五話 三つだけお尋ねします



「改めまして、織成優太と申します。そして、そっちは猫又のドブです」

「みゃあ」



 六畳アパートで優太は紅貴と向かい合っていた。紅貴の隣にはお歯黒べったりが座っており、その膝の上にドブが丸っている。



「その、なんというかドブは女性の膝で寝るのが好きでして……」

「みゃあ~」



 人間か否かはドブに関係ないらしい。嬉しそうに喉を鳴らして甘えている。



『私は構いません。猫に懐かれるというのは新鮮で嬉しいですし』



 お歯黒べったりもまた嬉しそうに答える。名前は『キヨ』。ずいぶんおっとりした性格のようだ。執着心や未練に呑まれているようには見えないので、そこについては一安心である。理性を失くした妖怪を除霊するのはいつだって心苦しい。



「それでなんの用だ」



 正面の紅貴から射貫くような視線があった。玲のから推察するに紅貴の年齢は二十五歳。優太よりも一つ年下である。ごく普通の体系で顔立ちは整っているのだが玲に似て目つきが鋭い。



「勿体ぶらずに言えよ」



 明らかに歓迎されていない。敬語さえも使用しないのは敵意ゆえか、それとも優太を年下だと見ているのか。そういった態度にも慣れてはいるが。



「そうですね。結論から言うと、キヨさんを除霊するつもりで来ました。ただし、お二人の関係や事情をお聞きしてから判断したいと思っています」

「納得したら除霊せずに帰るのか?」

「はい。それが良いと判断できれば」



 嘘偽りなく答える。しかし、紅貴は訝しむ。



「信用できるかよ」



 なるほど。警戒されている。



「お気持ちはわかります。ですが、信用してもらえなければキヨさんは除霊されますよ?」

「なんだと?」



 紅貴の目の色が変わる。軽い脅しだが話を進めることにした。



「僕は霊能力者です。嘘をついてまでキヨさんを現世に留まらせる理由はありません。事情が聞けず除霊できなければご家族はどうするでしょう? 別の霊能力者に依頼すると思います。その霊能力者が問答無用で除霊するタイプなら事情を話すことさえできません。それよりも話が通じる僕に説明して、僕がご家族を説得する方がよくないですか?」


「それは……まあ、確かにな」


「僕はお二人にベストな選択をしてほしい。そのうえで尋ねたいのは三点だけです」


「……話してみろよ」



 少し、進展あり。



「まず、退職されたんですよね。それはキヨさんと知り合ってからの話ですか?」


「違う」


「そうでしたか。退職理由とキヨさんは無関係ということですね。では、次の質問です。紅貴さんにとってキヨさんはどんな存在なんでしょうか?」


「大切な存在だ」



 即答だった。そして、力強い声色だった。少しだけ嬉しくなるのと同時に、二人の絆がどんなふうに育まれたのか気になってくる。必要なら、そのあたりも尋ねるつもりではいる。



