十二話 織成家次女――麻衣――


 白狼を受け止めた麻衣が後退しながら顔を顰めた。



「……ッ」

『どうした⁉ 声も出せぬか⁉』



 美鈴は口の端を歪めて笑った。先の攻防で麻衣のおおよその戦闘力は察した。弱くはないが白狐の攻撃を凌ぐのに余念がない様子。霊力もそれほど大きくないようだ。



(なれば、もう一体は猫又の追跡に使おうかの。妾の存在を知る者は生かしておけん。信じられんが猫又と霊能力者は合意の上で憑依を使っておったようじゃし…………)



 美玲は雪女の中でも強者の部類に入るが、自身の力を過信していなかった。『同族喰らい』で力を蓄えながらも敵は容赦なく徹底的に潰してきた。霊能力者泣かせなことに、美玲は強者でありながら用心深い性格であった。



『グルゥ……グウゥ……ッ‼』

『……?』



 麻衣に突撃させた一体が苦しそうに呻いていることに気づく。肩に大きな切り傷ができている。

 

 負傷、なぜ?

 まさか交錯した一瞬のうちに?



『ほぅ。雑魚ではないようじゃ。よかろう。本気を出してやろう。まずは貴様からじゃ』



 右手を前方に翳す。二体の白狐がじりじりと動いて麻衣を囲む。麻衣は三者を注意深く観察していた。その表情に余裕はない。なるほど、一対一に強いタイプだと予想される。美鈴は笑みを深くした。



『怖がるでない。一瞬で決着をつけてやる』

「それで……結局あなたも眷属なの?」

『強がりはよせッ‼』



 美鈴は雪女の十八番おはこを発動した。美鈴の手元、そして白狐の口蓋から極寒の冷気が放出される。


 それは『氷雨ひさめ』と呼称される妖術。こおりつぶてを内包した冷気を放出する術式である。本来なら人里では威力が出ないが『同族喰らい』で妖気を蓄えた美鈴ならば、人体を貫通する程度にはなる。


 がしはしない。そもそも刀は面攻撃の防御に向かない。しかも、今回は白狐を使って三方向から氷雨を発動している。防ぐ術はなく、美玲が負ける要素は存在しない。



『妾の氷雨ひさめで死ねることを光栄に思えッ‼』



 出力を上げる。何名もの霊能力者を葬ってきた技だ。氷礫がぶつかり合う。冷気が重なり合い地面がぶ厚い氷に覆われていく。刀や鎖鎌で礫を弾いたとて、凍てつく冷気は防げまい。今頃氷漬けになっているだろう。美鈴は勝利を確信して、高らかに笑った。



『ふふっ……ふははははッ‼ どうすることもできまい。自分が強いと勘違いしている霊能力者を屠るのは愉快じゃ。前にも貴様のような馬鹿を殺して喰らってやったわ。貴様もしっかりと喰らってやる。ふざけた猫又も逃げた霊能力者も――』



 殺して魂を喰らってやる。

 そう告げようとして、目を疑った。



 突如、落ちたからだ。

 氷雨を放っていた白狐の、首が。



『なッ……‼』



 驚くのも束の間、今度はもう一体が真っ二つに分断されて氷雨が止まる。



『馬鹿なッ……⁉ なにが起きておる⁉』

「わからない?」



 正面から平坦な返答があった。氷雨を受けながら眉一つ動かさない麻衣がそこにいた。そのまま平然と一歩ずつ歩み寄ってくる。



『無傷じゃと……あり得ないッ‼』

「雪山でも私の方が強いから」



 麻衣の纏う霊力が一気に跳ね上がる。



『ぐっ……く…………』



 その強大さに腰を抜かしてしまう。蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなる。



(なんじゃ⁉ このとんでもない霊力は?)



 美鈴は知る由もなかったのだ。麻衣が四大名家の一角たる織成家の人間であり、その中で三指に入る実力者であるということを。同族喰らいを重ねても、雪山で対峙しても勝負にならない格上であることを。しかし、それを認めるわけにはいかない。受け入れれば打つ手がなくなってしまう。



『そんなはずはないッ‼ それほど強ければなぜ隠した⁉ 最初の一撃で白狐を仕留めなかったのはなぜだ⁉』

「聞いたでしょう。眷属なの? って」



 頭を殴られたような衝撃。まさか、そういうことなのか。同族喰らいで力を蓄えた自分を本気で眷属だと疑ったというのか?



「近くに本命がいるかもしれないから様子を伺うために手加減した。だけど、気配はなかったし、自分を『わらわ』なんて大仰に言う妖怪は眷属じゃないって思った。だから、手加減を止めた。それだけよ」


『妾が弱いと言いたいのかッ!?』


「事実よ」



(弱いじゃと。同族を喰らい妖気を溜め込んだ妾が!?)


 

 ふざけるな、美玲は思った。ここまで虚仮にされたのは初めてだ。雪山の妖怪どもを掌握して同族喰らいによって力を増して、霊能力者さえも屠ってきた自分を弱いなどと無礼の極みだ。同時に、かつてない屈辱に腸が煮えくり返る。しかし、今敵わないのも事実。ならば、逃げあるのみだ。そう決断したところで、



「斬鉄」



 麻衣が呟き――――視界が、ぶれた。



(…………?)


 

 麻衣が刀を振り抜いている。鎖鎌が意志を持った蛇のように鞘に巻きついていく。



 何をした?

 ところで、地面が低い? 

 というよりも、



 



『……は?』



 美鈴は素っ頓狂な声を上げた。そして、それが彼女の最期の言語となった。



「イライラする。霊装術が使えたらユウがあんたみたいなのから逃げるわけないのに」



 刀が鞘に納まる澄んだ金属音。不愉快そうな麻衣の声。その真意はわからない。というよりも、そもそも自分の置かれた状況が意味不明だった。視線が異様に低いのだ。体を動かしている感覚はあるが――いや、駄目だ。身体も、妖気も、操れない。どうしてしまったのだ。確かめようにも首が地面に落ちたまま動かせない。



(おのれッ…………‼ ほのかは……あの、のろまは……どこじゃ⁉ あいつを喰らえば、まだ…………)


 

 美玲は強い雪女であり、その性根は利己的で典型的な雪女のそれであった。『同族喰らい』に微塵も後悔はない。全ての妖怪は自らの糧となるために存在している。美玲は本気でそう考えていた。そんな美玲に、麻衣は慈悲の一つも寄越さなかった。



 麻衣が霊装術を操り、日本刀と鎖鎌を一体化させて長物となった刃で美玲の首を落とした。それが美玲に起こった事象だった。その事実を美玲は把握できなかった。そして、現実を認識するより速く消滅する彼女にその機会は永久に訪れない。

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