五話 良い娘で、良い家族だからこそ


「こちらが娘の友恵ともえです」

「よろしくお願いします」



 ソファに座る明美の隣で一礼したのは、優しげな面持ちの細身で可愛らしい女の子。まだ幼いが明美と顔立ちは似ている。将来はさぞかし美人になるだろう。



「霊能力者の織成優太です。よろしくね。早速だけどいくつか質問してもいいかな?」



 友恵が不安そうに明美を一瞥した。



「大丈夫よ」

「……うん」



 友恵が頷いたのを見て優太は質問を開始した。



「すぐに済むから。友恵さんは中学生?」

「はい」



 ぴん、と背筋を伸ばして答える友恵。とても姿勢が美しく、礼儀正しく見える。礼儀正しい子を見ると除霊する側としてもモチベーションは上がる。無礼な人間相手でも手を抜いたりはしないのだが。優太は友恵と、そのに目を向けながらそんなことを考えた。




「症状が出始めたのはいつから?」

「はい。一ヶ月前くらいからです」

「最近だといつ起きたの?」

「三日前です。夕食の準備をしている時です」



 夕飯の準備を手伝うのは偉い。感心しつつも疑問を抱く。



「夕食はお母さんが作ってるんだよね?」

「最近娘も手伝ってくれるようになったんです」



 そう捕捉したのは明美だ。



「偉いですね。今どきの中学生はそういうものなんですか?」


「どうでしょうか。他のお宅がどうかは知りませんが、娘から手伝いたいと言ってくれたんです」


「そうなんですね」



 優太は友恵のが顔を強張らせたのを見逃さなかった。



「どうしてお母さんを手伝おうと思ったの?」


「それは……お母さんが仕事や家事とお見舞いで忙しいのはわかっていたので、少しでも手伝いたかったからです」



 友恵の言葉に明美が笑みを零した。母親の笑顔に、友恵はまんざらでもなさそうだった。


 ああ、なるほど。優太は思った。

 とても良い娘で、良い家族だ。餓鬼憑きが成仏しないわけだ。



 友恵の背後でが唇を噛む。そこにいたのは原色が判別できないほど黒く煤けたボロボロのワンピースを着用した五歳前後の女の子。その体は枯れ枝のようにやせ細っているのだが、最も異質なのは両眼。右目は虚ろで焦点を見失っており、左目は黒目が異様に小さく白目を見つけられないほど血走っていた。薄汚れた格好と左右の瞳の違いが不気味だ。


 少女こそが餓鬼憑き。彼女は強烈な空腹感に苛まれながら命を落として餓鬼憑きとなったのだ。五歳くらいの女の子が空腹で亡くなる。居た堪れないがここで着目すべき点が一つ。少女はどんな状況で命を落としたのか。



「状況がわかりました。やはり餓鬼憑きが憑りついています。そして、今回の餓鬼憑きはとある事情で、成仏ができないようです」



 親子の視線が優太に集中した。



「それは、どういう理由なのでしょうか?」


「先ほど餓鬼憑きについて話しましたね?」


「はい。空腹で亡くなった方が妖怪になったのですよね?」


「はい。そして、空腹が満たされれば勝手に成仏するような妖怪です。ですが、友恵さんにはそれが当てはまらない」


「はい」


「これは餓鬼憑きの死因が現代に合わせて変わりつつあるからです。少し考えてみてください。空腹で亡くなった人間が餓鬼憑きになります。昔は飢饉や戦争等が大きな原因でした。貧困による飢死という例が現代に当てはまらないとは言いませんが、今回は五歳くらいの女の子の霊です。食事資源が豊かな現代で五歳の子供が空腹を感じながら命を落とす。どんなケースが多いと思いますか?」



 明美と友恵が顎に手を添える。その仕草は似ていて改めて家族なのだと思わされた。



「…………虐待または育児放棄ですか?」

「はい。そうです」



 答えたのは明美。友恵はというと、息を呑んでいた。



「虐待等で餓えぬ子供が考えることは大きく二つ。『お腹一杯食べたい』と『愛していほしい』の二つです。その両方に餓えて子供が亡くなって餓鬼憑きになった場合は空腹を満たすだけでは成仏しないのです。愛情を注いでほしいからです。昔もそういう餓鬼憑きがいたはずですが現代では特に増えています。そして、そんな餓鬼憑きにとってお二人のような仲睦まじい家族を見ると『どうして自分は愛してもらえなかったんだろう』と卑屈になってしまうのです。有体に言えば、妬ましく思う。だから成仏できない」



