四話 餓鬼憑きの仕業です
到着したのは小綺麗なマンションだった。外壁を見るに建物の年齢は比較的若い。その三〇三号室のリビングのソファに優太は案内されていた。
「本日はお越しいただきありがとうございます。
正面に座る女性が今回の依頼人。いかにも仕事ができそうな雰囲気が漂っており端麗な顔立ちをしていて、穏やかな笑みを携えている。包容力のある、大人の女性という言葉に似つかわしい美貌がそこにあった。
(……美人だぁ)
一目見て、シンプルに思った。思わず口籠りそうになったが自分は仕事に来ている。依頼主が美人でもやることは変わらない。
「改めまして。織成優太と申します。僕が抱えているのは猫又のドブです。その、事前にお伝えはしましたが除霊に必要となる場合がありますので同行させました」
「みゃあ」
ドブは理由なく触ると嫌がるのだが大事な場面や要所では大人しい。一般的な猫よりも猫又は賢いのだがそれもあり雰囲気を察する力に長けているのだろうか。いや、確信は持てないが。
「はい。存じております。そのままではお辛いでしょう。ソファに下ろしてあげてください。建物もペット可ですし」
「ありがとうございます」
明美が微笑んだのを見て、先ほどと違う意味で意表を突かれた。優太はドブを必ず現場に同行させるのだがその旨は前もって説明する。しかし、いざ到着すると不満を漏らす依頼人も少なくない。そこで最近では訪問先がペット禁止かどうかを事前に確認している。つまり可否は把握していたのだが、事前に確認を取ってくれた依頼主が相手となると気合も入るというものだ。
「飲み物をお持ちします。アイスコーヒーでよろしいでしょうか?
「みゃあ」
どうしてお前が答えるんだ。そう思いながらもドブの反応には触れなかった。
「ありがとうございます。喉が渇いていたのでありがたいです」
優太はドブを下ろした。正面テーブルに白いスズランの生け花が飾ってあるのを見つける。彼女は几帳面らしい。スズランの花は生き生きとしていて緑の葉は瑞々しく、テーブルには汚れや染みが一つもない。
「お待たせいたしました。ミルクとシロップはお好みでどうぞ」
「みゃあ」
「ありがとうございます」
コーヒーを受け取るとミルクとシロップを二つずつ投入して掻き混ぜた。一口飲むとコーヒーの香りとミルクの甘みが口一杯に広がって幸せな
堪能しながら隣を見るとドブが仰向けになりながら腹を見せるように眠っていた。まるで腹を出して眠るおっさんのような寝相に、優太はコーヒーを吹き出しそうになったが、他人の家で腹を出して眠れる神経の図太さには恐れ入った。
(まあ、僕を信頼してくれてるなら嬉しいけどさ)
「可愛らしい猫ちゃんですね」
「えぇ……ありがとうございます」
可愛いのは事実。でも、時々憎らしい。初対面の人間に話すことでもないので、口には出さなかったが。
「正直、お優しそうな方で安心しましたわ」
初対面で『優しそう』と言われることが多いが、明美の瞳はどこか品定めをしているように見えた。珍しくないことなので優太は気にも留めなかった。
「よろしくお願い致します。コーヒーもご馳走様です」
「いえいえ」
「早速なのですが本題に入ってもよろしいでしょうか? 娘さんが妖怪に憑りつかれているかどうかのご相談でしたよね?」
例えばこれが訪問販売の営業なら打ち解ける工夫や会話が必要だろう。しかし、自分の仕事は霊的現象の解決であり結果が全て。だからこそ、依頼主と信頼関係を構築するよりも適切な除霊を行うための情報収集に徹したほうがいい。駆け引き等は存在せず料金は前もって提示しているため交渉の必要もないからだ。
「はい」
「どのような異変が起きているのか教えてもらえませんか?」
「……わかりました。では、お話させていただきます」
明美は少し面喰った様子だった。時間を掛けて優太を見定めたかったのかもしれない。しかし、こちらも全力でやっている。迅速に対処しなければ取り返しのつかない場合もあるので時間を無駄にしたくないのだ。それでも、挨拶だけはしっかりと行うようにしているが。
「単刀直入に申し上げると低血糖のような症状が何度も起きてしまうのです」
その一言に、優太は両目を細めた。
「低血糖のような症状ですか?」
「はい」
低血糖とは血糖値が正常値を下回った状態のことを指し、意識障害、痙攣、手足の痺れ、最悪の場合は死に至る危険な症状である。しかし、膵臓に疾患がない場合または医師の指導に反してインスリン投与をしない限り滅多に起こることはない。
「本人は『お腹が空きすぎて苦しい』と言って微動だにすることもできず、冷や汗が止まらなくなり意識が朦朧とするようなのです」
