十四話 脆くて弱い半人前霊能力者と『独り』を『一人』に変えられるデブ猫②



 歯を食い縛り、次なる衝撃に備える。



「グラアアアアッ‼」

「ぐううアッ‼」



 次に殴打されたのは左腿だった。殴られた箇所が火傷したように熱い。もう一度受ければ二度と使い物にならなくなるのではないだろうか?

 そんな想起を駆り立てる痛みだった。



 それでも、時間を稼ぐしかない。

 耐えるしかないのだ。

 弱いとは、そういうことなのだ。



 奥歯をきつく噛み締める。





 ――――――ッ‼





 しかし、次の衝撃が訪れない。



「大丈夫ですかッ⁉」



 騒ぎを聞きつけた警官が到着して優太の間近に駆け付けたのだ。それは優太にとって好機でもあり想定外でもあった。警察の抑止力には期待していたが戦闘に巻き込むつもりはなかった。


 牛鬼をドブと闘わせず、一般人を巻き込まず、命を落とさず、警察官を無傷で帰す。結果的に優太の勝利条件に新たな一文が加わった。



「ひッ……‼」



 しかも、牛鬼を間近で見た警官は腰を抜かしてしまう。妖怪との対峙経験がないのだ。せめて、ベテランであれば。そうは思うが今更だ。警官が拳銃を取り出そうとしているがその手は震えている。



「駄目、だ……下が…………って…………」

「や、止めろッ‼ この人に近寄るなッ‼ 来るなッ‼」



 警官が青い顔をしながら後ずさる。非常によろしくない。だが、自分はまだしも牛鬼に彼を襲わせるわけにはいかない。その時、優太の頭に妙案が。



(思い付きだ。でも、これならッ⁉)



 優太は霊力を練り上げて警官に放出した。ありったけの霊力を纏わせる。彼が所持する拳銃にも。通常の弾丸が妖怪に傷を与えることはない。しかし、銃器のように元々の火力が高い武器に霊力を込めることで妖怪にダメージを与える方法がある。牛鬼が相手なら自衛くらいは可能だろう。



 結界防御に費やせる霊力がわけだが。優太はあくまで頭部を守りつつ牛鬼を見た。じっくりと品定めするような視線が返ってくる。



『………………』

「…………ッ‼」

「おい、お前……妖怪‼ ち、近寄るんじゃないぞッ‼ 本当に……う、撃つからな」

 


 牛鬼は警官を見てすらいない。



 もういいだろう、引き下がってくれ。



 そんな意思を込めて牛鬼を見つめる。無言の対面に、ふと嫌な想像が頭をよぎる。さすがに殺されはしないと踏んでいたが、果たして本当にそうだろうか? 


 額に滲んでいた汗が頬を伝って、顎に到達する。



『………………』

「…………ッ‼」

「そ、そこから……い、一歩も動くなッ‼」



 牛鬼は目を逸らさない。優太もまた逸らせない。

 


 特攻をかけてきたら、どうなる? 

 牛鬼の撤退前に結界の霊力が尽きたら?

 そうして、頭を殴られたら一貫の終わり。



 ごくり、と唾を呑み込む。

 顎先に留まっていた汗の雫が地面に流れ落ちた。




 そして――、




『…………グルウッ』



 牛鬼が短く鼻を鳴らした。そして、興味を失くしたように踵を返して、間もなく姿を消した。




「い、いなく……なった?」




 腰を抜かしていた警察官が呟いた。張り詰めていた極度の緊張が霧散していく。



(……確かに、間違いない。牛鬼が消えた)



 優太は周囲を三回ほど見回して、確信を得た。助かった。助かったのだ。途端に安堵感が込み上げる。意図せず仰向けに倒れ込んでしまう。



「はあッ……はッ…………はあッ…………はッ……ッ‼」



 優太は天を仰ぎながら酸素を貪った。ドブは無事で、一般人にも被害はなかった。



 傷ついたのは自分だけだった。

 良かった。それだけで済んで、本当に。

 歯車が少し違えば、死んでいたが。

 間違いなく乗り切ったのだ。



(良かった。本当に……)



 安堵感と達成感で全身がこのまま溶けてなくなってしまいそうな心地だった。大自然でもないのに空気がやけに新鮮だ。優太がそうやって安堵を噛み締めていると、



「あなたの勇気と行動に感謝します」



 先ほどの警官が優太に歩み寄ってきた。若い男性だった。腰を抜かしていたわりに立ち直りが早く、今ではしっかりと警察官している。



「いえ、感謝だ……なんて…………」



 複雑な心境であった。元々が優太に差し向けられた妖怪でありその対処をしただけだ。それで勇敢な霊能力者を名乗れるほど優太の面の皮は厚くない。



「救急車をお呼びましょうか?」

「みゃあ‼」



 右腕に柔らかい感触。どうやらドブがやってきたようだ。



「…………ありがとうございます」



 それにしても、弥勒が引いてくれて助かった。引き際としては妥当でもあるのだが。しかし、ケジメだとしてもやりすぎだろう。向こうは少しだけ痛めつけるつもりだったかもしれないが、こちとら死ぬところだった。


