貴賎はなしと彼女は笑う

若槻 風亜

第1話


 傾けていたコップを唇から離し、大滝おおたき つよしは小さく嘆息たんそくする。目の前には美味そうな料理の数々。周囲には再会を喜び思い出話や近況を語り合う中学時代の友人たち。笑顔にならなくてはおかしいこの状況に、彼の心ほど似つかわしくないものはないだろう。


 本日は中学の同窓会。卒業からは実に二十年が経っていた。前回の開催からは五年ぶりだそうだが、大滝はこれまでに開催されている同窓会に一度も参加してきていないので個人的に会うことがある一部以外とは実に卒業ぶりである。仕事が忙しい、遠方に越した、などがあり大滝と同様初参加の者が複数いるようだが、彼ら彼女らはあっという間に人の輪の中に入り込んでいた。元のコミュニケーション能力の差というはこういう時に顕著けんちょに現れるなと改めて実感する。


 では何故、そんなコミュニケーションに難のある男が渋い顔を引っ提げて同窓会という恐ろしい場所に足を運んだか。その理由は、友人である江川えがわ さとしにあった。


 彼は大滝以上に人付き合いが下手であったため、中学時代はもちろん同じ進学先となった高校時代にもそれほど友人には恵まれなかった。同窓会に参加するなど、彼にとっては本来選択肢にも上がらないだろう。にもかかわらず、何故彼は半泣きで自分に同窓会に一緒に出てくれと頼みこんできたか。これにもさらに理由がある。


 大滝は視線を流し、手に手に本を持った同級生たちに囲まれてペンを握っている江川を視界に捉えた。必死に笑顔を取り繕っているが、大滝から見れば随分と引きつった笑顔だ。


(作家ってのも大変だな……)


 ひとち、皿に取った寿司を口に運ぶ。


 江川は中学時代から小説を書くことが趣味だったが、花が開いたのは三年ほど前のことだ。小説大賞を受賞し一冊目の本が出た際にはテレビでも取材を受けており、それを観た同級生たちから注目を受けることとなった。とはいえ、人付き合いをまともにしてこなかった男だ。直接の連絡は彼にはほとんど来ず、彼よりも少しだけ交流範囲が広かった大滝が代わりに賛辞を受け、それを江川に伝える、というのがよくあるパターンである。自分はいつの間に江川の代理人になったのか。そんなことを揶揄やゆして笑った時には、江川も「頼りにしてる」なんて笑っていた。


 そしてつい先日、三冊目の本を出したところで、江川にとっての大事件が起きた。この同窓会を知った彼の編集が言ってきたそうだ。「ぜひ参加して先生の同級生の皆さんにも宣伝してきてください」、と。


 何と酷なことを、とその話を聞いた時の苦みを大滝は今でも鮮明に思い出せる。


 大滝も何度か江川の編集に会ったことがあるが、彼はとても良い人物だ。明るく朗らかで、言葉が詰まりやすい江川の話も根気強く聞いてくれ、小説の修正部分を指摘をする際も可能な限り優しい言葉を選んでくれる。まさに絵に描いたような好青年だ。しかし、そんな彼にもとんでもない欠点があった。それは、「誰でもやろうと思えば自分と同じことは出来る」と思っていること。そう、の編集殿は、コミュ障に対して「友人と話すのは楽しいことだしその流れで宣伝くらい出来るだろう」と本気で思って、それをやれと言ってきたのだ。


 控えめながらも嫌なことは嫌だと言える江川ではあるが、日ごろあれこれと世話になっている編集の頼みともいえる勧めには流石に否やとは言えなかったらしい。分かりましたと引きつりながら是を返し、その日のうちに悲鳴のような声を上げながら大滝に助けを求めてきた。


(あれは流石に断れないなぁ)


 江川からの頼み事は珍しいものではないが、ああも必死に真剣に追い詰められて頼み込んでくるのは初めてだ。お返しにと挙げられた様々なものは高価な物ばかりで、死地に飛び込む代償として貰うとしても気が引ける。とりあえず、今度奢ってもらうのと、何か困った時に助けてくれるのを条件に、彼の救援要請を受け入れたのだ。


 結果としてこうしてボッチ飯になってしまってはいるのは非常にいたたまれないが、正反対に囲まれている数少ない友人を取り残して帰るのも心苦しいのでしばらくは耐えるしかない。


 覚悟を決め直し、大滝は別の寿司をいくつか皿に盛り口に運び出した。それほど腹が減っているわけではないのだが、酒はあまり得意ではないし、かといって何もしていないと寝不足で眠ってしまいそうだったのだ。何せ昨日は仕事で――。


