十三話 純情の雪女③



(着いたッ‼ とりあえず学校だ)



 美鈴から逃げ切ってからも肉体強化をフル活用して学校に到着した優太は疲労困憊に近かった。しかし、文句を垂れている暇はない。迅速に霊符を解除する。



『ほのかちゃんッ!?』

『ぅ……ぁ…………』

『…………ッ?!』



 ひどい有様だった。胴体には横幅の三分の一に相当する大穴が空いていて、首の半分がなくなっている。


 人間なら死んで当然だったが人体と霊体は勝手が違う。だが、それでも回復は無理だ。今回は霊魂がどうしようもなく損傷していて妖気漏れを防ぐ手立てがない。言わば、大穴が空いた風船のような状態だった。



『ごめん……な、さい』



 ほのかが涙を浮かべながら謝罪した。



『どうして、謝るの?』



 優太はせめて妖気漏れが遅れるように施しながら尋ねた。



『行ったら……駄目って、知ってたのに……累君が、まどかちゃ…………と、一緒にいて…………それで、怖く……なって」



 ほのかの両眼から涙が溢れる。



『…………ほのかちゃんか謝ることじゃないよ。一人にした僕のせいだ』



 ああ、最悪だ。



 優太は自分を殴り飛ばしたくなった。ほのかが穏やかな気持ちで成仏できるように協力するつもりだったのに。



 塁を好いている女児の存在やほのかの嫉妬心を予想できなかった?

 確かにそうだ。だが、だからどうした?


 

 ほのかは傷つき、間もなく消える。

 それが結果だ。そして、全てだ。

 その結末を招いたのは紛れもなく優太だ。



 馬鹿野郎が。

 絶対にほのかちゃんのせいじゃない。

 この事態を引き起こしたのは自分お前だ。



 自分を戒めたくなる。しかし、今ではない。ほのかに刻一刻と終わりが近づいている。今は過程も関係ない。ほのかが最期に望むことはなんなのか。自分にはそこに寄り添う責任がある。


 望みの成就にかかわらず、ほのかの魂は天に召される。依頼主でもないほのかの意に沿う義理も責任も、本来なら優太には発生しない。しかし、理屈ではない。優太は心の底から、手を差し伸べたかった。



『ほのかちゃん。気づいてると思うけど、もう時間がない。僕にしてほしいことない?』


『私、言うこと……聞かなかったのに、いいんですか?』



 ほのかが泣きながら優太を見上げる。



『……ッ‼ もちろん‼』



 ほのかの申し訳なさそうな泣き顔を見ていると、目の奥から熱いものが込み上げてきた。知り合ったばかりだが、素直で純情な良い子だった。だからこそ、せめて未練の少ない最期を迎えてほしかったのに。そう思うと、視界がますます滲む。



『一つ、聞いて……いいですか?』

『うん。なに?』

『生まれかわりって……あり、ますか?』

『うん。あるよ』



 優太は涙を押し込めて笑った声で伝えた。



『家族と……塁君に、また……会え、ますか?』

『会えるよ。絶対に会える。必要なら僕が家族や水上君のところまで連れて行ってあげるから安心して』



 前世の記憶を持って生まれたと証言する人間は存在するが真偽は不明だ。だが、ほのかなら生まれ変わって家族や塁と再会できるに違いない。むしろ、再会できないなんて嘘だ。優太はそう願いたかった。



『ありがとう……ございます。よかった……です。でも、その……やっぱり、家族と累君と話したいです…………』

『わかった。ちょっと待ってて』



 その可能性は予期していた。だからこそ、肉体強化を駆使して学校を目指したのだ。速攻で教室に向かう。妖気漏れの処置を済ませたので、ほのかはもう少し持つはずだ。



 校舎に飛び込んで、一年三組に向かう。授業中だったが身体強化を使用してドアをこじ開けると、教師や生徒には目もくれず累の霊感を引き上げて念話で怒鳴りつけた。



『水上累ッ‼︎  来いッ‼︎ ほのかちゃんが君を呼んでるッ‼︎』



 突如、教室に現れた猫。頭に霊符を巻いて左腿にゴムバンドを装着した茶虎猫。



「なんか頭に巻いてる?」

「え……野良猫?」

「てか……ドア開けなかった?」



 教室がざわつく中で累が目を丸くして優太を見た。



「ほのちゃん? ど、どういう――」

『時間がない‼ もう時間がないんだッ‼』



 説明の時間も惜しい。これは一種の賭けだった。しかし、累の行動は速かった。



『行きますッ‼』



 席を立ったのだ。



『急げッ‼』



 そのままほのかの待つ場所へ。ほのかの妖気は消えかけていたが、まだ確かにそこに存在していた。



『ほのかちゃん‼ 連れてきたよ』

『累君……?』

「ほのちゃん?! 一体、何が……だって」

『とにかく今はほのかちゃんの話を聞いてあげて‼』

「……ッ‼ はい」



 累が困惑した顔でほのかと優太を見比べる。累の混乱は至極真っ当である。人語を話す猫が教室に現れたと思ったら腹に穴を開けて首を負傷した、死んだはずの恋人が横たわっているのだから。ほのかがぼんやりした瞳で累を見る。



