十話 相棒で、家族で、親友のような存在だから


 学校に到着した優太は、すぐにその異変に気がついた。



(ほのかちゃんがいない⁉)



 窓から教室を眺めていたのに姿が見えない。授業に参加しているわけでもない。



(一人でどこに…………別の雪女の匂いがする。まさか『美玲』か? どうしてだ? いや、この際どうだっていい。連れ去られたなら、まずいッ‼)



 ほのかを捕食するつもりだ。

 急がなければ‼


 幸い匂いで行く先は追える。優太は共鳴石に霊力を込めた。共鳴石を砕くことで麻衣に異変を伝えたのだ。麻衣は位置情報GPSで優太の位置を捕捉することもできる。


 優太は肉体強化を施してほのかの追跡を開始した。安否は気になるが合流が先決だ。そうして行き着いたのは、様々な樹木が生い茂る人里を離れた奥深い山。



『ドブ、急ぐよ‼』

「みゃあ」



 山道を駆け上がる。恐らく雪女と対峙することになる。選択肢は一つだけである。



(ほのかちゃんを連れて逃げる。麻衣ちゃんにもらった霊符が役立ちそうだ)



 怖くないと言えば嘘になる。優太と雪女の戦力差は自転車と大型トラックほどの開きがあるだろう。ぶつかり合えば必死ひっし。ドブの命も危うい。ほのかを諦めるのも、ドブを死なせるのも嫌だ。ならば、相応の立ち回りが必要だ。



(匂いが強くなってきた。あの社か。ほのかちゃんッ‼)



 そして、優太は目の当たりにする。青い着物姿の雪女――美鈴――がほのかの首筋に噛みつき、その右腕がほのかを貫通している、そんな光景を。




『――――ッ‼』




 絶句した。同時に頭の中が怒りで真っ白になった――のだが、理性がぎりぎり持ち堪える。不用意に飛び出しても捻り潰されるだけだ。



(ほのかちゃん!? くそッ‼︎ なんでこんなことにッ!? 違う。落ち着け。大丈夫だッ‼︎まだ、間に合う)



 優太は死角から接近して頭部に巻きつけた霊符をほのかに押し当てた。結果、ほのかが一時的に霊符に封印される。


 ほのかは消失間近だった。優太の見立てでは数分もつかどうか。霊符内では妖気が洩れないので多少の延命――妖怪に延命という表現が適切かどうかはさておいて――にもなる。ともかく、安全な場所へ。優太はバックステップにて距離を取った。



 着地、同時に対峙。



 その瞬間、肉体が凍り付いたような錯覚を覚えて表皮が粟立った。遅れて、全身の体毛が逆立つ。一瞬で理解した。美玲の力は雪女の中でも上位だ。麻衣はともかく優太では話にならない。雪女がじろりと優太を睨みつける。



「なんじゃ貴様? 珍妙な格好をしおって」

『――――ッ‼』



 返答はできなかった。心臓が早鐘のように脈打ち、息苦しいほどだ。

 


(これは駄目だ。本気で駄目だ)



 逃げろ。本能が警鐘を鳴らす。唯一の救いは優太に強者への耐性が培われていたことだった。その証拠に身体は強張っているが思考力は失われていない。



 より確実にこの場から離れるにはどうするべきか。冷静に思考できている自分がいた。そんな優太を見て、美鈴の表情が歪む。



「猫又か……いや、それだけではない。妖気と霊力が混在して……まさか憑依か?」



 目に見える動揺。憑依は脆い霊術だ。それを、腐っても妖怪たる猫又が受け入れている。それが美玲には信じ難かったのだ。そして、その動揺は美玲の注意力を散漫にさせた。つまり、優太の好機となった。



(いざとなったら使うつもりではいた。動揺してる今なら、当たるッ‼)



 優太は右前足の数珠に霊力を込めた。数珠に施された封印式を解いたのだ。同時に高らかに叫ぶ。



降雷こうらいッ‼』



 封印式内部で暴れ回っていた術式が、一気に外界へ放出される。それはまさに一瞬。まばゆい雷光が優太の前方で炸裂して美鈴を呑み込んだ。



 カッ‼


 

 轟音が放たれたのちに、前足の数珠が砕ける。この数珠はがあらかじめ封入した術式を任意に放つことができる優太の奥の手であった。難点は使い切りで本来よりも威力が落ちること。滅多に手に入らず値段は優太のおよそ十日分の除霊料に相当するが、そんなことは言っていられなかった。必死な優太の頭からは損得勘定の概念など抜け落ちていた。



 今回放ったのは雷属性の高等霊術――降雷こうらい――だ。


 しかし、その戦果を確かめる前に優太は逃亡を開始した。



『ドブ‼ 逃げるぞ‼』

「みゃあ」



 ダメージは相当なものだろう。しかし、悲しいかな。優太は美鈴に通用する追撃手段を持たない。初手速攻で混乱しているだろうが、仕留めるのは不可能。逃亡するのは最初から確定事項だった。


 逃げるのも立派な戦略だ。優太は思う。そもそも有効打を持っていないのだから勝負も糞もない。

 