「どういう周期で起きるのでしょうか? それとどうすれば収まりますか?」
「不定期です。勉強中や通学中や入浴中になんてことも。食べ物で治まりますが何度も同じ症状が出ます。病院でも原因はわかりませんでした。ただ、低血糖ではないようです。この際、理由はなんでも構いません。しかし、例えば階段を上がっている最中や歩道を歩いている最中に、と考え始めたらとても恐ろしくて」
「おっしゃる通りだと思います」
階段を踏み外して転倒して打ち所が悪ければ死ぬ。歩行中に車道に倒れて自動車と衝突すれば死ぬ。これはそういう話なのだ。
(空腹で体を動かせない、か)
世界には様々な妖怪がいる。空腹に関係することで体の自由が利かなくなるのであればおそらく
「ところで、藤崎さんは専業主婦ですか?」
「いいえ。実は夫が重い病気で入院しており私はデザイナーとして働いています」
なるほど。確かに、彼女には前線で活躍していると思わせる雰囲気がある。
「普段の食事はどうされてるんですか?」
「私が仕事の合間で作ってました。忙しい時は冷凍庫に作り置きしていましたが」
優太は素直に感心した。夫が入院中ならば見舞いに行っているだろう。仕事しながら娘の食事を作りつつ見舞いにも行く。それが大変なことは想像に難くない。にもかかわらず、彼女は当たり前のように言う。彼女の原動力はなんだろう? 母親としての義務感だろうか。
「気分を害したら申し訳ありません。今の生活を大変だと思ったことはありませんか?」
「大変です。ですが、私は夫も娘も愛しています。愛する家族のために尽くすことは大変でも重荷にはなりません。家族のためにしたいと思ってることを自分で選択してやっているだけですから」
その発言に優太は感動すら覚えた。口で言うは容易いが見舞いと仕事と家事を同時にこなすのは負担が大きいだろう。それを自らの選択だと言い切る。芯のある女性で同時に母親なのだなと思い知る。そんな彼女の愛情を受け取る彼女の娘が少しだけ羨ましいような気もした。
「ただ、不甲斐ないです。苦しむ娘の力になることさえできないんですから」
そこで彼女の瞳が初めて悲しげに揺れた。家族を愛して、尽くしている女性が苦悩している。それは由々しき状況でありすぐにでも解決したいと思う。
(餓鬼憑きだと思う。あとは直接確かめよう)
「まだ断言できませんがおそらく妖怪が原因です」
純粋な低血糖であれば糖分補給だけで解決するが、今回はそうではない。
「もう、おわかりになったんですか?」
「はい」
「娘は、もう苦しまなくて済むと?」
「はい。ご協力いただければ」
「ありがとうございます‼」
明美が我が身のことのように喜ぶ。気丈に振舞っていたが、表情に出さないだけで母親として心を痛めていたのかもしれない。娘だけでなく彼女の心も救えるのなら霊能力者冥利に尽きるというものだ。本人だけでなく周囲の心労も解決できるのは霊能力者のやりがいの一つだ。だからこそ霊能力者という仕事は素晴らしい。
「今回は餓鬼憑きと呼ばれる妖怪の仕業だと思われます」
「餓鬼憑きですか?」
「ええ」
「どういう妖怪なのでしょうか?」
「『餓』える『鬼』が『憑』くと書いて餓鬼憑き。餓死した人間の怨念が怨霊となり憑りつきます。憑りつかれた人間は強烈な飢餓感に襲われて食べ物を食べない限り身動きが取れなくなるとされています。地方によって『ひだる神』や『ダリ』などと呼ばれます」
「そうなんですか……」
ちなみに『餓鬼』と呼ばれる妖怪も存在するが、餓鬼憑きとは性質が異なる。『餓鬼』は生前に罪を犯した人間が六道で言う餓鬼道に落とされたことで生まれる妖怪で、強い空腹を感じながらも食物を食べられずに苦しむ羽目となる。
一方の餓鬼憑きは言わば空腹や飢餓感に苛まれながら死んだ人間の怨念や、その魂が怨霊になったものを指す。餓鬼憑きは妖気が少なく除霊も容易い。だが、『餓鬼』と違って霊魂の未練や心残りによってその性質が変わりやすいという特徴がある。
「強力な妖怪ではありません。それに空腹さえ解消されれば自ら成仏することもあり危険度は低い妖怪だと言われています」
「ですが、娘は…………」
明美の眉根が寄った。彼女の娘は症状が再発しているので疑問に感じるのもわかる。だが、それは昨今の餓鬼憑きに見られる傾向の一つだった。
「ご安心ください。除霊はあっという間です。餓鬼憑きが成仏しないのも娘さんが原因ではありません。餓鬼憑き側の事情でしょう。それを確かめるためにも娘さんとお話させてもらえませんか?」
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