『累君……ごめんね……私、死んじゃった』

「……ッ‼」



 累が沈痛な表情でほのかを見つめた。降りかかった混乱以上にほのかの様子が衝撃的だったのだ。しっかりと目を合わせて次の言葉を待つ。



『私より……可愛くて優しい子……いないと思うけど……幸せ、にね』



 ほのかが微笑む。涙を溢しながら。

 ああ、すごいな。

 優太は思った。自分が消滅する間際にほのかこの子はこんなふうに優しく人を思いやりながら笑えるんだ。



「何言ってるのッ? 嫌だよ、ほのちゃん。これからも、一緒にいようよッ‼」



 累もまた、涙を浮かべる。しかし、ほのかは小さく首を横に振った。



『私、前から……好き、だったんだよ……』


「僕も、僕も好きだよ‼ 僕だって、本当は前から好きだったんだ。でも、告白する勇気がなくて、だから……ほのちゃんから告白してくれて、本当に嬉しかったんだッ‼」

「そう、だったんだ……嬉しい、な」



 ほのかが満足したように笑う。

 優太は少し複雑な心境だった。まどかという女子生徒と累が一緒にいる光景を見てほのかは苦しんだ。ならば、文句を言ったっていい。自分が死んだばかりなのに他の女子と仲良くするなと不満を漏らしてもバチは当たらない。


 しかし、ほのかはそれを呑み込む選択をした。それが彼女なりの優しさなのか。もっと自分本位でもよいと思うが、口を挟むつもりはない。それかほのかの意思ならば。あとは、できることなら家族と会わせたかった。そんなことを考えた優太の目の前で奇跡のような出来事が起こる。



「ほのかっ‼」



 三十代と思しき線の細い女性が叫ぶ。



『お、かあ……さん?』

「今行くわッ‼」



 女性がほのかに駆け寄る。優太は事態が飲み込めない。


 偶然駆けつけた?

 あり得ない。



 しかし、女性と共にこちらへ向かってくる麻衣の姿を見て疑問が氷解する。麻衣は優太の隣に立つと、事情を説明してくれた。



「ユウが共鳴石を使った時に電話したの。『不測の事態だから今すぐ学校に来てください』って。来ないと話せないまま成仏することになるかもしれないって。それで、雪女を除霊して戻ってる時にちょうど会ったから」

「そうだったんだ。ありがとう」



 霊感がない母親が念話できているのも麻衣のおかげなのだろう。麻衣には感謝しかない。雪女を無傷で除霊したのもさることながら、共鳴石の使用を受けてすぐ連絡する機転もさすがとしか言いようがない。



「ほのかッ‼ 一緒にいてあげられなくて、守ってあげられなくてごめんねッ‼ 」


『……なんで、お母さんが……謝る、の?』


「謝るのッ‼ あなたを守れなかったお母さんが悪いのよッ‼ 」



 事故当日、母親は病院に行っており、非はなかった。それでも自分を責めずにいられないのだ。それが母親というものだ。



『……う……ぁ…………』


「ほのかッ‼ ほのかッ⁉」


『あれ……お……かあさ……? おう……ち?』



 意識が混濁しているのか、ほのかの発言は噛み合わなくなっている。



「……ッ‼ そうよ。帰りましょ‼ あなたが好きなグラタンとプリンを作ってあげる。お父さんも休みを取るから一緒に出かけよう? お兄ちゃんも一緒よ?」



 ほのかの母親が顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いている。ほのかはそんな母親の目尻に手を伸ばした。もう、時間がない。そのことは彼女が一番よくわかっていた。ほのかは、だからこそ最期の力を振り絞った。



『おか……あ、さん…………好、き……」

「私もよ‼ 私もほのかのことが大好きよッ‼ 愛してるわッ‼」

『おか……さ……の、こど……も……で……よかっ……た…………』

「ほのかッ⁉︎ 駄目よ。待ってッ‼」



 母親がほのかを抱きしめる。ほのかが母親と塁と最後に優太を見て、小さく手を振った。そして、向日葵のように柔らかい笑顔で笑う。それが最期だった。ほのかの全身が優しい黄金色に包まれて天に立ち消えていく。



 その光景を見た優太は――




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