十話 決戦は屋上にて


 明朝七時前。結局、見張りをしながら夜を明かした優太だったが、狐憑きは大きな行動を起こさなかった。優太は心愛の自宅に寄ってから彼女と共に早めに登校して小原高校の校長室を訪れていた。



「みゃあ」



 ドブも同席しており、またしても心愛の膝で丸まっている。校長室を訪れたのは校内で狐憑きを除霊するプランを教頭と校長に説明するためだった。脳内に徹夜による鈍痛と睡魔が居座っていたが集中力で意識を保つ。


 心愛は左隣で、前方にいるのが教頭と校長だ。教頭は随分と若い。厳かな雰囲気を纏っており糊の利いたスーツを着用していて身なりも姿勢も美しい。渋くて仕事のできるナイスミドルという風貌だった。校長は善良な老爺ろうやという感じで、いかにも優しい雰囲気だ。



「みゃあ」



 二人には除霊の打ち合わせをしたいという旨を伝えてあるのだが、教頭の方はいかにも不機嫌そうだった。



「それで、除霊の打ち合わせということだったがなにを話すのかね? 本校の生徒まで連れてきて朝七時に打ち合わせをするのが霊能力者とやらの常識かね? 校長、私は最初から反対だったんです。霊能力者だなんて胡散臭い。時間の無駄ではないでしょうか?」


 皮肉の利いた言葉と懐疑的な目。彼のように霊能力者を胡散臭いと考える人間は少なくない。そういう人間を見ると視野が狭いと思う。だが、実体験を伴わなければ無理もない。人間はよくわからないものを怖がるものだ。それは優太とて変わらない。



「本校の生徒の命に関わることだ。生徒を救ってくれるなら断る理由はないだろう」



 校長が穏やかな表情で教頭を宥める。話がわかる、と少し感心する。



「疑わしいですがね」



 鼻につく男だ。だが、想定内だ。時間も惜しいので、今回は手っ取り早く聞く耳を持ってもらうことにする。



 優太はポケットからスマホを取り出してテーブルの上に置いた。それからドブに憑依して心愛の膝から飛び降りると肉球を操って文字の入力を開始した。



「馬鹿なッ‼」



 教頭が目を見開いて立ち上がる。校長も口を開けて画面を眺めている。ついでに隣の心愛もぽかんと口を開けていた。このやり方なら大抵の人間は聞く耳を持つ。その驚愕ぶりを見るのは少しだけ楽しい。優太は右手(ドブの)に巻かれた数珠がスマホの画面を傷つけないように注意を払いながら漢字変換も取り入れつつ文字の入力を終えた。



『織成優太と申します。今、憑依という霊術を使って猫の体に入っています。貴校の篠崎さくらという生徒が狐憑に取り憑かれています。はっきり言って自殺してもおかしくないような状況です。俺の隣に座っている桃原心愛さんはそんな篠崎さんを助けるために除霊を依頼しました。協力してくれますね?』



 室内を沈黙が支配する。そんな凍りついた時間の中で、優太は憑依を解除して、新たな口火を切った。



「聞くに値しないと思われるなら退出して頂いても結構です」



 席を立つ者はいなかった。



「それでは、説明させていただきます」

「みゃあ」



 優太のプランはさくらの身の安全を最優先する内容だった。概要はこうだ。


 まずはさくらを屋上に呼び出す。心愛に呼び出してもらうのが最適だろう。狐憑きが警戒する可能性はあるが屋上に心愛と二人きりという状況は魅力的なはずだ。そこで心愛を殺害すればこれ以上ない苦しみをさくらに与えることができるのだから。狐憑きは用心深く狡猾な妖怪だが、人間に苦しみを与えたいという欲求が強すぎるところが最大の弱点でもある。



 優太は屋上で待ち構える。優太が攻撃霊術を大して使えないことを狐憑きは知らないはずで追い込まれたと思うだろう。そうなれば『寄精虫きせいちゅう』を使用して、逃亡を図るはずだ。



