五話 事故現場へ
片側二車線の道路が混ざり合う交差点。視覚的に目立つのは全国チェーンのコンビニエンスストア。それと対角線上に位置する歩道に沿って作られたガードレールに、死者を悼む献花が並べられている。
(ここが事故現場か)
事故が発生したのは一週間前だ。添えられた花々は瑞々しさを欠いている。優太は黙禱してから腰を落とし両手を合わせた。隣の麻衣も同じように腰を落として手を合わせる。
「みゃあ」
ドブが心なしか悲しそうに一鳴きする。ドブなりに亡くなった少女を悼んでいるのだろうか。しかし、浮遊霊は見当たらない。
「いないみたいね」
「目撃証言もここだけじゃないんだよね?」
「ええ」
そうなると、別の場所にも赴いた方が良さそうだ。
「亡くなった女の子の名前は藤原ほのか。死因は交通事故。運転手は真面目な性格で、運転が荒いわけでもなかったけど高齢の母親が倒れて病院に運ばれたらしくて当日かなり焦ってたみたい。それでほのかちゃんと衝突してしまったみたい……」
麻衣が献花を見つめながら呟いた。その瞳には悲哀の色。
居た堪れない、優太は思う。
運転手も事故を望んでいたはずはなく同情もする。しかし、どんな事情にせよ『ほのかちゃん』を殺めても仕方がないと割り切れるわけもない。命とは唯一無二で、どのような事情を持ち出しても太刀打ちできないものなのだ。
嫌だな、とも思う。
誰だって幸せになりたい。事故で死にたい人間も殺めたい人間も存在しないはずなのに、どうしてこんな形で命が失われてしまうのだろう。
「余計なこと考えてない?」
「……どうして?」
「わかるから。でも、ちゃんと仕事して。考えたって仕方ないこともあるでしょ。それに『ほのかちゃん』を思うなら早く成仏させてあげるべきだと思う。違う?」
麻衣が優太を一瞥する。棘があるようにも聞こえるが至極真っ当な意見だ。
「大丈夫。わかってるよ。今から憑依して探すから。心配してくれてありがとう」
「心配してない。腑抜けた顔されたら鬱陶しいし。支障が出て怪我されても困るから」
それを心配と呼ぶ、優太の認識ではそうなのだが言い争いたいわけではないので憑依の術式を発動した。体内の霊力を練り上げて印を結ぶと、
「破ッ‼」
視点が切り替わりうつ伏せの高さに目線が来る。
『ドブ、体を借りるよ』
「みゃあ」
ここで拒否されたら困るのだが問題なかった。ちなみに優太の本体は麻衣が霊装術を施した鎖鎌で支えている。一部の鎖は露出しているがほとんどは白衣の下に隠れていて、端から見ても違和感はない。
(痛んだ献花。それからコンクリートの雑多な匂い。あと、イチゴのシャンプー……麻衣ちゃんか。この匂い良いよなぁ。面と向かって言ったことはないけど)
霊嗅覚を働かせて匂いを嗅ぎ分けていく。
そして、
(これは…………ッ‼)
思わず顔を顰めた。
「どうしたの?」
「いや、確証はないんだけど――」
そう言いつつ、鼻先で感じ取った不吉な予感を説明する。麻衣は小さく頷きつつも眉間に皺を寄せた。
「そうかもとは思ってたけど」
「気になるって言ってたのはこれのこと?」
「ええ。見つけられる?」
「うん。案内するよ」
匂いの方向へ進む。交差点から二百メートルほど進んで住宅地に入ったところで路地を右に曲がる。目の前に現れたのはなんの変哲もない公園だった。俗に言う出勤時間なので当然ながら人の姿もない。
だが、公園左奥のブランコに目的の少女がいた。
(ああ……やっぱりか)
優太は麻衣と頷き合う。薄い水色の着物を着た可愛らしい少女だった。髪をツインテールにしているのがとても似合っている。
『こんにちは』
声を掛ける。少女は一瞬優太(ドブ)を見たもののきょろきょろと周りを見回して、最終的に優太の本体を見ながら首を傾げた。その挙動は外見年齢と相まって可愛らしい。
『あれ? 男と人の声が。でも、猫ちゃんの方から声が聞こえたような……』
『それ、僕だよ』
念話を使いつつ右前足を振ってみせる。少女の反応は劇的だった。
『すごい‼ 猫がしゃべってる⁉』
目をまんまるにしながら優太を見つめる少女。微笑ましい、優太は思った。しかし、現在の状況が、優太に気楽な感想を許さない。
『まあね。自己紹介するね。僕は織成優太。憑依っていう霊術で猫の身体を借りているんだ。猫の名前はドブ。こちらは織成麻衣さん。君の名前を教えてくれないかな?』
「みゃあ」
『ほのか、です』
『ほのかちゃんだね。よろしく。実は君を探してたんだ。家族から相談されててね』
『…………霊能力者さんですか?』
面食らう。憑依したと説明したとは言え、そんな質問は自身の状況を理解しているか少なくとも予想してなければ出てこないのではなかろうか。つまり、ほのかはなんとなく自分の状態を察している?
