四話 その女、目元に包帯を口元にマスクを



『ど、どうでしょうか? 似合いますか?』



 試着室から姿を現した女。髪型はゆるふわな茶髪のミディアムショート。目には包帯を巻き、口元をマスクで覆っており、トップスはベージュのニットソー。先ほどは色違いのネイビーを試していた。



「似合ってる。さっきのも似合ってたぞ」

『あ、ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて、嬉しいです』



 照れた声で女が言う。名前は『キヨ』。俺――間柴ましば紅貴こうき――の連れであり、今日は一緒に女性服を選びにショッピングモールを訪れていた。



『あ、あの……ちなみに、どちらが良いと思いますか?』

「そうだな…………」



 女性との買い物で頻出の質問だ。本心を伝えても不満気な反応が返ってくるし、結局は反対を買うなんてこともある。逆を選ぶなら最初から聞くなよ、思わないでもない。ちなみに、これは経験談であって『キヨ』のことじゃない。

 だけど、最近になってわかってきた。



「ベージュは春っぽくていいな。ネイビーは大人っぽい。優しい感じがするから俺はベージュの方が好きだ」



 周りに意見を求める女性は多い。だけど、それは答えを欲してるわけじゃなくて『一緒に考えてほしい』か『参考意見が欲しい』んだろう。これって女性に限らない。初めてのラーメン屋でおすすめを尋ねといて違うのを注文する友達の一人や二人はいるだろ。参考にはするけど最後は自分で決める的な?



『それなら……こちらに、します』



 ただ、注意が必要だ。他者を参考に自分の意見を決めるタイプもいれば、他者の意見に従うタイプもいる。会話コミュニケーションで大切なのは相手の本心に歩み寄ることだ。といっても、本当の意味でそれを理解し始めたのは俺も最近になってからだ。



「キヨもベージュがいいのか?」

『私は、その……紅貴さんが好きな方がいいです』



 キヨが俺の好みに合わせようとするのは、性格的なものだ。



「俺に合わせてくれるのは嬉しい。でも、好きな方を選べよ。俺はキヨが好きな服を着て喜んでる姿が見たい」



 告げると、キヨはたどたどしい口調で自らの希望を言葉に変えていく。



『えっと……その、お許しいただけるなら、紺色がいいです。私、紺色が好きで、そういう着物にもずっと憧れていて』


「だったら、ネイビーだな。キヨは美人だしどんな色でも似合うよ」


『いえ……美人だなんてとんでもない。私は醜女しこめで……だから、今までも――』



 キヨが自身を卑下するのを見ると我慢ならなくなる。俺はキヨを抱き締めた。



『はゎ……⁉ あ、あの……こ、紅貴さんッ⁉』



 キヨの上擦った声。恥ずかしそうに両手をもじもじしている。目隠しとマスクで顔の大部分は隠れている。それでも、声色や動作で照れているのがわかる。そういう挙動を見ると、嬉しくなる自分がいる。キヨに高揚を与えているんだと実感する。



「自分のことを醜女なんて言うな。俺はキヨに救われた。好きで一緒にいるんだ」

『は、はぃ……』



 そうだ。そうなのだ。心がボロボロになっていた時、救ってくれたのがキヨだった。キヨのように心が綺麗な女性はいない。だから、好きだし、一緒にいたい。たとえ、だ。



「一旦、元の服に戻してくれ。店を出る時に新しい服にすればいいからな」

『はい。あの、ありがとうございます』



 未だ両手をもじもじしているキヨの頭にぽんぽんと優しく触れる。これを不愉快に思う女性もいる。喜ぶものと考えて、多用していた過去が恥ずかしい。その点、キヨについては安心している。



『あの…………紅貴さん。もっと、ぽんぽんってしてもらえませんか?』



 上擦った声でこんなことを言うのだ。正直、ぐっとくる。心が綺麗で、素直で、可愛いのだ。文句のつけようがない。



「ああ。わかった」



 俺はキヨが満足するまでぽんぽんした。それから恋人繋ぎで店を後にした。








「嬉しそうだな。キヨ」

『はい。それはもう‼』



 キヨのトップスは既にネイビーのニットソーだ。しかし、購入はしてない。妖怪であるキヨは外見を変えることができる。実際に試着室でも着替えず既製品を参考に外見を寄せただけだ。目元の包帯もマスクも実物じゃない。初めて会った時は包帯もマスクもつけていなかったが。



『こんなふうにお洒落できるなんて、私はとても幸せです‼』



 キヨの喜んだ声を聞くと外出した甲斐があると思うし、一緒にいると心が安らぐ。元カノと一緒にいてもこれほど心が落ち着くことはなかったし長続きもしなかった。


 女運が悪かった。そう考えていたが、原因は俺にあったと今は思う。

 本当に私のこと好きなの?

