七話:桃原心愛の追憶③――夏が終わる、その前に――


「可愛いでしょ? この子がルパンだよ」



 ハムスターを手に乗せながら笑うさくらちゃん。八月末、私はさくらちゃんの家に遊びに来ていた。ハムスターを飼ってるみたいで名前はルパン。生き物を飼ったことがない私はルパンの話を聞いてそわそわした。そんな私に気づいたさくらちゃんが見せてくれると約束してくれたのだ。


 さくらちゃんの部屋は凄く綺麗に整理してあって、それでいて可愛らしい。ベッドに私がプレゼントしたぬいぐるみがあるのを見つけて嬉しくなった。



「本当だ。すっごく可愛いね‼」

「でしょ。触ってみて」



 促されるまま指先で優しく触れる。ルパンが擽ったそうに小さく鳴いた。



(うわぁ……可愛い‼)



 くりくりした瞳が、小さな鳴き声が、向日葵の種を両手でしっかり持って頬を膨らませている姿が。もはや、存在が可愛い。



「うちの自慢の子です」



 さくらちゃんが得意げに胸を張る。こんなに愛らしかったら自慢したくなるのもわかる。私はルパンに会えたのも嬉しかったけど、友達さくらちゃんの部屋に遊びに来れたのも嬉しかった。



「さくらちゃん、ありがとう」


「そんなふうにストレートにお礼言われるとなんか照れるね」



 さくらちゃんがルパンを飼育籠おうちに戻す。



(なんか……いつもと違う?)



 横顔を見て、なんとなく思った。うまく言葉では説明できないけど、心ここにあらずというかそういう違和感があった。



「外は暑かった?」


「うん」


「熱いと外に出たくなくなるよね?」


「そうだね」


「今日はどうしよっか? 宿題終わったらどこ行く?」


「えっと……今日は宿題終わったら、一緒にぬいぐるみ作ろうってことだったよね?」


「そうだった。ごめん。ちょっとうっかりしてた」



 さくらちゃんが『しまったな』って顔で笑う。そういう表情はいつもと変わらないけど、やっぱりどこか普段と違う。



「そ、その……違ったらごめん。なにか、あった? 私でよければ……聞くよ」



 できるだけ自然に尋ねた。クラスメイトの相談を受けた経験はない。でも、さくらちゃんの力になりたかった。勘違いだったら恥ずかしいけど、私が恥を掻くだけで悩みがないってわかるならその方がいい。


 さくらちゃん目を丸くした。それから、ちょっとだけ楽しそうに笑う。



「ふふっ。やっぱ心愛だなぁ」

「どういう意味?」

「ねぇ……ちょっと引っ付いていい?」

「え? あ、あの……」



 戸惑った。だけど、放っておけなかった。



「いいよ」



 さくらちゃんがもたれかかるみたいに抱きついてくる。



「ふぇ⁉ あ、あの…………」

「ごめん。ちょっとだけ、このまま……」



 悲しそうに呟いて私の背中に両腕を回してくる。



「……さくらちゃん?」

「心愛は家族のこと好き?」



 抱きつかれたまま尋ねられた。

 本当にどうしたんだろう?

 家族と喧嘩でもしたのかな。



「好き。尊敬もしてる。さくらちゃんは?」



 私は両親と二人の姉の顔を思い浮かべながら答えて、聞き返した。



明子めいこばあちゃんが一番好き」

「この間、学校で話してくれた?」

「そうだよ」



 私が『明子ばあちゃん』について知ってることは多くない。。祖母にも当たらない遠縁で、掛け替えのない大切な人ってことくらい。面倒見が良くてさくらちゃんが中学生になってからは二人でよく出かけるみたい。明子さんの話になるとさくらちゃんは子供みたいに無邪気に笑う。



「優しい人なんだよね?」

「うん‼」



 さくらちゃんの声が明るくなる。



「私の憧れなの。最近はね、二人で温泉に行ってお風呂上がりにコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を飲み比べるのにはまってるんだ」



 さっきまでの神妙な雰囲気が薄れていく。そんな様子に少しほっとする。



「本当に大好きなんだね。ちょっと会ってみたいな」



 深く考えずに言ったけど、さくらちゃんの喜びようはすごかった。私の両肩を掴んで額がぶつかりそうなくらいに顔を近づけてきた。



「うん‼ 会って‼ そうしたら絶対に明子ばあちゃんを好きになるから‼」

「ちょっ……ち、近いよ‼」



 距離がおかしいよ。だって恋人同士がキスするみたいに顔が近いもん。胸がばくばくして顔が火照ったみたいに熱くなる。さくらちゃんは平気なのかな。女の子同士のスキンシップってやっぱりすごい。



