死んだ僕が愛した花園
多部栄次(エージ)
第1頁 最後の神
僕は時折、風を羨ましく感じる。
姿形はないのに、種を運び、鳥が羽ばたくのを手伝い、詩人の心を揺さぶらせる。自由気ままにどこへでも、どこまでも流れていく様は、この場所から一歩も動けない僕にとってあこがれだった。精々、それを恩恵として全身で感じ取ることしかできない。
君はまさに、風のような人だ。天真爛漫でつかみどころがない。そこにいるはずなのに見えなくて、見えないのに確かに傍にいるように感じて。
水面の見えない水の中で溺れているように僕は曖昧に受け取っているというのに、君は僕の内を見抜いている。暗い水の中で差す光のように、僕の心に土足で入って手を伸ばしてくる。ずるいやつだよ君は。
でも、そういうものなんだろうね。風というものは気まぐれに、いや、僕らの心が気まぐれなんだろう。君のことを勝手に心地よく感じたり、うっとうしく感じたりするのだから。
……君は本当に、面白いことを言う。できることなら、僕も一緒に旅をしてみたいさ。
でも。
僕はこの場所で長く、永く生き、この場所を守らなくちゃいけない。この場所でしか生きられない命の憩いとならなければならない。
だからこそ、君に問いたい。
君にはこの世界がどう見えているのかな。
自由だからこそ、見える世界は僕と違うだろう。抱える運命も、果たすべき使命も違うのだろう。
時の流れとともに、世界が著しく変わっているのは僕でもわかる。ただ、君の話を聞いて少しばかり疑ってしまったようだ。何を信じればいいか、わからなくなってしまった。
……あぁ、でも君がそう答えるのなら。
そうか。もう、この世界は。
教えてくれてありがとう。これで、ゆっくり眠れそうだ。
風よ。君は僕とは違い、姿も命もない。でも、この美しくも残酷な世界の末を見届け、伝え、そして命を芽吹かせる力を持っている。君は自由そのものだ。世界に終わりが迎えようとも、時代の果てを迎えようとも、君はその無邪気な笑顔で旅を続けられるのだろう。
どうかあなたに託したその種が、私のように誰かを守る樹とならんことを。
どれほど月日の流れを見てきたのだろう。この場所で起きたすべてを、彼はきっと見続けてきたのだろう。
そう思わせる程、空へ羽ばたかんばかりにどこまでも大きく枝葉を伸ばした老樹を、黒い衣服を纏ったひとりの若人が見上げていた。
絹のように美しく流れた白い髪。新雪のように白く潤んだ肌。そして、血を、焔を閉じ込めたような真紅の瞳が、宝石のように輝いている。美しい人の形を為すも、子どもでも大人でもない。男でも女でもなければ聖者でも罪人でもない。なんにでも染まる白でありつつ、何も染まらない無色ともいえる存在が、そこにいた。
細く白い手を樹の幹に触れる。割れ物でも触るようなやさしさ。それは確かに、この地を守ってきた神に温もりを与えたことだろう。
「あなたの分まで、この”目”で視てきます」
その一言を最後に、純白の髪と黒衣を翻しては背を向けた。
広がる草原と快晴の空。青と緑の二つに分かつ世界を真紅の瞳はどう映す。
旅人の名はイノ。
神亡き世界を見届ける風として。
枯れ往く花の種を運ぶ蝶として。
白き旅人は一歩前へ踏み出した。
死んだ僕が愛した花園 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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