 しかし、仮に弥勒に文句を言ったところで『弱いくせに首を突っ込むからだ。自業自得だろうが。偽善者』と嫌味が返ってくるだけだろう。めよう。今更考えたところで仕方がない。



(というか……今は、なにも…………考えたくないな)



 せめてヒーリングを実施すべきなのだが、思考を割くことすら面倒だ。



「頭を揺らしてはいけませんよ?」

「みゃあ‼ みゃあ‼ みゃあ‼」



 ドブが右頬に猫パンチを連発してくる。揺らすなと言われたばかりでしょうに。だが、その柔らかな衝撃に、優太の思考力は息を吹き返した。



 通行人の視線がある。遠巻きに優太を見ている。ドブを懸命に抑えてくれていた女性の姿もある。彼女には本気で礼を言いたいくらいである。


 優太は軽傷で済んだ右手で、打ち付けた頭部と負傷した臀部及び左半身に優しく触れた。



「……くっ‼」



 呻きながらヒーリングを発動する。負傷してから時間が経過すれば効能は薄れるが、なにもしないよりは断然いい。



「~~ッ‼」



 痛みに悶える優太をドブが右側からじいっと見つめていた。猫パンチはめたようだ。



「ドブ? 平気だった?」

「…………」



 その猫目はいかにも不機嫌そうだ。



「さっきの、怒ってるの?」

「……ふしゃあ」



 威嚇するような低い鳴き声だった。



「ごめんて。でも、今回は本気で駄目だったんだよ。許して」



 優太の肉体がこの場所に残らなければ憑依して逃げるのが最善だった。それなら、逃げ切れる自信もあった。ドブに力を借りようにも生身の肉体までもが足を引っ張るのだから本当に嫌になる。



「……みゃあ」

「ありがとうね……うッ‼」



 返事の拍子に頭が軋む。



(さすがに病院に行った方が良さそうだ。頭から出血はないけど)



 とにかく今は身体を休めたい。間柴家に向かうのは残念ながら無理だろう。そんなことを考えていると、腹部にドブが飛び乗ってきた。



「うごッ‼ …………ゴホッ‼ あのさ、わかるよね? 僕、怪我人だよ?」

「みゃあ‼」



 ドブが腹の上を彷徨う。座り心地の良いポジションを探しているのだ。



「普通に重いし苦しいよ?」

「みゃあ?」

「普段は滅多にこんなふうに甘えないじゃない? さっきの仕返し?」

「みゃあ?」



 ドブは不思議そうに首を傾げたが、結局はへその上に落ち着いた。自分本位だが、ドブのそういうところが憎めない。それに今回は心配を掛けた負い目がある。



「どかしましょうか?」



 尋ねたのは先ほどの男性警官だ。



「いえ……大丈夫、です」



 優太は苦笑いで答えた。その時、柔らかい風が吹いた。ひりつく全身を心地よく撫で回していく。



(紅貴さんとキヨさんの役に立てた。二人とも怪我を負うことはなかったし、ドブも無事だった。そこには満足してる。まともな戦闘力がない僕には十分な結果なんだ。喜ぶべきことだ。でも、だけど…………どうして、僕は霊能力者としてこんなに弱いんだ?)



 仰ぎ見る空は澄んでいて晴れやかだが、喉の奥から溢れてくる唾液がやけに苦い。


 霊能力者という選択には微塵の後悔もない。それでも、自分の弱さが情けなくて腹立たしくて、立ち上がるのが億劫になる時がある。今もそうだ。その度に言い聞かせて割り切るしかないことも知っているのに。



「………………ドブ、少し休憩するね。しばらくしたら、帰ろうね」

「みゃあ」



 ドブが腹部から股間に降りる。猫飼いあるあるだが猫は股間の窪みに収まりたがるものだ。優太が負傷兼休憩中で救急車待ちでも退くつもりはないらしい。


 それもいい、優太は思った。股間の方が苦しくない。それに、今は『一人』になりたいが『独り』でいたくない。そんなわがままな気分だった。



「あれ大丈夫なのか?」

「頭を打ったみたいですよ」

「妖怪と闘ったんですって」



 周囲の喧騒が煩わしくなり、優太は両目を閉じた。疲労困憊で体が痛い。極めつけドブが重たい。しかし、ふくよかで体毛に包まれているドブは――


 いつだって、柔らかくて、温かい。

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