十二話 醜悪の狐憑き
「おかげでちゃんと殺してやれるからなァ‼」
醜悪な笑みを携えたさくらが心愛に突貫する。
「破ッ‼」
屋上の塔屋の影で待機していた優太は力強く叫んだ。同時に心愛の眼前に結界が出現する。結界は邪悪な存在の進入を防ぐ。多量の霊力を込めた結界は容易に破れない。
「チッ‼」
狐憑きが後退して屋上のフェンスの背に立ち止まった。出入り口からも遠ざかってくれたので願ってもない展開である。
「あの時に邪魔した糞猫か。お前のペットだったのか?」
狐憑きが優太とその足元のドブを睨みつけた。目に映る全てを憎悪しているかのような禍々しい目つきだった。
(これが狐憑きか)
さくらと心愛の苦痛を想像すると怒りが込み上げるが、飛びかかるほど優太は無鉄砲ではない。
「霊能力者か?」
「ああ。織成優太だ。これでも有名なんだがさすがに低級妖怪は知らないか?」
有名なのは『半人前以下』という悪い意味でだが、挑発的な笑みを向けると狐憑きが目を血走らせた。
「人間風情がッ‼ 粋がるなッ‼」
狐憑の怒号に空気が震える。優太らしくない高慢な物言いだがこれは作戦である。高慢な霊能力者のほうが狐憑きの行動を誘導しやすいと判断したのだ。
「まさか会話できる程度のお
優太なりに絶妙な言い回しを選択した。完全に見下した態度。当然、狐憑きは気に入らない。
「人間ごときがッ……‼」
「そのごときに除霊されるんだ。俺が狐憑きごときを取り溢すことはない。抵抗する暇も与えない。大人しく諦めてもいいぞ?」
「お前、殺すぞッ‼」
狐憑きは今にも飛びかかってきそうな形相だった。だが、実際には牽制しながら横目で周囲を確認している。逃げ出す算段を立てているのだ。気を抜けない相手である。
「この程度で俺を追い詰めたつもりか?」
狐憑きがポケットから小ぶりのナイフを取り出した。そんなものを持ち歩くな、優太は思った。
「浅はかだ。ナイフ一本で戦況をひっくり返せるとでも?」
ここまでの展開は想定内。ここから、どうでるか。狐憑はナイフを首に押し当てながら空いた手でフェンスを殴り、紙を破るような手軽さで金網のフェンスを破壊してみせた。なんらかの霊術を使用している。
「なにがしたいんだ? 暇なのか?」
怪訝そうに尋ねると、狐憑きが口の端を持ち上げる。
「今からこの女の腹にナイフを突き刺して寄精虫を入れてやる。でもって、そのまま飛び降りてやろうと思ってな? そうなれば治療と除霊を同時にやらなきゃならねぇだろう。俺はその間に逃げさせてもらう。それなら、お前も楽しめるだろ?」
「逃げられるとでも?」
「ああ。霊能力者ってのは人間を見殺しにしないんだろ? 俺に追いつくには治療と寄精虫の除霊を諦めるしかない。つまり、女を見殺しにするしかない。違うか?」
「…………」
「はっ。あれだけ自信満々だったのに、みすみす俺を逃がす気分はどうだ?」
狐憑きが小馬鹿にするように笑う。嫌らしい笑みだ。吐き気がする。近くの心愛が悔しそうに歯を食い縛っている。さくらの顔でそんなふうに笑うな、という心境なのだろう。だが、この流れもまだ想定内だ。
「ほぞいてろ。すぐに治療を終わらせて除霊してやる」
「言ってろ、馬鹿が」
優太は眉一つ動かさなかった。強がっているように見せたかった。狐憑きはそう受け取ったらしく、得意げな顔で笑っている。
ここまで全て計画通り。結果的にさくらは刺傷を負うことになり、それは歯痒いがすぐに治療すれば必ず命は助けてみせる。
この時、優太に油断はなかった。だが、基本的にドブと除霊をこなしてきた優太はこの場に心愛がいるということの意味をわかっていなかった。
狐憑きが心愛を見て、愉快そうな笑う。新しい
「お⁉ いいじゃねぇか。そっちの霊能力者は反応がなくてつまらねぇ。お前なら楽しめそうだ。いいことを教えてやるよ…………この女な、お前のことが好きだったんだぜ」
「……っ?」
なにを今更。さくらが心愛を慕っていたことなどわかりきっている。
「やっぱり気づいてねぇか。
「…………」
心愛が困惑して眉根を寄せる。発言の真偽は判断できない。だが、惑わそうとしているだけかもしれない。
「おい。聞く必要ねぇぞ」
「この女も最初はそんなつもりじゃなかったみたいだけどな。こいつも驚いてたんだぜ。お前が友情を求めてるのはわかってたから言い出せなかったみたいだな。お前に本心をぶつけた時の反応が恐かったんだと」
「…………っ」
心愛が戸惑っている。唐突すぎて実感が沸かないのだろう。だが、困惑しているのは優太も同じだった。かりに全てが事実だとして、確かに驚きだ。だが、こんな話を今行う意味があるのだろうか。
「お前が好きで堪らない。でも、知られたくない。今の関係を壊したくない。健気だなぁ。告白しようかも迷ったみたいだぜ。その前にばばあが死んで心がぼろぼろになって俺が取り憑いてやったんだけどな」
わざとらしく肩を竦める狐憑き。その時、狐憑きの思惑に勘付く。
(……まさか、そういうことか?)
