十三話 お前みたいな輩が一番むかつくんだよッ‼



「この女も潮時だと思ってたんだがな。お前を陸橋から突き落とす直前の写真を見てどうなったと思う? 吐きやがったんだぜ? 飯が喉を通らねぇつって普段から食ってねぇのにな。昨日なんてゴミ箱に頭突っ込んだまま意識を失いやがった。芸人でも目指してんのかよ⁉ ははははっ‼」



 狐憑きがさくらの首元にナイフをあてがいながら声高らかに笑う。心愛は唇を固く噛み締めている。



 これが狐憑き。醜悪極まりない凶悪な妖怪。



「お前を殺すところまではいきたかったけどな。だが、俺にとっちゃお前は利用価値のあるいい女だったぜ。だから自信持てよ? 俺に認めてもらえて嬉しいだろ?」


「……このッ‼」



 心愛が狐憑きに飛びかかる、その寸前で優太が止めた。



「挑発だ」

「わかってるからッ‼」

「最後にとっておきを教えてやる…………この女、お前をオカズにしたこともあるんだぜ? 意味わかるよな?」



 心愛はまるで動じなかった。狐憑きへの憎しみが全てを上回っていた。そんな心愛を見て、狐憑が口の端を大きく歪めた。



「ははっ……ははははっ‼ 最高だぜ‼」 


「なにがおかしいの?」


「いや、なに……この女には世話になったからよ。サービスでお前らとの会話を全部聞かせてやったんだよ」


「そんなことまでできるのかッ?」



 全ての狐憑きに可能なのか。それとも今回の狐憑きが特別なのか。憑依中に宿主の意識の有無を切り替えられるなら、宿主を追い詰める手法のバリエーションが広がる。



「知らなかったか? それだと宿主がすぐに自殺しちまうからあまりやらねぇんだ。でもな、マジで楽しいんだぜ⁉ こいつも心ん中ぐちゃぐちゃだ‼ 恥辱と後悔と自己嫌悪に塗れてやがる。おいおい、まだこんなに活きがよかったのか。『止めて‼ 止めてッ‼』『ごめんなさい‼ ごめんなさいッ‼』って狂ったみたいに泣き叫んでるぜ‼」


「うわわわあああぁぁぁッ…………‼」



 心愛が叫び声を上げて狐憑きに突進する――優太が全力で抑え込むのを強いられるほど、その力は凄まじい。



「ぐっ……うっ……離してッ‼」



 心愛が涙を流しながら悔しそうにもがく。逆上する気持ちはわかる。大切な人が窮地に追いやられている時に何も出来ないことほど腹立たしいことはない。



「堪えろッ‼」

「…………ッ‼」



 優太は心愛を一喝して、狐憑きの挙動に注目した。



「くかか。もう一ついいことを教えてやるよ。霊能力者」



 狐憑きの視線が優太に移る。そして、次の瞬間、さくらの腹部にナイフを突き立てた。じわり、と制服に赤い染みが広がっていく。



「さくらちゃんッ‼」



 心愛が叫ぶ。しかし、優太はひたすら狐憑きの挙動に集中した。



「俺は絶対に捕まらねぇ。絶対に、だ……あばよ」



 狐憑きが屋上から飛び降りる。直後にさくらの身体から黒い二つ尾の狐が飛び出したのと同時に蟷螂の鎌のような鋭い八本足を持った巨大な黒い虫がさくらの体内に入り込む。



「さくらちゃんッ‼」

「篠崎さんッ‼」



 叫びながら屋上の縁に走り、大きく固い結界を作って落下中のさくらを受け止めた。心愛を救出した際の強化版だ。昨夜から今朝にかけて徹夜している間に研鑽して使用に耐えるレベルまでは仕上げてある。


 二つ尾の黒い狐が配水管を伝って地面に下降していく。狐憑きは浮遊霊より魂の密度が高いので物体をすり抜けることができない。



「下がって‼」



 さくらを屋上に寝かせて、半ば刀身が埋まったナイフを引き抜く。鮮やかな血液が飛び散った。青白い顔をしていて瞳の焦点が合っていない。



「止血します‼」



 左手を傷口にあてがうと、さくらの全身が淡い緑色の光に包まれて流血が収まっていく。自然治癒能力を高める霊術――ヒーリング――だ。ヒーリングは負傷した直後の傷ならすぐに塞げる。時間の経過に比例して効果が薄まるため万能な治療術ではないが負傷してから一分も経過していないので今回は問題ない。



「このまま寄精虫の除霊を行います。大丈夫です。必ず助けます」



 優太は右手で印を結び、霊術を行使した。心愛は祈るような目でさくらを見ていた。



「さくらちゃん。死なないでッ‼」



 そのまま数十秒が経過。傷口が逆再生されるように修復していく。傷が完全に塞がるまでに致死量を吐き出すことはなさそうだ。鋭い八本足の芋虫――寄精虫――もさくらの中で暴れ回ろうとしているが、そちらの動きも鈍い。そして、間もなく祓うことに成功した。



「桃原さん、大丈夫です。出血は収まりました。寄精虫も取り除けました。命の危機はないですよ」



 心愛の目から涙がこぼれ落ちた。優太も胸を撫で下ろしつつ携帯で校長に発信を入れると、応答前に終了した。前もって取り決めしていたようにこれで救急車の手配をしてくれるはずだ。


 あとは狐憑きを追う。優太は早速ドブに憑依しようとしたが、その時、さくらの瞳に生気が戻った。



「……ん……っ」



 心愛がさくらに顔を寄せる。



「さくらちゃん? もう大丈夫だよ」

「……め…………い」

「さくらちゃん?」



 聞き取れず、優太もさくらの口元に意識を集中した。



「心愛ッ……ごめん、なさ…………ごめっ……なさい」



 さくらがぼろぼろと大粒の涙を流しながら言った。体が満足に動かせないらしく苦しそうに咳き込みながら。壊れた人形みたいに。


 何度も、何度も、何度も、



「ごめっ……なさい……ごめ……なさ……」



 そう言い続けたのだった。優太は狐憑きが去った方向を見た。校庭を抜けて近くの茂みに逃げ込むところだった。そこで、狐憑きが思い出したように屋上を振り返る。


 優太の視線が狐憑きのそれと交錯する。


 それは全くの偶然だったのかもしれない。だが、狐憑きは優太を見るなり笑った。優太らを余すことなく侮辱するように笑ったのだ。


 心をボロボロにされながらも最愛の友人を守ろうと心を砕き続けたさくら。その彼女が腹を刺されて憔悴しきった様子で壊れた人形のように謝罪している。そんな状況を心から嬉しそうに嘲笑したのだ。



 気に入らなかった。優太は他者を傷つけて喜ぶような輩だけは大嫌いだった。ぞくり、と血が沸き立ち、頭部へと熱が集まる。



「ふざけやがってッ‼ ドブッ‼」



 怒鳴るように呼びつける。



「みゃあ」



 聞き慣れた気怠そうな鳴き声が返ってくる。奇精虫の除霊は完了している。治療も一段落した。あとは除霊だけ。



(逃がさない。逃がさないぞ‼ 狐憑きッ‼)



 優太は憑依の術式を組み上げてドブの肉体に憑依すると、そのまま結歩けっぽを起動して屋上から飛び降りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る