「お? なあ、お前大滝か?」


 談笑しながら近くを通りかかった男性が、寿司を咀嚼そしゃくしていた大滝に声をかけてくる。誰だろう、と口の中の物を喉の奥に飲み落として視線を向ければ、高そうなスーツを着た二人組の男が「ああやっぱり」「あんまり変わってないな」と親し気に笑いかけてきた。一方の大滝は、顔を見れば何となく面影を残す同級生を思い出せるが、名前が全く出てこず、とりあえずと笑って見せる。


「久しぶりだな、お前同窓会初参加だろ?」

「ああ、うん。仕事の都合がつかなくて」


 ということにしておく。まかり間違っても同級生たちと会う楽しみが見いだせなかったとは言えない。まあ、仕事が忙しいのも本当なので、完全に嘘ということではないからいいだろう。


「仕事何してんだ? 俺は会社の社長で、こいつは上場企業の営業だって」


 人のことを訊く前に自分の紹介を、というのは当たり前の礼儀なのかもしれないが、どうも浮かんでいる笑顔からは大滝にマウントを取りたいという欲求が分かりやすく表れていた。着ているスーツが安物だと一見して気付いたのだろう。自分たちより上ということはないはず、という確信があるようだ。――まあ、収入という点では間違ってはいない。


「運送会社で中距離ドライバーしてるよ」


 高校卒業後、大学に進学し、最初は今の運送会社にスタッフとして就職した。けれど、運転することが好きだったことと、一時期ドライバー不足のためにワゴン車で駆り出された時のやりがいが忘れられずに結局ドライバーに転向したのだ。理不尽に怒鳴られることや、相手先の都合で何時間も待たされることなど、各会社を渡り歩くのは苦労もある。何なら昨日はまさにそれであった。基本的には首都圏とその近郊の県を回るのだが、昨日は物品を取りに行った会社でトラブルが起き、別の県にある工場まで取りに行かされ大幅に残業になったのだ。もちろんその分の料金はちゃんと発生しているし残業代も請求出来るのだが、同窓会前に大幅に体力が削り取られたのは間違いない。


 それでも辞められないくらいには、大滝はドライバーの仕事に誇りと執着を持っていた。なので、この仕事を恥とは思わない。思わないのだが――。


「トラックの運ちゃんかー。まあ、うん、大事な仕事だよな」

「うんうん、いてくれないと経済回らないもんな―。凄いじゃん」


 ――こうして遠回しに馬鹿にされる時は、心がざらつく。


 社長だの一流企業の営業だのに比べたら、なるほど収入や社会的地位は格段に落ちることだろう。けれど、こんな風に含み笑いで見下されるような仕事ではないはずだ。彼らが口にしている通り、トラックドライバーは流通を支える存在。上に見られるものでなくても下に見られるものでもない。そんな風に反論したいところだが、ここで騒ぎにするのは得策ではないだろう。


 とりあえず笑って済ませよう。そして満足したらどこかに消えてくれ。そう願いながら「そうだね」と口にしようとしたところ、その言葉は大滝ではなく別の人間の口から放たれた。


「そうそう、大事なんだよトラックドライバーさん」


 明るいそれは女性の声。それに、大滝は「そういえば彼女も来ると言っていたな」と思い出す。そんな彼の目の前では、男性二人が「おぉ」と嬉しそうな顔をした。


春谷はるたにさん、久しぶり!」

「前回の同窓会以来だっけ? どんどん綺麗になるね、麻美あさみちゃん」


 声を弾ませながら大滝を通り過ぎる彼らに引きずられるように、大滝も背後を振り返る。そこに立っていたのは、くすんだ色の落ち着いたパーティドレス風のワンピースを纏っている茶髪の女性。彼女は春谷 麻美。学生時代も整った容姿と明るい人柄で人気な女子生徒だったが、大人になった今は一層麗しさが重ねられていた。


