三話 依頼人――間柴玲――



(立派な家だなぁ…………)



 二階建ての一軒家。そのリビングのソファに優太は腰掛けていた。隣にはドブが香箱座りしていた。今回の依頼人に目を向ける。ベージュのセーターを着用した十九歳の少女だ。綺麗な黒髪の細身美人なのだが目つきが鋭く印象が少しきつい。仕事内容は悪霊の退治だ。



「今回は本当にありがとうございます」



 少女は自己紹介もそこそこにほっと息を吐いた。優太の想像以上に切羽詰まった状況だったのだろうか。依頼を引き受けたのは正解だったかもしれない。



「みゃあ‼」



 ドブが一鳴きして、てくてくと少女に近づいていく。そして、まるでそうすべきであったかのように少女の太腿にもたれかかった。



「みゃあ」



 いつも通りの濁声を発したのちに、悠長に毛繕いを開始する始末だ。自由が過ぎるが、このマイペースは依頼人の緊張をほぐす。



「あ、あの……これは?」

「すいません。そいつは人懐こくて。依頼人に甘えるんです」



 対象が女性ばかりなのは呆れるがそれを話す必要はない。というか、もっと飼い主に甘えてくれていいのに。



「改めて霊能力者の織成おりなし優太ゆうたと申します。よろしくお願いします」


「みゃあ」


「こちらこそ、よろしくお願いします。私は間柴ましばれいといいます。依頼は両親に相談したうえでさせてもらいました。今日は……その、よろしくお願いします」


「間柴玲さんですね。ところで、そいつが馴れ馴れしくてすいません。猫を同伴しても構わないとは伺いましたが不愉快ではないですか?」



 優太には全く理解できないが、世の中には猫を嫌う人間もいる。依頼人がそうである可能性は否定できない。



「いえ、構わないですよ。うちも昔は飼ってたんです」



 玲が懐かしそうに笑う。



「そうなんですか。きっと可愛かったんでしょうね」

「はい。とっても可愛い三毛猫だったんですよ。そこの写真に写ってる子です」



 玲が壁に掛かった家族写真を指差す。両親と兄妹が映っている。玲の外見からするに撮影したのは五年前くらいだろうか。玲の膝に痩せた三毛猫が丸まっている。三毛猫も含めて全員が穏やかな表情だ。家族仲が良く猫も可愛がられていたのだろう。



……命を全うしたってことかな。穏やかに成仏してくれてたらいいけど)



 猫好きに悪い人間はいない。いないはずだ。優太の持論である。それに、相手が猫好きとわかるとそれだけで高揚する。これは猫好きあるあるだと優太は思っている。



「お茶も召し上がってくださいね」



 目の前のテーブルには湯気立つ紅茶が用意されている。ミルクとシロップが一つずつ付いている。



「ありがとうございます」

「みゃあ」



 ドブが媚びたように鳴くと玲が慣れた手つきでドブを撫でていく。



「みゃあ~~」



 ドブが気持ちよさそうに喉を鳴らす。可愛いのだが、普段は滅多に優太には甘えない。そこが少しだけ歯痒い。さて、それでは本題に入ろう。



「早速ですが悪霊ということでしたので今回は緊急を要するかもしれません。詳細をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」



 茜の助言を思い出す。さて、どんな事情が飛び出してくる?



「……は、はい。兄に悪霊が憑りついているんです」



 玲の表情は真剣そのもの。猫好きに悪い人間はいない。だが、全て真に受けるわけにはいかない。



「詳しく伺ってもよろしいですか?」



 優太は紅茶にミルクとシロップを投入して掻き混ぜた。



「はい。私の兄が間柴ましば紅貴こうきというのですが、真面目で明るい性格なんです。私とは六つ離れているのですが私が高校に通っている時は両親の代わりに送迎してくれたりすることもあったんです。仕事も順調だって言ってました。詳しくは聞いたことはないですけど重要な役割も任されるようになったって。でも、ある日急に兄が会社を辞めてしまったんです」



 それが妖怪の仕業だと? 優太は紅茶を口に含んだ。絶妙な甘さで優しい味がする。優太が低価格で買い込む紅茶よりも上品な味わいだ。



「その……兄は一人暮らしをしているんですが母が電話したり様子を見に行ったりしたんですけど、三ヶ月前くらいから人が変わったみたいになっていて」


「お兄さん……紅貴さんは具体的にはどういう状態なのでしょうか? 何か見えるようになったとか。眠れなくなってしまったとか、ですか?」


「いえ、そうではないんです。投げやりになってしまったというか。電話しても取りつく島がないというか。仕事も辞めたきり家に籠ってしまって…………」



 そこで、玲が言葉に詰まって俯いた。



(仲の良い兄妹だったんだな)



 紅貴を心配する玲を見ていると、純粋に力になりたいと思わされる。しかし、一つ気になることがある。


 本当に妖怪の仕業だろうか?