 望む結果を得られるなら手段は選ばない。必要なら躊躇わず逃げる。そういう意味では優太は徹底した効率主義者であった。それに今回は制限時間ほのかの消滅が迫っていた。頭に巻き付けた霊符で保護したほのかのためにも、まずは逃げ切るのだ。



 乾いた落ち葉を踏みつけて緩やかな斜面を猛烈な速度で下っていく。

 

 降雷が火種となり山火事が起きる心配はない。霊術には霊体や霊魂のみに作用する霊体術式と現実に物理的にも作用する実体術式が存在しており、降雷は前者だった。かりに山火事が発生したとしても今の優太にそれを心配できる余裕はなかったが。



(このまま、逃げ切りたいけど――)



 その希望はすぐに打ち砕かれる。



『不届き者がああああッ……‼』



 後方で怒気を孕んだ叫び。悪寒を覚えた優太は『結歩』――結界を足場にする移動術――で跳躍した。結界に着地しながら眼下を確認すると大地の表面が凍り付いている。実体術式で優太の足を鈍らせようとしたのだろう。油断のならない相手である。



(すごい妖気だ。けど、さすがにこれだけ距離があれば…………)



 希望混じりの推測。しかし、そうは問屋が卸さない。美鈴の匂いが急接近してくる。



(位置を把握されたのか。さっきの霊術に仕掛けが? どんどん近づいてくる)



『ドブ、加速するよ‼』

「みゃあ」



 さらに肉体強化を。持続力を犠牲にしてでも加速を取る。十分じゅっぷん持てばいい。優太は時速八十キロメートルに差し掛かろうとしていた。にもかかわらず妖気が迫ってくる。



『化け物かッ⁉』

「みゃあ」



 一瞬振り返ると白い狐らしきものが背後に迫っていた。それは美鈴が妖気で形成した使い魔である。



(近づいてきたのはこれか。大規模な妖術だけじゃなくて、こんな芸の細かいこともできるのか)



 敵ながらその汎用性が羨ましい。白狐はくこが優太目掛けて襲い掛かる。



『くっ……‼』



 咄嗟に結界で防ぐ。棍棒で殴られたような鈍い感触が結界越しに伝わってきたが持ち堪えた。突破できなかった白狐が忌々しそうに結界を睨む。



『愚弄しおって。許さんぞッ‼』



 白狐はくこが口を開く。どうやら美鈴の意思を伝達できるらしい。ますます芸が細かい。しかし、感心している暇はない。改めて突進してきた白狐を再び結界で防ぐ。しかし、防御しながらも全力の逃亡を継続する。



『おのれ霊能力者…………貴様もじゃ、猫又ッ‼ 妖怪となってなお人間に媚びへつらうというのか⁉』


「みゃあ」



 ドブが普段通りの濁声を発した。美鈴はそれを挑発と受け取ったらしい。



『なぜだ⁉ 拒むのは容易であろう。その男に命も肉体も差し出すのかッ⁉』


「みゃあ」


「貴様正気かッ⁉ 妖怪としての誇りはないのか⁉」



 背後から迫る白狐の目が怒りで血走った。美鈴の言い分も理解できる。常識的に考えれば憑依を当たり前のように受け入れるドブが異常なのだ。



『お前を利用されておるだけじゃ‼ 妾の言葉は通じておるのだろう?』


「みゃあ」


 

 美玲の声色はやけに聞き心地がよい。妖気特性である。優太は霊力を巡らせて惑わされぬよう抵抗を開始してひたすら逃げる。



『お主が命を落とせばお主は死ぬ。しかし、その男は憑依が解除されるのみ‼ お主は捨て石にされておる‼』


「みゃあ」



 その指摘は一部事実だ。仮にドブが死んでも優太は本体に意識が戻るだけだ。そういう意味ではドブを捨て石にしているという見方もできる。勿論、優太にそんな意思はない。


 むしろ、真逆の発想だ。ドブの安全は最優先であり命を落とすもしくは後遺症が残るような怪我を負ったら優太は霊能力者を引退すると決めている。



(ドブが僕に非協力的だったら逆に霊能力者をきっぱり諦めてるよ)



 目に見えず言葉も交わせず確かめようのないドブの、優太に対する信頼。それが前提条件となる脆い霊術――憑依。憑依なくして優太が霊能力者として価値を示すのは難しい。優太の霊能力者人生はまさにドブ次第。そんなドブを無下に扱うなどありえない。ドブが憑依を拒んだとしもそれは変わらない。



 ドブは唯一無二の相棒であり家族であり親友でもある、そんな存在なのだ。



 優太にはそうやってドブと積み重ねてきた日々がある。ゆえに、今さら美玲の言葉に心が揺れることもない。


 

 優太はほのかを守りたい、そのために必要なのはドブを信じて憑依を駆使することだ。



『聞く耳持たんか。絆されおって…………』

「みゃあ~」



 美鈴は説得を諦めたらしい。構わず全力で山道を下っていた優太はその時、新たに接近する妖気に気がついた――

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