十四話 腹立たしい。それでも、せめて最期は


 屋上から飛び降りた優太は『結歩』を駆使して地上へと下った。その加速を殺すことなく茂みの中へ突入する。



 狐憑きの匂いを辿り裏山に繋がる獣道をひたすらと突き進んでいく。前方に狐憑きの背中を発見。



(これなら追いつける……結歩で一気に‼)



 意気込んだ優太だったが、一つ思い出す。狐憑きが去り際に言った『俺は絶対に捕まらねぇ』という台詞。あれは強がりなのか逃げ出す算段があったのか。例えば協力者がいる、とか。



(その可能性も考慮しながら立ち回らないと……)



 狐憑きとの距離およそ十メートル。

 目的地はどこだ?

 自信の根拠は?

 先ほどまでの自分にはそういう疑念はなかった。冷静さを欠いていたのだ。



 優太は自らの手札を整理した。まずは右前足に巻かれた数珠。これには強力な霊術を込めてある。開放すれば一線級の霊術を行使できるがかなり高価であり一度の使用で数珠が壊れる。都合のいい武器が何度も使用できるなどと上手い話はないのだ。使うなら協力者もろとも仕留められると確信を持ってからだ。


 他の手札は『肉体強化』、『結歩』、『結界』、『裂爪さきづめ』。落ち着け。除霊したいのは本心だが返り討ちにあっては元も子もない。



『ドブ、僕は冷静じゃなかったかな?』

「みゃあ」



 普段通りの気の抜けた声に少しだけ安堵する。



『結歩で追う。除霊が無理だと判断したら逃げる。協力者がいても退散する。付き合ってくれる?』

「みゃあ」

『いつもありがとう』


 

 結歩を発動する。凹凸のある山道よりも断然走りやすく、足元に余計な注意を払わなくて済む。



(寄精虫を使って弱った狐憑きなら裂爪さきづめで除霊できる。ただ、そのためには接近する必要がある)



 しかし、狐憑きが大人しく接近を許すとは思えない。



(だったら、足を鈍らせるまで)



 優太は狐憑きの真正面に即席の結界を出現させた。かなり距離があるが脆い結界ならぎりぎり形成できる距離だった。直後、狐憑きが結界に衝突する。



『ぐおッ……⁉』



 霊力を少量込めただけなので強度は高くない。砕けてしまう。それ自体は大したダメージにならないが狐憑きの足は鈍った。



『このッ…………糞猫ッ‼』



 狐憑きは雄叫びを上げると進路を変更した。すかさず狐憑きの足元に薄い結界を展開した。走行中に想定外の足場が出現した場合、人間ならほぼ確実に転倒する。四足歩行で重心の低い狐憑でも姿勢が崩れるのを免れなかった。それは狐憑きの足並みを狂わせて、結果的に優太は距離を詰めることに成功した。



『ぐうッ……‼』



 狐憑きの両眼が血走った。その眼にはもはや殺意と憎悪しか宿していなかった。しかし、それに怯む優太ではない。戦闘において大切なのは相手が嫌がることを継続することだ。優太は穏やかな性格だが妥協はしない気質だった。


 そうして、 狐憑きがその足を完全に止める。



『人間風情がッ……‼』

『浄霊を受け入れてほしい』

「みゃあ」

『舐めた口を利くなッ‼』



 狐憑きが咆哮した。その肉体から黒い靄が出現して、かつての陸橋で見せた黒く鋭利な杭を形作る。大技で優太を仕留めるつもりなのだろう。それは危険性リスクの高い戦法だ。攻撃力のある術式は妖力の消費も多い。狐憑きが妖力を使い尽くせば優太の有利は確約される。短絡的な選択と言わざるをえないが、もしやするとこの狐憑きは妖怪としては若いのかもしれない。



『死ねえええぇ‼』

「みゃあ」



 漆黒の物体が優太目がけて飛来した。その先端は鋭利な槍のように鋭く被弾すれば無事では済まない。しかし、結歩を使いこなす優太に攻撃を当てるのは至難の業だ。優太は斜め後方へと飛び退すさり木々の影に身を隠した。漆黒の杭が山道に激突してその地面を大きく抉る。