 単純に精神的な傷を負って会社を辞めたのでは?


 どんな事情があろうと『会社を辞めた引き籠もり』に対して冷たい目を向ける人間は少なくない。『兄が引き籠りになるはずがなく妖怪のせいに違いない』と玲が思い込んでいる可能性もある。



(いけない。先入観はよくない)



 だが、玲が妖怪の仕業だと考えた根拠はなんなのだろう。



「一つお尋ねしても良いですか?」

「はい」



 玲が顔を上げる。ところで、ドブが静かだ。玲の膝元で居眠りしている。相変わらず自由だがそれでこそドブである。



「紅貴さんにも話を聞きながらお力添えをしたいと思います。そこで、参考までに教えていただきたいのですが悪霊のせいだと判断したのはなぜですか?」



 玲が思い出したかのように、はっとする。



「すいません。それを真っ先にお伝えするべきでした。見たんです。母と一緒に兄に会いに行ったときに女の人が一緒にいて。それが普通の女性なら知り合いか恋人だって思えたかもしれません。でも…………」


「でも?」


「見た目もおかしくて。目に包帯を巻いててマスクしてたんですけど、肌が本当に真っ白で鼻がなかったんです。普通の人が包帯とかマスクをしてたとしても顔立ちってわかるじゃないですか。でも、そういうのが全くなくて。なんていうかマネキンの目元に包帯を巻いてマスクさせたみたいな感じっていうか。だから、その…………」



 玲は一呼吸を挟んでから、言い切った。



「のっぺらぼうだと思うんです」

「なるほど。そういうことでしたか」



 とはいえ、のっぺらぼうに包帯とマスクを着用する理由がない。つるりとした顔面よりは見たビジュアルが良くなるくらいだ。しかし、別の妖怪ならばあるいは。



「お兄さんにも詳しくお話を聞きたいですね。ちなみに、除霊依頼の件はお兄さんに伝えてありますか?」

「あ、いえ…………それは、まだです」



 言い辛そうに玲。少し困った。望んで妖怪と一緒にいるなら、紅貴にとって優太は邪魔者でしかない。『余計なことをするな』と門前払いされてもおかしくない。



「わかりました。一つ安心してください。のっぺらぼうだとして、紅貴さんの命に関わるようなことにはなりません」


「そうですか。それは良かったです」



 玲が安堵の息を吐く。不安を取り除けたのなら幸いである。



(まず話を聞かせてもらおう。でも、のっぺらぼうにせよにせよ人間を惑わす性質はないから、仕事を辞めたのは他の理由だと思うんだよなぁ)



 美味な紅茶を口に運ぶ。しばらく堪能したい気もしたがそういうわけにもいかない。



「そういえば、一つお尋ねしていいですか。霊能力者って結構多いと思うんですけど、僕をご指名くださったのはなにかきっかけがあったんでしょうか?」



 除霊依頼は基本的に名家に集まる。信頼があり知名度も高いからだ。四大名家である『おりなし』『ごりょういん』『ほうらい』『むら』を筆頭に、それに次ぐ影響力を持つ六族と呼ばれる名家も存在する。『うらかわ』『たまづか』『ひょうどう』『つき』『きょうらく』『かざまつり』がそうだ。そんな名家ではなく優太に依頼があるというのは非常にありがたいことである。



「実はSNSで見つけたのと知り合いに聞いたことがあって」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「みゃあ‼」



 優太はシンプルに嬉しかった。SNSによる告知が身を結んだこともだが、依頼人から紹介の輪が広がるのが最も効果的で、なおかつありがたい。



「紅貴さんのご自宅に直接伺っても構いませんか?」

「みゃあ‼」



 なぜか玲より早く自信満々で答えるドブ。たまに少しだけ鬱陶しくなる時もあるが、上機嫌なドブはいつも通り可愛い。



「はい。こちらが住所です」

「ありがとうございます」

「みゃあ」



 綺麗な字だ、そんなことを考えながら住所のメモを受け取った。

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