十五話 いつも通りだ。でも、同じことの繰り返しではない
牛鬼との戦闘から七日後。腕に残った痣を気にしながら麦茶を飲むと、携帯電話が着信を知らせた。発信者は茜だった。
「もしもし?」
『ユウちゃん。元気? 体はもう大丈夫?』
「そうですね。おかげさまで今日から復帰します。今から支度しようかと思っていたところでした」
茜には事の顛末は全て説明済みだ。
『それにしても、災難だったわよね。よりにもよって
「やってることは、そうですよね」
優太も完全に同意であるが茜も浦川は嫌いらしい。
『けど、ユウちゃんの望みどおり織成は動かないからね。麻衣にも浦川と揉めたってことは伝えてないよ』
「すいません。ありがとうございます」
『いいのよ。私とユウちゃんの仲でしょ。それに麻衣に伝えたらどうなるか』
茜が電話越しに失笑する。確かに、病院に搬送されるような怪我を負ったことを麻衣に伝えたら何を言われるかわからない。
『あの子はユウちゃんを慕ってるからね。麻衣にとってユウちゃんは恩人みたいなものだし?』
「いつの話ですか? それに、僕はキッカケを作っただけで、麻衣ちゃんが努力家で才能もあったからです」
古い話だ。優太は麻衣が霊装術を上手く扱えなかった時期に少し助言したのだ。麻衣ならば助言がなくとも問題なかっただろう。それを麻衣は今でも恩に感じている節がある。
『わかってないわね。キッカケが一番大事なのよ。キッカケを得てからどうするかはそいつ次第でしょう? 恋愛と一緒よ』
「そういう考え方もあるかもしれませんね」
『ところでユウちゃん彼女できたの?』
「……いえ」
『好きな子は?』
「……いません」
自分に関するこの手の話はあまり好きじゃない。どちらにしても、今はそういうことを考えている余裕もない。
『その気になればモテると思うんだけどなぁ。ま、いいわ。それで本題だけど、ユウちゃんさ。引き際を弁えなさい』
「…………」
話題が変わったことには感謝したが、思わず無言を返してしまう。
『前にも話したことあるよね。ユウちゃんが霊能力者を続けたいのはわかってる。でも、大人になりなさい。今回は入院せずに済んだけど入院したら仕事できないでしょ。収入なくて入院費払える? 一回の除霊料なんてたかが知れてるし、怪我したら確実に採算合わないのよ。数珠も買ってくれるから用意するけど、それって何回分の除霊料? 貯金もほとんどないでしょ?』
「それはわかってます。でも――」
『でももくそもない。貯金もできず大怪我するリスクが常にあって下手したらドブちゃんも傷つくわ。そんな仕事で誰が得するの?』
「それは……」
茜の言うことは正論だ。ただでさえ生活費も苦しいのに、入院費や数珠費用が嵩めば家計は火の車となる。
茜の言うことは正論だ。霊能力者という夢を追い続けるのはいい。それでも、現実を見なればいけない。それを何度も諭してくれる人物までいるのはなんとありがたいことか。
茜の言うことは正論なのだ。それでも、
「…………話はそれだけですか?」
『うん』
茜の配慮を理解しても、受け入れられない自分がいる。
「いつも、心配してくれてありがとうございます」
『……頑固者。取り返しがつかなくなってからじゃ遅いのよ。本当に気を付けなさい。あなたを本気で心配する人もいるの。麻衣がそうよ。ドブちゃんもそう。一応、私もね。それだけは忘れたら駄目よ』
茜は一方的に告げると、そのまま電話を切ってしまった。優太は消灯したスマホの画面を、しばらく見つめた。
(茜さんの言うことは正しいと思ってます。心配もしてくれてありがとうございます。でも、今はまだ……)
溜息を吐き出してから、麦茶で再び喉を潤した。それから、郵便ポストまで降りて便りの有無を確認する。一通の手紙が入っている。
「珍しいな。差出人は紅貴さん?」
部屋に戻る。物音に気付いたドブが足元に駆け寄ってくる。
「みゃあ」
シンプルな便箋を開くと、これまたシンプルな手紙に達筆な文字が並んでいる。
『織成優太様
過行く春が惜しまれることとなりましたがいかがお過ごしでしょうか。
先日はキヨを除霊することなく私とキヨを導いてくださりありがとうございます。家族に相談するという考えは私の中にはなく、感謝しています。
おかげさまで、今ではキヨは家族に受け入れられて私共々幸せを噛み締めています。また、妹の玲がキヨにとても懐いており、私には勿体ない相手だと、自分がキヨと結婚して幸せにするなどと言い出しました。お歯黒べったりが同性婚に理解ある妖怪であれば私の知らぬ間に成仏していたかもしれません』
「よかった。キヨさんは受け入れられて、幸せなんだって」
「みゃあ‼」
「でも、意外だなぁ。玲さんがキヨさんをすごく気に入ったみたい」
そういえば、壁に掛かっていた家族写真は両親と紅貴と玲だった。つまり、姉と妹はいないので姉妹ができたみたいで嬉しかったのかもしれない。
「みゃあ」
ドブも嬉しそうである。ドブはほとんどの女性には優しい紳士なのだ。
『冗談はさておき、今後のことについてご報告させていただきます。
六月六日私とキヨは婚約と同時に式を上げることにしました。
顔合わせや結納や式場選びもありません。私の家族前で愛を誓い合う簡易的なものです。キヨと話し合ったうえで決めました。
こうして、キヨと人生を歩む機会を得られたのは織成様のおかげだと感謝しております。ありがとうございました。そんな織成様にお願いするのも恐縮なのですが、よろしければ我々の婚約に立ち会っていただけないでしょうか?