 霊力を多量に込めた術式は実体を持つ。狐憑きの攻撃しかり、人体を支える優太の結界しかりだ。しかし、当たらなければ意味はない。攻撃の悉くが地面が抉る結果に終わる。


 そのまま一分が経過した。狐憑きには優太を侮っているような節があったが、今や凄絶とした顔つきに代わっていた。



『この糞がッ……ぜぇ…………もう、容赦しねぇッ‼』



 狐憑きが全身から妖気が立ちのぼらせ成樹ほどの強大な杭を作り上げる。そして、不気味に黒光りするそれを砲弾のような速さで優太に向けて打ち放った。



『死ねええええぇッ‼』



 直後、凄まじい衝撃。



『………………っ‼』



 大地が揺れる、空気が震える。優太には掠りもしなかったが木の幹をへし折った。



『ぜぇ……ぜぇ…………糞人間の、くせにッ‼ 俺を…………舐めんじゃねぇよ‼』



 その瞳は狂気じみていた。それこそ憑りつかれたような憎悪。その在りように優太は疑問を抱かずにはいられなかった。



『人間が君になにかしたのか?』


「みゃあ」


『うっせんだよ‼ なにをしたも……くそも……ッ……あるか‼ 人間は殺すッ‼ はぁ……ぜぇ…………地獄を味わわせて……殺さなきゃならないんだよッ‼』


『どうして、そこまで憎むんだ?』


「みゃあ」


『そんなの…………ぜぇ……知ったこっちゃ……ねぇッ‼』



 狐憑きは本質的に人間を憎悪する。それは有名な話だ。具体的な動機がなくとも目の敵にしているのだとか。そんな文献を思い出して少しだけ同情する。意思の問題ではない。人間を憎悪せずにはいられないのだ。


 優太はさくらを傷つけた狐憑きが憎い。だが、同時に悲しい存在にも思われた。



 狐憑きの霊術が地面を穿ち、木々をへし折る。その度に耳を塞ぎたくなるような轟音が響いたがついにその衝撃が止んだ。残ったのは息も絶え絶えという様子の狐憑きのみ。



『ぐッ……が……はぁ……はぁ……ッ‼』



『君の気持ちは理解できないし、やったことは許せない。でも、せめて最期は安らかに逝ってほしいと思う。だから浄霊を拒まないでほしい。拒まれたら攻撃しないといけない』


『ちく……しょ……』



 やはり妖怪としては若いのだろう。優太を本気で殺す気なら霊力を温存して騙し討ちを狙ってもよかったし逃げ出す算段があったならそれに専念すべきだった。勿論、優太は逃げられたいわけでも殺されたいわけでもないのだが。



『…………南無なむ大師だいし遍照へんじょう金剛こんごう



 浄霊を試みたが抵抗を受ける。



『抵抗しないでくれ』

「みゃあ」



 狐憑きが憎悪を押し固めた声で叫ぶ。



『死ねよッ‼ 偽善者がッ‼』

『そっか…………ごめん』



 優太は右前足の爪に霊気を纏わせて裂爪さきづめを展開して、一閃した。


 ザン、という手応えと同時に狐憑きの首と胴体が分離する。



『ぐ……げ……』



 それが断末魔だった。狐憑きの肉体が原型を失って空気に溶け込むように消えていく。後味の悪い除霊だ。


 せめて最期だけは安らかに逝ってほしかった。そもそも、狐憑きが人間を憎むのは種族としての在り方だ。生物が呼吸を止めないように憎悪せずにはいられない。そう考えるとやり切れないが、さくらにやったことは許せないし、これも霊能力者の仕事だ。



 本当にやりたいことのために、やりたくないこともやれ。



 そんな言葉を本で読んだ記憶があるのだがいつのことだったか。



『……どうか安らかに』

「みゃあ」



 最期を見届けた優太は霊嗅覚を使って周囲の妖気を探った。近くに潜む気配はない。協力者がいるという読みが間違っていたのだろうか。今となってはわからない。だが、あの様子では質問にも応じなかっただろう。



『…………戻ろうか』

「みゃあ」



 優太は心愛とさくらのいる屋上へと戻ることにした。

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