六話 もしかしたら…………そうかな、って思ってました



『あ、あれ? 気付きませんでした。私なんで着物を着てるんでしょうか?』



 ほのかの言葉に胸が苦しくなる。彼女に伝えなければならないからだ。


 雪女の性質や同族喰らい、眷属にされた背景。平たく言えば、雪女の『美鈴』とやらに利用されたという事実を。



『……ッ』



 突然の死、戸惑いの中で示された『生き返れるかもしれない』という希望。紛れもない光。それがまやかしだと告げなければならないのか。



『ほのかちゃん。その、さ…………言いにくいことなんだけど』


『はい?』


『…………』



 言葉に詰まる。優太の返答を待っていたほのかは、次第に暗い顔になっていった。



『もしかしたら………そうかな、って思ってました。でも、やっぱりそうなんですか?』



 本人の中にも疑いの芽があったのだろう。それに応えないのは不誠実だ。



『うん…………生き返るのは無理だ』

『……ッ』

『…………』



 冷静に考えれば当然だ。通夜も葬式も終えており、霊魂のみ現世を彷徨っているのだから。復活できようはずもない。しかし、浮遊霊となり孤独と途方に晒されたなら唆されても無理はない。そんな心理を利用した雪女を憎みこそすれほのかを責めるつもりもない。


 俯いて肩を小さく震わせる、ほのか。



(ほのかちゃん…………)



 ほのかをしばらく見守ってから、優太は麻衣を見た。視線に気づいた麻衣が小さく頷いた。意図を察した優太は心中で麻衣に感謝する。



『ほのかちゃん……生き返らせるのは無理だ。でも、少しだけなら最期に家族と話をさせてあげられるよ』



 ほのかが顔を上げた。泣きそうな瞳が優太のそれと交わる。



『本当ですか?』

『うん。十分じゅっぷんくらいなら』



 人間の会話は妖怪には聞こえる一方で、妖怪の声は人間や生物には届かない。だが、念話という意思疎通を使えば話が変わる。霊能力者の協力があれば一般人でも一時的に念話を使うことも可能となる。



 とはいえ、霊魂を念話のためだけに現世に引き留めるのは本末転倒なので優太は最大で十分じゅっぷんまでと定めている。


 対話目的――除霊の成否に影響を与えない――で念話を使用するのを嫌う霊能力者も多いが麻衣はどちらだろう。共同除霊では見過ごしてくれるので容認派なのかもしれない。



『家族とあともう一人話したい相手がいるんですけど、できますか?』



 家族とは別にもう一人十分。優太の中では許容範囲である。



『いいよ。友達かな?」

『いえ、その……彼氏です』

『……え? ああ、彼氏ね』



 思わず硬直してしまった。



(え……彼氏? 七歳だよな。最近の小学生ってすごいな。進んでるっていうか……)



 今年で二十四歳になったが女性と交際経験のない優太なりの感想だった。しかし、思い込みや先入観は理解を妨げるものだ。



『死ぬ前日に告白して、付き合うことになったんですけど、ちゃんとお別れしたくて』



 ほのかが寂しそうに笑い、優太は自身の偏見を恥じた。どうせ子供同士が『好き』と言い合っているだけだろうなどと見くびることもしたくない。そういう側面が事実として存在しているかもしれない。だが、彼女は恋をして、それが実ったのだ。


 心と体が成長するにつれて恋心が育まれる未来があったかもしれない。そんな予想図が潰えた。閉ざされた。だからこそ、ちゃんと終わらせたいのだ。



(そういうことなら僕は、その意思を尊重したい)



 しかし、学校に赴き彼氏と念話させてから家族と対面したのちに除霊となると時間がかかる。優太は構わないが忙しい麻衣を付き合わせても良いものか?