? なんだね、それは」



 尋ねたのは嫌味な教頭。しかし、重要なことなので説明しないわけにはいかない。



「はい。言ってみれば狐憑きが行使する使い魔の一種です。かなりの妖気を消費するのですが、寄精虫を使われるとこれまで狐憑きにつかれている間に体験した精神的な苦痛やストレスが一気にフラッシュバックするそうです。宿主を徹底的に苦しめるための狐憑きのとっておきです。心が壊れるのを防ぐためにも真っ先に対処しなければなりません」



 ごくり、と教員の二人が息を呑んだ。



「それともう一つ狐憑きを相手にする際に注意すべき点があります。追い込みすぎてはいけないんです。狐憑きは『詰んだ』と判断した際に玉砕覚悟で宿主を道連れにしようとします。宿主に憑りついたまま顔面を何度もナイフで刺し、周りの通行人を巻き込んで車道に飛び出して宿主もろとも殺した、なんて例もあるようです」



 耳にしただけでも不愉快だ。さくらをそんな目に遭わせるわけにはいかない。



「そんな事態は避けなければなりません。そして、屋上という舞台は狐憑きにとって非常に都合がいいんです。宿主の体で屋上から飛び降りてから宿主の肉体を離れて逃亡するという選択肢が存在するためです」



 宿主が飛び降りた直後、霊能力者は寄精虫の除霊と宿主の救出を優先せざるを得ない。例えば逃亡時に寄精虫を使用したうえで宿主の腹を刃物で刺して逃げるなどすれば霊能力者の手をさらに煩わせることができる。そうなると有能な霊能力者でも追跡まで手が回らない。これが狐憑きの思考パターンだ。しかし、ドブに憑依して霊嗅覚を使えば距離が開いても追跡できる。



 つまり、あえて屋上から飛び降りてもらって、逃亡させるのだ。優太が目指すべきはまずそこだ。



「とはいえ、寄精虫も狐憑きにとっては諸刃の剣です。使用すればかなり弱体化します。それこそ妖気が回復するまでは新たな人間に憑りつくことも困難になりますし、弱体化した狐憑きは除霊も容易いです」



 寄精虫を使用させて衰弱させる。優太は寄精虫の対処とさくらの救出を済ませてからドブに憑依して追跡し、除霊する。それが勝ち筋だ。狐憑きは除霊が難しい妖怪ではあるが、その難しさに比例するほど強いわけではない。



「教頭先生と校長先生には屋上の鍵を開けていただきたいのと間違っても生徒が立ち入らないようにしていてほしいです」



 狐憑きの除霊は初めてだが、作戦に穴はないと思う。狐憑きの除霊経験があり知人でもある霊能力者――織成おりなし麻衣まい――にもアドバイスをもらったので問題ないはずだ。



「先生方、桃原さん。よろしいですか?」

「わかりました。全ての職員に事情を伝えるのは私が責任を持って担当しましょう」



 校長が落ち着いた声で頷き、



「私も理解しました。屋上の鍵は私が開けておきます」



 教頭は強張った顔をしながらも約束した。彼の印象は未だよくないがさくらのためにも役割を果たしてもらおう。



「ありがとうございます。他になにか質問事項はありますか?」



 三名から質問は出てこなかった。



「もう一つお願いがありました。篠崎さくらさんは負傷する可能性があります。そこで前もって取り決めしておきたいのですが、僕が校長先生にお電話をします。応答しなくて結構なので電話が来たら教頭先生は救急車を呼んでください。篠崎さんが負傷した際はヒーリングという霊術を使ってすぐに治療しますが念のためお願いします」


「わかりました。では私は教頭と待機しておけばよいのですね」


「はい。お二人ともよろしくお願いします」


「みゃあ」


「あ、あの……私からも、よろしくお願いします。さくらちゃんを助けたいんです」





 心愛が勢いよく立ち上がり二人に頭を下げた。この場に居合わせた四名(恐らく、もう一匹も)はそれぞれ立場も思惑も異なるが、篠崎さくらを救いたいという一点において意思を共有していた。さて、準備は整った。決着がはじまる。


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