「あら? ごめんね。でも嬉しくて。明子ばあちゃんの話をするのは心愛だけだから」



 さくらちゃんが離れたので、私は手を内輪にしながら顔を冷ました。



「……え、えっと……私だけ? なんで?」


「明子ばあちゃんの話をすると、私が好きで一緒にいるって説明しても『えらいね』とか『年配の人にも優しいんだね』とか言われるのがほとんどだから。好きで一緒にいるのにそんな言われ方するのは嫌でしょ? でも、心愛は学校で話した時に『素敵な人だね』って言ってくれたでしょ? その時にビビッと来て仲良くなりたいと思ったの」



 初めて会ってから一週間後くらいのことだ。学校で明子さんの話を聞いて思ったことを口にした。さくらちゃんがそんなふうに思ってたっていうのは初耳だけど。



「他の人も悪気はないと思う」


「それはわかってる。心愛の言葉が嬉しかったことは本当だし、私にはそれが大事で心愛は特別なの」


「……そ、そうなんだ」



 ど、どうしよう。ちょっとだけ……ううん、すごく嬉しい。

 誰かに『特別』って言われるのってこんなに嬉しいものなんだなぁ。



「心愛がよければ本当に紹介したいなぁ。実は明子ばあちゃんには結構話してるんだ」


「……え、あの…………私のことを?」


「うん。初めて会った時のこととか。心愛ってば緊張しすぎて読んでる本のタイトルがわからなかったよね?」


「そ、それ……言わないでよ」



 初めて会った時に、緊張しすぎて気が動転してしまったのだ。さくらちゃんがちょっぴり意地悪そうに笑う。



「明子ばあちゃんも『そんなに面白い子なら会ってみたいわ。とっても可愛らしいわね』って」



 明子さん、私は面白くないです。そんな恥ずかしいことも言わないでください。



「心愛は私のことを家族に話してないの?」

「えっと……」



 実を言うと、話していない。



「お父さんが一番喜んでくれるかも。お母さんとお姉ちゃん達も喜んでくれると思うけど家に連れてこいとか言われるかも」


「なら連れて行ってよ」


「えっと、でも…………恥ずかしいし」



 私が口籠もると、さくらちゃんがわざとらしくがっくりと肩を落とした。



「そ、そんなっ‼ 私って家族に紹介できないような恥ずかしい人間だったの⁉」



 そして、目尻を指先で拭う。



「ちょっ……ち、違っ……そ、そんなことないよ」



 慌てて弁明した。でも、あれ……さくらちゃん、全然泣いてない。次の瞬間にはケロッと笑顔になっていた。



「……もう、さくらちゃんてば」

「ふふっ……今日はどこに行こっか?」

「ぬいぐるみ作るって言ったばかりだよ」

「わかってるってば」



 さくらちゃんが楽しげに笑う。私はほっとした。うん、いつものさくらちゃんだ。



「よかった」

「なにが?」



 さくらちゃんが後ろから抱きついてきた。



「ひゃっ‼ 急に後ろからくっつかないで」

「正面から堂々とくっついたほうがいい? 私はどっちでもいいよ?」

「な、なんでくっつくのが前提なの?」

「だって暑いから」

「暑いならくっつかないよ」

「うん。知ってる」



 そんなことを言うのにさくらちゃんは私の背中から離れない。



「え、えっと…………宿題、できないよ?」

「このまま宿題しよ? 駄目?」



 耳元で囁かれてどきっとする。



「~~~~っ‼ だ、駄目‼ そんなことしたら私の心臓が持たないもん」


「う~ん。それは困るね。加減しながら抱きつくね」


「え? あ、あの…………うん」



 ここで頷くのもおかしいけど、さくらちゃんが元気でいられるなら…………。


 私はそんなことを考えながら気づかれないように内心で溜め息をついた。



(結局、何があったのかは教えてもらえなかった)



 さくらちゃんと仲良くなれて嬉しい。私の大切な友達。だからこそ力になれないのがもどかしい。でも、これ以上踏み込んだら鬱陶しいと思われるかもしれない。さくらちゃんのことは信頼しているけど、私は自分に自信がなかった。いつ嫌われてもおかしくない。そんな不安が自分の中にあった。


 そう考えるともう一歩を踏み出す勇気がどうしても沸いてこなくて――





※あとがき

 本話で追憶終了です。

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