「三つ目の質問です。これからも一緒にいたいとそう考えていますか?」


「それは……それができるなら、勿論だ。ずっと一緒にいたいとそう思ってる」



 優太は素直に感心させられた。一人の女性と共にありたい、その言葉には相応の覚悟を必要とする。相手が妖怪なのでなおさらだ。


 漢らしい、優太は思った。同時に、少しだけ羨ましい。女々しい自分とは正反対だ。いや、今考えることではない。



「わかりました。そういうことならできるだけお二人が一緒にいられるようご家族を説得する方針で行きましょう」


「…………は?」



 紅貴がぽかんと口を開けている。



「どうされました?」


「あ……いや、即決するんだな。というか、聞かないのか?」


「ええっと……紅貴さんがお仕事を辞めた理由を、ですか?」


「ああ」


「それがキヨさんのせいなら霊能力者として対策が必要だと思ってました。でも、そうではないんですよね?」


「ああ。そうだ」



 人であれ妖怪であれ責任を押し付けるというのはどう考えて間違っている。



「であれば、無理には尋ねませんし、こう言っては失礼ですが興味はありません。といっても、ご家族を説得するのに必要なら話してもらいたいです」


「あんた、良い奴っぽいけど、変わってるな」


「みゃあ」 


「そうですかね?」


「みゃあ。みゃあ。みゃあ」



 ドブがキヨの膝の上で鳴いている。『変わってる』という部分に同意しているのか。



「キヨさん。ドブを適当に撫でてやってください。そうすれば大人しくなりますから」

「は、はい。わかりました」



 キヨがドブの頬や喉を優しく撫で回していく。



「みゃあ~」



 ドブが両目を瞑り気持ちよさそうに喉を震わせる。正直に言って、かわいい。毎日優太の前でもそんな姿を見せてほしいものだ。いや、どうだろう。それだとたまに甘えてきた時のありがたみと幸福感が薄れてしまうような気もしないでもない。



「随分と人懐こいな」



 紅貴も気になったのかキヨに近寄り、ドブに手を伸ばした。しかし、その瞬間ドブは体を仰け反らせて目を見開いて紅貴を見た。



「ふしゃあ‼」

「…………?」



 紅貴は戸惑いながら伸ばした右手とドブを見比べた。



「あ~すいません。結構好き嫌いが激しくて僕も自分から触ろうとすると拒まれるんですよ」


「そうなのか?」


「すいません」 


「別にいい。俺の家も昔は猫を飼ってたんだ。妹にばっかり懐いてた。俺に甘えるのは飯の時くらいだったよ。気まぐれだよな?」


「そこがいいんですけどね」


「そうだな」



 紅貴が懐かしそうに微笑んだ。距離が少しだけ縮まった気がした。紅貴との関係は除霊中に限られるだろうが、それでも共通の話題を噛み締め合えるのは嬉しい。そういう相手の方が仕事もやりやすい。



「では、話を戻しますね。さっき言ったようにご家族を説得する路線で行きましょう。そこで、家族にはしっかり事情を話してもらいたいと僕は思います。キヨさんがどれだけ大切でも、ご家族を心配させて良い理由にはならないですから」



 紅貴の眉根に皺が寄った。存外わかりやすい性格である。



「それは……いや、そうだな。わかったよ」



 不服そうな紅貴を見て勿体ないと優太は感じた。退職した理由やキヨのことを家族に話しにくかったのはわかる。意地やプライドもあるのだろう。だが、玲と母親は紅貴を心配して霊能力者を雇った。思いやりのある家族ではないか。紅貴が殻を破ればキヨのことに限らずわかり合えるだろう。そんな家族がいることがどれだけ幸せなことか。とはいえ、家族仲を取り持つのは優太の仕事ではない。



「思うところがあるかもしれませんが、キヨさんとの時間を大切にするためにもよろしくお願いします。それに――」



 寸前で飲み込む。『どちらにせよ時間が限られている』という言葉を。それは紅貴が直視すべき事実であり非常に重要なので、『ついで』みたく説明するのが憚られたからだ。



「それに、なんだ?」



 怪訝そうに紅貴。



「冷静に考えてください。妖怪と一緒にいるだけで怪しまれてもおかしくない。それなら、反論を撥ね退けるくらいに準備はしておいた方が良いと思います」



 時間の件は最後に伝えることにする。



「それは……そうだな」



 紅貴も理解を示してくれているようだ。



「僕としてはお伝えしたいことの大半は話せたと思ってます。そういえば、先ほど尋ねたいことがあるとおっしゃってましたよね? お答えしましょうか?」


「そうだな。聞きたいことがある。俺とキヨは一緒にいていいのか?」



 紅貴の両眼が真っ直ぐに優太を捉えた。そこから滲むのは不安と覚悟。

 なるほど。本気だ。これが聞きたがっていた質問か。応えないわけにはいかない。



「それは――」

「いや、質問を変える。俺とキヨはいつまで一緒にいられる? その猫も妖怪なんだろ。霊能力者だから一緒にいられるのか。一般人と妖怪は共生できないのか?」



 ああ、なるほど。



 やはり紅貴の関心もそこにあったのだ。紅貴に限らず妖怪との共生を望む人間は少なくない。その意思を優太は尊重する。しかし、だからこそ、誤魔化したくない。



「前提として、妖怪と人間が長い時間を共に過ごすのは無理です」



 それは、だ。



「みゃあ〜」



 ドブが思い出しように大きな欠伸をしてから、眠たそうに目を細めた。

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