逃げ出す前に心愛を弄び、その反応を愉しみたいのだ。だとしたら本当にいい性格をしてる。
「手始めに『お前は屑だ。死ね』ってのを囁くことから始めた。塵も積もればなんとやらってのがあんだろ……そしたらこの女も自分がおかしいって思い始めたんだろうな。でもよ。お前と会話したりお前の事を考えたりするだけで持ち直すんだわ。それが本気でうざったくてよ、お前を見かける度に『騙されるな。殺せ』って言い続けてやったんだ。それこそ、お前を避けたくなるくらいまでな」
狐憑きが嬉しそうに目を細めて、心愛が唇を噛む。さくらがどれほどの苦しみを味わったのか。その話は心愛には無視できない。
「おい。耳貸すな」
横柄な霊能力者を演じつつ注意したが、狐憑きは止まらない。
「その頃には体を乗っ取れる時間が長くなってな。『死ね』って赤文字をノートに書いて部屋を散らかしてやったり、ダチの悪口をSNSに書いてやったり、こいつのハムスターを辞書でミンチにしてやった。いつだったかトイレで頭を抱えて叫び出しことがあってよ『止めて止めて止めてええええっ‼』だったか。あれは傑作だったぜ。お前にも聞かせてやりたかったよ」
「……ッ‼」
心愛が狐憑きを睨みつけた。その反応に満足したのか、狐憑きは舌なめずりさえしてみせる。
(糞ッ‼︎ 本当にいい性格してやがるな)
優太でさえ虫酸が走った。
「あれ覚えてるか⁉ こいつがお前に『死ねば』って言った日のことだよ。あれを言わせたのは俺じゃねぇ。お前を遠ざけたくてこいつが自分の意思で言ったんだ。正直迷ったぜ。そんなこと言ったらお前がこいつを避けるだろ? そうなると、この女で遊びにくくなるかもってよ。でも、この女が罪悪感で自滅する姿が見たくてな‼ 最高だったぜ。この女、お前に詫びながら一晩中泣いてやがった‼ あの日を思い出すと今でも涎が出ちまう‼ ははっ、はははははっ‼」
この時、優太は一つの誤解に気づいた。さくらが心愛に暴言を吐いたのは操られたからではない。その影響もあっただろうが過激な物言いをしたのは、心愛を遠ざけたかったからなのだ。つまり、狐憑きから心愛を守りたくて敢えて突き放そうとした。そのやり方は正解とは言い難い。だが、追い詰められたさくらにとって藁にもすがる思いで打ち出した一手だったのだ。そんな苦肉の策を狐憑きは嘲笑っている。
ぎり、と歯を食い縛る音が口内から聞こえた。
(この野郎、ふざけやがってッ‼︎)
心愛を見ると敵愾心満ちた瞳で狐憑きを睨みつけていた。
「よくも、よくも……さくらちゃんを‼」
今にも飛びかかりそうだった。その心理は優太にもよくわかった。
「落ち着け」
「そんなの無理ッ‼」
聞く耳を持たない。この状況は不味い。心愛が勝手な行動を取ると事態がどう転ぶのか予想できない。
「でもな、確かにお前は良い女だよ。自信持っていいぜ?」
狐憑きが急に親身な声色に。
なんだ? その胡散臭さは?
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