 優太は麻衣を見上げた。そこで口を開く前に、



「お人好し……別にいいけど」



 麻衣が腕を組みながら呟いた。優太は麻衣の、そういう優しさが結構好きだ。



『ありがとう』



 感謝を述べてから、ほのかと向かい合う。



『事情はわかった。いいよ。相手はほのかちゃんと同じ学校かな?』


『……はい』



 ほのかが頷いた。残念だがほのかの除霊は避けられない。しかし、別れの時間を作ることはできる。


 ならば、せめてそれだけでも――






 優太はほのかの小学校を目指していた。憑依は解除しており三名の足元にはドブが付随している。優太は道中で雪女の特性についてほのかに共有した。浮遊霊を雪女へと変貌させて自らの眷属とし捕食する『同族喰らい』のことを。



『つまり、その……美玲さんは私を……?』

「うん。食べるために雪女にしたんだ」

「みゃあ」



 ほのかが両目を見開いて狼狽る。



『優しかったのに』


『嬉しかったし心強かったと思う。でも、君みたいに優しくて素直な子を利用しようとする妖怪なんだ』


『そう、なんですね…………』



 ほのかが俯く。信じていた相手から裏切られるのはこの世でもっとも辛いことだ。その傷は簡単に癒えない。そして、優太は傷心した者を見て見ぬふりができない性格だった。



「みゃあ」



 ドブも優太と同じ考えなのか、ほのかに擦り寄って優しげな声で鳴いている。優太はドブのそういう、優太以外には優しいところも実は結構気に入っている。



「ほのかちゃん。いろいろ思うことがあるよね。でも、これだけは信じて。僕は君に最期まで穏やかで幸せな時間を過ごしてほしい」

「みゃあ」



 優太の本心だった。

 ほのかは小声で、しかし確かに頷いた。



『はい……』



 それから、しばらく会話が途切れたが学校に到着して沈黙が終わる。



『着きました』

「ここがほのかちゃんの学校か」

「みゃあ」

「…………」



 三名と一匹が校門を前にして立ち止まる。ほのかの彼氏と合流することにしよう。しかし、麻衣や優太がアポ無しで突撃するのは問題がありそうだ。そこで、優太がドブに憑依してほのかと教室に赴くことになった。



『行こう。ほのかちゃん』

『はい……』

「みゃあ」


 

 ドブに入り込んだ優太は、ほのかを連れて校舎の敷地に進入した。



 目指す教室は一年三組。校舎内には入らず窓の蓋に爪を引っ掛けてこっそりと覗く。外から教室を覗く猫がいれば騒がしくなること間違いなしだが、幸運にも優太は見つからずに済んだ。



『真ん中の一番前の席の男子です』



 ほのかが男子生徒を指差した。そこにいたのは優しそうで線の細い男子生徒。小学一年生にしては凛とした雰囲気が漂っておりほのかが好意を寄せたのも頷ける。しかし、少しやつれている。ほのかの件で憔悴している様子だった。



『……優しそうでかっこいいね』

『私も、そう思います』



 ほのかが少しだけ自慢げに笑った。こうやって好きな男子のことを嬉しそうに話す。彼女はつい最近までそういう日常の中にいたというのに。それを考えると、何度でもやり切れない気持ちになる。



『名前は?』

水上みずかみるい君です』

『名前もかっこいいね』

「みゃあ」

『はい……』



 累を見つめるほのか。ほのかはそれから黙り込み口を開いたのは数分後のことだった。



『すいません。その……なにを、どういうふうに話したらいいと思いますか?』

『それは…………』



 優太はその答えを持ち合わせていなかった。交際開始翌日に命を落とした人物から恋人にかけるべき言葉。見当がつかない。


 ただ、一つだけ言えるのは、



『そうだな…………ほのかちゃんが伝えたいことを話すのが一番だと思うよ』



 ということだけだった。



『…………そう、ですよね』


『少し時間を空けようか? しばらくしたら、また来るよ』


『時間がもらえるなら助かります……』


『二時間後とかでもいい? 実を言うといろいろ調整とか確かめたいことがあるんだ』



 ほのかの他にも眷属が存在する可能性がある。霊能力者としてそこを確認しないわけにはいかない。



『優太さんが良ければ、時間が欲しいです』

『わかった。ただし、一人で雪女に会いに行ったりしたら駄目だよ。そうなったら、どうしようもなくなる」

『わかりました』



 ほのかは悩んではいるが、誠実な瞳をしていた。



(嘘を言ってる感じはしないし、ほのかちゃんは信用してもいい気がする)



『ほのかちゃんの家族とも連絡を取っておくからね』

『ありがとう、ございます……』



 優太の提案は猶予の引き延ばしにすぎなかったが、それはほのかにとっては必要なことだった。少なくとも優太はそう判断して、一旦その場を離れることにした。




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