『うん。君の言う通り霊能力者だよ』
『そうなんですね…………私を成仏させるんですか?』
ほのかが顔を暗くする。考えていることが顔に出やすいようだ。そういう素直で純粋な反応を見せる幼い少女を、成仏させるのは少しだけ心苦しくもある。
『うん。そのために来た。でも、安心して。成仏は苦しめるためのものじゃない。このままだと、もっとひどいことになる』
『……やっぱり私、死んでるんですよね?』
『……うん』
優太は優しく告げたのだが、ほのかの瞳が今にも泣き出しそうに潤んだ。
しまった、と優太は思った。
ほのかの受け答えが思いのほかしっかりしていたので、物分かりの良い成人を相手にしたような応対をしてしまった。
彼女は享年七歳で、年端のいかない少女で、自分の死を受け入れるには若すぎる。それらの事実を優太は失念していた。
ふと、視線を感じて麻衣を振り返る。鋭い目つきで優太を睨む二つの瞳があった。麻衣は口調こそきついが面倒見が良く子供にも優しい。そんな麻衣に言わせれば間違いなく優太は対応を誤ったのだ。
(弱ったな……)
泣かせるつもりはなかったのに。どうしたものか、そんなことを考えているとほのかが予想外の反応を見せる。悲しみを吹き飛ばすようにぶんぶんと頭を振ってから、尋ねてきたのだ。
『事情はわかりました。でも、少しだけ待ってもらえませんか?』
『……え? ああ、うん』
思わず気の抜けた返事をしてしまう。
事情を理解した?
まだ幼いのに?
物分かりが良すぎやしないか?
利口な子だったとは聞いていたけど。
『僕も今すぐとは思ってないよ。事情を聞きたいし。でも、どうして少しだけなの? それに、除霊の話には驚かないんだね?』
『死んでるってことはなんとなくわかってたので。それに、いろいろ教えてもらいました。少しだけ待ってほしいのも、アドバイスをもらったからなんです』
『アドバイス?』
『はい。まだ生き返れるって』
雲行きが、怪しくなってきた。
『…………そんなふうに言った妖怪がいるのかな? どんな外見だった?』
『とても綺麗な人でした。美玲さんて名乗ってました』
『青い着物を着てた?』
『はい。お知り合いですか?』
『違うんだ。でも、知ってる』
なるほど、優太は納得した。
そういう手口で浮遊霊を懐柔するわけか。
『もう一つ聞いてもいいかな? ほのかちゃん着物を着てるけど、そういうの好きなの?』
優太の発言にほのかが自らを見回した。
『あ、あれ? 気付きませんでした。私なんで着物を着てるんでしょうか?』
ああ、やはりそういうことなのか。
匂いに気づいた時、青い着物を見た時、そうだろうとは思ったが憤りを覚えずにはいられない。ほのかは、もはやただの浮遊霊ではなくなっている。
彼女は、すでに、雪女だった。
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