないからなのか。見た目は可愛らしいんだよなあ。でも、ちょっと変だな)



 運動靴も手袋も拗ねている感じだ。両者は仲睦まじいが、優太や麻衣に向ける目が優しくない。



「すごいですか? どういう意味ですか?」



 不安そうに千早。



「すいません。それはですね、至る所に付喪神がいまして、車とドアと炊飯器と電灯とテレビの調子が悪いということでしたよね。あとは靴箱や階段でもなにか変わったことが起きてるんじゃないですか?」

「は、はい。そうです!」



 なんらかの理由で栗原家に付喪神が集まっている。それも不機嫌になる事情がある。一体栗原家に何が起きているのだろうか。



「みゃあ!」

「どうしたの? ドブ」



 相棒のデブ猫がてくてくと靴箱に近づいていく。そして、運動靴と手袋を見上げる。



「みゃあ! みゃあ! みゃあ!」



 ドブの声に、顔を見合わせる二体。



「…………?」

「ドブちゃん?」



 不思議に思っていると、運動靴と手袋が降りてくる。



「みゃあ!」



 そして、ドブが階段を駆け上がっていき、その背中を二体が追いかけはじめた。突如、一匹と二体による追いかけっこが始まったのだ。



(えぇ…………ドブ? 遊ぶの? ていうか、さっきまで付喪神も不機嫌そうだったのに)



 両手足をしゃかしゃかと忙しく前後に振りながら階段を登る運動靴と、五本指をフル稼働して駆け上がる手袋。それを楽しそうに階段から見下ろすデブ猫。



(シュールだなぁ。でも、可愛い。ていうか、普通に楽しそうなんだけど?)



 さすがドブである。相手は妖怪で一種の神でもあるのだが、そんな相手を追いかけっこに誘うとは。その物怖じしない性格と自由さには感心する。



「家の中も見せてもらえますか? 理由を特定したいんです」

「はい」

「千早のお母さんにも話を聞きたいわ」

「うん。わかった」



 まずは状況把握からだ。ところで、遊び始めたドブをどうするか。



「みゃあ!」



 鳴き声の方向を見上げる。そして、驚く。



「なッ?」



 運動靴と手袋が宙を舞い、ドブが結歩で空中を駆ける。微笑ましい追いかけっこは、今や空中線にまで規模を拡大していた。



「みゃあ! みゃあ!」



 ドブは上機嫌で付喪神も同調している。運動靴は短い両手足をばたばたさせて空中を泳ぎ、手袋はクラゲのような動きで浮遊しながらドブに手(体全体というべきか)振っている。無邪気な子供達の追いかけっこを見ているようだ。なんとも微笑ましいではないか。



(本当に、自由だなぁ)



 同時に、こうも思う。妖怪と生物が垣根を超えて笑い合う。それこそ理想的関係なのではないかと。ドブはそんなことを考えてもいないだろうが。



「ドブ。周囲のもの壊したら駄目だからね」


「みゃあ!」


「すいません。ああ見えて周りのことはちゃんと見えてます。万が一、何かあれば弁償します」


「わ、わかりましたッ! というか、すごいですね! ドブちゃんは空を飛べるんですね! 私にもできますか?」


「いや……すいません。人間だとちょっと無理があって」


「そ、そうなんですか……残念です」



 千早が肩を落とす。ドブに負けず劣らず千早もマイペースである。そんな彼女とリビングに向かう。二人を出迎えたのは千早によく似た小柄な女性だった。



「お待ちしていました。織成優太さんですね。私は栗原季春と申します。千早の母親です。麻衣ちゃんも久しぶりね」



 笑った顔もよく似ている。母親というだけある。



「お邪魔します」

「お久しぶりです」

「どうぞ座ってください」



 テーブルにはコーヒーとお茶菓子を用意してあった。



「ありがとうございます」



 優太は促されるまま席に座った。



「この度は除霊依頼をありがとうございます。しっかりと対応させていただきます」

「こちらこそありがとうございます。実はかなり困っていまして。千早が相談してくれて助かりました」



 それはそうだろう。なにせテーブルからも複数体の付喪神の姿が視認できる。真っ白な炊飯器の上に罅の入ったお茶碗、電灯にはボロボロの乾電池が細い両腕でぶら下がっており、テレビの側面に割れた花瓶が寄りかかっている。



「どこからお話しすればいいのか……急に家電製品が使えなくなる時がありまして」


「なるほど。詳しく伺っても良いですか?」


「はい。たとえば予約炊飯をしてその設定は残ってるのにご飯が炊けてないとか。停電でもないのに電灯が消えたりとかテレビの予約も入れたはずなのに入ってなかったり、車のエンジンがかからなくて時間を空けたら、かかるということもありました」



 麻衣と顔を見合わせる。まさしく付喪神の仕業であると推察される。



「たとえ些細なことでも積み重なると余裕がなくなってしまうといいますか、毎日そういう不測の事態が起こり続けると、どうしても私も主人もつい不機嫌になってしまって……千早がこういう性格なので助かってはいるんですが」


「むしろ、不機嫌になって当然だと思います」


「待ってお母さん。千早がこういう性格ってどういう意味?」


「褒めてるの。それに千早がいつも明るく元気でいてくれるから私もお父さんも助かってる」


「そうなんだ。じゃあいいや」



 母娘の仲も良いらしい。仲の良い親子を見ると心が温まる。同時に、少しだけ羨ましくもなる。優太は軽く頭を振って、余計な感情を追い払った。



「当たり前のことが当たり前にできないっていうのはストレスになりますよね。ちなみに一つお尋ねしていいですか?」


「はい」


「炊飯器の上や電灯の真下とテレビの横に何が見えますか?」


「えっと、なにも……見えません」


「千早ちゃんも?」


「幽霊ですか? そこにいるんですか?」



 二人とも霊感がないのは間違いない。



「一度、彼らの姿が見えるようにしますね」



 優太は一時的に二名の霊視力を上げた。その反応は様々だった。



「えっ! 電池がぶら下がってます?」

「え……お茶碗? 電池と花瓶も…………か、可愛い」



 それぞれ季春、千早である。



「彼らは付喪神です。見た目はバラバラです。彼らは物が粗末に扱われていると不調を招きます。一方で大切に扱われていると手助けしてくれます」

「それはつまり、私たち家族の物の扱い方が悪いということなのでしょうか?」



 季春が心外そうな表情で一言。その反応は無理もない。



「順当に考えればそうです。ですが、今回は違うと思います」

「というと?」



 優太は付喪神をそれぞれ一瞥した。それから、電灯に近づくと乾電池が優太を威嚇するように体を前後に振りはじめた。警戒されている。物を粗末に扱っていないにもかかわらず、ここまで敵意を向けられる理由は恐らく一つ。



(どっかの馬鹿がやらかしやがった)



 優太は意図せず歯軋りをしてしまった。

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