 春谷は同級生二人の誉め言葉に「ありがとー」と笑顔で返すと、大滝に向き合いぺこりと頭を下げる。


「お疲れ様、いつもお世話になってます~」

「あ、うん、お疲れ様。こちらこそ」


 ふざけた調子で挨拶され、大滝は頭を下げ返した。


「え、大滝と春谷さん、仕事仲間なの?」

「麻美ちゃん外資系の会社で秘書やってたんじゃなかったっけ?」


 自分たち以上に大滝に親し気に話しかけられたのが面白くなかったのか、同級生二人が割って入ってくる。頭を上げた春谷は何てことないように「転職したんだ」と答えた。


「今は貿易会社で働いてるの。大滝君はうちに入ってくれてるドライバーさんのひとり」


 ね、と笑いかけられ、大滝は頷いて見せる。


 彼女と再会したのは四年ほど前のこと。すでに行き慣れてたくだんの貿易会社に荷物を受け取りに向かったところ、新人だと紹介されたのが彼女。同性の同級生すら十分に覚えていない大滝が、化粧もしている女性を一目で判断することなど出来ず、当たり障りない態度で挨拶をした。すると、彼女は


『やっぱり、大滝君。中学校同じだったよね? 春谷 麻美。覚えてないかな?』


 そう言って笑ったのだ。名前を告げられかつての彼女を思い出した大滝は、その頃の面影を残す顔を見てようやく彼女を思い出した。それからは、荷受けに行くたびに仕事に支障がない程度に会話を交わし、今では時々食事を共にするようになっている。ちなみに、江川とも大滝経由で再会を果たしていた。江川が怯えずに話せる数少ない人物の一人でもある。


「えー、そうなんだ。勿体ないね。いい会社だったのに」

「今も秘書やってるの?」

「ううん、現場。入ったくらいの頃は段取りとか商品準備とかで、今は現場指揮の補助が主な仕事。最近自分一人で任せてもらえる案件増えて来たんだよ」


 誇らしげに笑う春谷。彼女がどれだけ真剣に仕事に向き合って、悔しいこと辛いことを乗り越え、嬉しいこと喜ばしいことを噛み締めて来たのか、端的とはいえ知っている大滝は自然と頬を緩ませた。本気で挑んでいる仕事に評価がついてくるのは良いことだし、それを誇れるのも良いことだ。


 しかし、話を聞いていた同級生二人はそうは思わないらしい。


「現場ぁ!? 嘘でしょ、いい大学出て一流企業勤めて秘書までやって、行き着く先が現場?」

「ええ……本当に勿体ないな。そんな所辞めてうち来たら? 能力は上手く使わないと」

「お、それならうちでもいいよ。俺もそろそろ秘書欲しいなって思ってたんだ」

「いやいや、条件はうちの方がいいって」


 やいやいと本人そっちのけで楽し気に言い合う同級生二人。身振り手振りが増えてようやく気付いたが、彼らからは酒の匂いが漂ってくる。どうやら酔っているらしい。道理で分かりやすく絡んでくるわけだ。呆れていると、春谷も彼らが酔っていると気付いたようで、笑いながら肩を竦めて見せた。


「ええー? 私引っ張りだこだねー。ありがとう二人とも、でも私、現場作業性に合ってるみたいだから、しばらくは大丈夫かな」

「いや! いやいや、春谷さん、勿体ないって」

「そうだよー、麻美ちゃんに現場は似合わないって」


 穏便に済ませようと笑顔を絶やさない春谷だが、酔っ払いには通じない。勿体ない、似合わない、相応ふさわしくない、そんな言葉が飛び交う中、彼女の笑顔は少しずつ引きつっていく。そんな場を、ぴしゃりと割る言葉がひとつ。


「そんなことないよ」


 放ったのはしばらく黙っていた大滝。同級生三人の視線が向けられた。注目を浴びるのは苦手だが、間違ったことを言っているつもりはないので躊躇ちゅうちょはない。


「彼女が現場で指示を出してる所見たら分かる。びしっとスーツ着てる姿より、きっと彼女は、作業着着てタブレット片手に現場を歩き回ってる方が似合ってる」


 トラックの座席からその姿を始めて見た時、凛々しい表情とキビキビ歩き回る背中にとても目を奪われた。中学生の頃確かに可愛い少女だったが、大滝には、今の彼女の方がずっと魅力的に見えている。


 真顔で大滝が断言したため、同級生二人は口ごもった。その背後で、春谷は溢れるように口元を緩ませる。


「――うん」


 納得したような声。同級生たちが振り向き、大滝が視線を向けると、春谷は現場で見せるような快活な笑みを浮かべていた。


「そうだね、私、現場大好きなの。秘書の仕事も楽しくなかったわけじゃないけど、私にとってはこっちの方が楽しいんだ。それにそんなに駄目な仕事じゃないよ。うん、ほら、あれだよね」


 続く彼女の言葉に、大滝は同窓会に来てから初めて素直に唇に弧を刻むことになる。


「職に貴賎なし、ってやつ」



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