当日はキヨにウエディングドレス姿を披露してもらい、その姿を玲がスケッチすることとなりました。織成様にもキヨの晴れ姿を見ていただきたいのです。
追伸:織成様と猫又が健やかに過ごし、活躍し続けることを祈っています』
お礼の手紙と実質的な招待状を兼ね備えた書式だ。結婚式や披露宴を行うわけではないので一般的な招待状とは違う体裁を取ったのだろう。
書き綴られた文面に笑みが湧く。キヨと紅貴の最高の瞬間に立ち会えるなんて光栄だ。霊能力者冥利に尽きる。ボコボコにされた甲斐もあったとさえ思う。
「紅貴さんとキヨさん結婚するんだって。良かったね」
「みゃあ‼」
「ドブもキヨさんに会いたいでしょ?」
「みゃあ‼」
キヨとの別れを恐れていた紅貴と優しくされても自分に向けられた愛情を確信できなかったキヨ。二人に残された時間は短い。しかし、きっと幸せになるだろう。紅貴が照れ臭そうに口づけして、キヨが嬉しそうにはしゃぐ。そして、キヨの最期は満面の笑みで幸せな成仏。そんな未来が目に浮かぶ。
人々と妖怪の幸せと笑顔に貢献できるのは霊能力者ならでは。だからこそ、辞めたくない。これからも両者に手を差しべたい。それは優太が霊能力者として大切にしていることでもあった。そして、はたと気づかされる。
そうだ…………そうだよな。
誰が得をするだって?
先ほどは茜の問いに答えられなかった。だが、今なら自信を持って言える。
(僕だ。霊能力者っていう好きでやりたいことをやって、人と妖怪の笑顔が見られる。感謝してもらえる。それを仕事にできる。自分が好きなことをやって喜んでもらえて対価もあるなんて、こんな贅沢はないよ)
優太はそう思う。これまでもそうだった。むしろ、どうして即答しなかったのか。自分の弱さを改めて痛感して、狼狽えていたらしい。
現実は厳しい。優太が現役で活躍できるのは紅貴に伝えた通りおそらく二年未満。ドブのサポートを失えば霊能力者としての価値は激減する。中級妖怪を除霊できない優太はプロとして弱すぎる。
それでも許される限りは、好きなことを続けたいではないか。対策が必要ならば喜んで。勿論、ドブ次第だが。
本当にやりたいことのためなら、信念に背かない限り万事を尽くす。それくらいの覚悟がなければ半人前霊能力者は務まらない。
「よし。久しぶりの仕事だし、気合い入れていこう。そういえば、近いうち礼服もクリーニングしないとね。猫専用の礼服とかあったら面白いのにね」
「みゃあ‼」
ドブが楽しそうに尻尾を振っている。元気一杯のドブを見ていると笑みが湧いてくる。
優太は青シャツに着替えて襟を正して、白衣を羽織った。今日も隣にはまだドブがいる。いつも通りだ。毎日が同じことの繰り返しではないから、前進したり後退したりもするけれど。
優太とドブの物語はこれからも、続く。
※あとがき
自作をお読みくださり、ありがとうございます。本話にて『恋情のお歯黒べったり』は完結となります。
お楽しみいただけたでしょうか?
7/9近況ノートにて、今後についてや本格的なあとがきを公開します。
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