「それは……」

「そんな……」



 明美と友恵が沈痛な面持ちになる。優しい親子だ。明美は娘に憑りついた妖怪に、友恵は自身に憑りついている妖怪に、心を痛めているのだから。


 餓鬼憑きの少女は泣きそうに、羨ましそうに、藤崎親子を見つめている。虐待を受けて飢餓感の中で亡くなった彼女に藤崎親子は眩しすぎるのだ。そして、その気持ちは優太にもわかる。


 だが、優太はこう思った。この二人なら協力してくれるのではないだろうか。



「今から除霊を行います。すぐに終わります。ですが、もしよろしければ協力していただけませんか?」


「協力ですか? その、娘に危険が及ばない範囲でなら……」


「ありがとうございます。今から除霊するのですが、それは半ば強制的に魂を浄化するという手法になります。ですが、もしお二人がよければ穏やかな気持ちで自ら成仏できるように協力してほしいのです」


「なにをすればよろしいのですか?」


「明美さんに餓鬼憑きの少女を抱きしめてあげてほしいのです」



 明美が優太を見て固まった。



「……そうすることで女の子が喜ぶと?」


「はい。少女の姿は見えないと思うので僕が誘導します。弱い妖怪ですし危険はありません」



 仮初でも愛されるという実感を少女に与えたい。それはただの偽善だ。魂を破壊しようが成仏しようが結果は変わらない。だが、優太は思うのだ。霊的現象に苛まれる人々を救うのは霊能力者の使命だが、霊の無念を晴らして安らぎの光を与えるのも霊能力者にしかできないことだと。


 とはいえ、依頼主に頼むのが筋違いなことは理解はしている。ゆえに、優太も相手は選ぶ。



「やってあげて。お母さん」



 そう言ったのは被害者筆頭の友恵。餓鬼憑きに憑りつかれた際の苦しみは想像を絶すると言われているが、にもかかわらず真っ先に言ったのだ。



「友恵?」

「私、虐待されてご飯ももらえないなんて想像できない。だから…………」

「……わかった」

「ありがとうございます」



 優太は明美に餓鬼憑きの少女の居場所を伝えて、友恵の背後に移動してもらい、屈んでもらった。


 餓鬼憑きの少女は困惑顔で、優太、友恵、そして明美を見ている。



「そこです。そのまま抱きしめてあげてください」

「はい」



 明美が少女を抱擁する。その瞬間、餓鬼憑きは驚愕で両目を見開いた。



『君の番だよ』



 念話を発動すると少女が振り返る。優太は静かに頷いた。少女はしばらくわけがわからないという感じで戸惑っていたがおそるおそる両手を明美へと伸ばした。



「辛かったね。よく頑張ったね」



 明美が優しい声音で呟いた。それは優太の指示ではなく、彼女の母性ゆえの発言。そして、それは餓鬼憑きが心底求めていた言葉だった。



 少女の血走った瞳から涙が溢れた。



『……っ……ぅ…………っ‼』



 その涙は頬を伝い、リビングに落ちる。しかし、それがフローリングを濡らすことはない。虚ろだった右目が光が取り戻して、その瞳からも大粒の涙が零れ落ちる。



「姿や声がわかるようにしてもらうことはできますか?」



 明美の申し出に優太は両目を見開いた。



「え……と、その……かなり痛々しい見た目をしているので、慣れていないと……」


「ありがとうございます。ですが、顔も見ず子供を抱き締めるなんておかしいと思います」


「しかし……」


「私は大丈夫ですから。お願いします」


「お母さんだけじゃなくて、私にもお願いしたいです」



 親子の強い口調に、優太は戸惑いつつも感謝した。そこまで全力で協力してくれる相手に変な遠慮をするのは無礼でもある。



「お二人に姿と声がわかるようにしますね」



 霊力を消費して、明美と友恵の念話と霊視力の感度を引き上げる。



『お……かぁ……さ……‼』

「…………大丈夫。大丈夫よ」

「…………ッ‼」



 餓鬼憑きはかなり凄惨な見た目をしている。しかし、明美の反応はさすがだった。友恵が硬直して声も出せない中で、



『おかぁっ……さんっ……痛かったッ……寂しかったッ‼』

「……大丈夫。私はここにいるからね」



 優しく、微笑んだのだ。



『おかあさん……おかあさあんッ……ッ‼』

「大丈夫。どこにも行かないわ」



 明美は餓鬼憑きを強く抱きしめる。その抱擁は餓鬼憑きが死ぬまで求めていたもので、死後も焦がれていたものだった。



『おかぁさあああんッ‼ ひっく……うぇええんッ…………ッ‼』



 少女の全身が淡い黄金色に輝き始めた。それは成仏を迎えようとしている証拠だ。彼女の心はようやく満たされたのだ。


 それから少女は赤子のように喚き続けて、最期はひどく泣き腫らした顔で、それでもどこか満足したように微笑むと、穏やかに成仏した。

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