 そんな台詞を何度言われたことか。でも、その指摘は正しかった。



 俺は相手の気持ちを考えてなかった。



 こうすれば文句ないだろ。喜ぶだろ。そんな決め付けが先行して、本心を知る努力をしなかった。常に自分基準だった。質が悪いことに無自覚で、見つめ直す機会も余裕もなかった。



 だから、失敗したんだと思う。

 恋愛も、仕事も。



 それを気づかせてくれたのがキヨだった。俺はキヨと過ごしながら自分自身の在り方を見つめ直している。



「キヨ。ありがとう」

『なんのお礼ですか?』



 不思議そうに首を傾げるキヨ。そういう仕草もいちいち可愛くて困る。



「いいんだよ。そんな気分だったんだ」



 俺はキヨの手を握り直した。キヨの手は冷たくて気持ちが良い。



『そういうことでしたら、私もお礼を言います。ありがとうございます。私は紅貴さんに会えて、本当に幸せです。今まで、こんなふうに優しくしてもらったことないです。酷い扱いをされるのが当然だって思っていましたし』

「酷い目にあって当然なんて、そんなわけないだろ」



 少なくとも俺は認めない。そんなことを考えていた時だった。



「あの、突然すみません。間柴紅貴さんですか?」



 アパートの鼻先で見知らぬ男に声を掛けられる。青いシャツに白衣を着たぽっちゃり体型の男だ。足元に茶虎のデブ猫がいる。



「何か?」

「はい。失礼しました。僕は織成優太と申します。霊能力者です」

「霊能力者…………なんの用だよ?」



 俺はその男を睨みつけた。



「紅貴さんのご家族からの依頼で調査と場合によっては除霊のために来たのですが……」



 男がキヨを一瞥して、固まった。俺はキヨを庇うべく身を乗り出した。



「俺達に構うな」



 威嚇するように言い放つと、織成優太と名乗った男が咳払いをした。



「すいません。僕としたことが。少し驚いてしまって言葉を失ってしまいました。マスクも包帯も洋服も髪型もすごくお洒落で、ビックリしました。のっぺらぼうじゃないですよね。お歯黒べったりですか?」



 感心したような男の口調に、毒を抜かれたような気分になる。



「だったら? あんたには関係ないだろ?」

「そうですね。でも、よくお似合いです」



 なんだ。この男は? 霊能力者と名乗ったくらいだ。俺達の邪魔をしに来たわけじゃわないのか。



「みゃあ」



 俺が戸惑っていると茶虎の猫が近づいてきて、そのままキヨに擦り寄った。



『わぁ。可愛らしい猫ちゃんですね……あれ? 猫又ですか?』


「みゃあ‼」


「猫又? なんだよそれ?」


『妖気を持った猫のことです。気まぐれですから霊能力者と一緒にいるっていうのは珍しいと思います』


「みゃあ」


『それに、この猫ちゃんからは嫌な感じもしないので、そちらの霊能力者さんは良い人だと思います』


「本当かよ?」



 状況がわからない。霊能力者が尋ねてきたと思ったらキヨの外見を誉めて、そいつの猫がキヨに甘えて、でもって猫又で。キヨが言うなら信用してもいいのか? 

 それに、霊能力者ならばあるいは――



「あんた、織成優太って言ったな?」

「はい」

「キヨを傷つけないっていうなら話を聞いてやってもいい。だが、無理やりキヨを除霊するようなことをしてみろ。俺はお前を絶対に許さない」



 本心だった。キヨを傷つけるなら承知しない。霊能力者だなんて知ったことか。



「ええ。勿論です。僕も無理やり除霊するつもりはありません。そうしないために、話を聞きたいのです」



 男が俺を見つめてくる。真っ直ぐな目をしている。



「……案内する」

「みゃあ」

「なんでドブが答えるの? すいません。ありがとうございます」



 霊能力者が困ったように笑うと、茶虎猫が霊能力者の肩に飛び乗った。



「こら、急に乗らないの。危ないから。というか重いんだけど?」

「みゃあ~」



 茶虎猫がわかったようなわかってないようなやる気ない声で鳴く。



「霊能力者。こっちも質問したいことがある。構わないな?」



 俺にはどうしても知りたいことがあった。霊能力者ならばあるいは――その回答を持っているはずだ。



「勿論、お答えします」

「みゃあ」

「こっちだ。ついてこい」

「はい。よろしくお願いします」



 霊能力者が頷く。肩が明らかに重たそうだが気にならないのか。



「さすがにちょっと揺れるからね?」

「みゃあ」



 茶虎猫は器用にバランスを取りながら尻尾を左右に揺らしている。大分懐いているようだ。猫に好かれる人間に、悪い奴はいない。少なくとも俺はそう考えている。だが、油断はできない。俺は両者に前方を歩かせながらアパートへ案内した。


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