第4話 Feed
銀次はジュラ紀にやって来た。超大陸パンゲアが2つに分裂した。北がローラシア、南がゴンドワナと呼ばれていた。その後、ローラシアは北アメリカとユーラシアな分裂した。
ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まった。絶滅は地上と海洋の両方でおき、地上の方が数百万年早かったと言われている。海洋生物の20%と恐竜・翼竜・ワニ以外の祖竜(主竜類)、大型獣弓類が衰退し(最近日本で白亜紀の地層からトリティロドン類が見つかっているが、これも小型種だった)、最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消した。この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されているが、現在は中央大西洋マグマ分布域における火山活動との関連が有力視されている。
三畳紀末期の絶滅を生き残った恐竜が栄えた。三畳紀から相次いだ火山活動の結果、大気中の二酸化炭素濃度は高く、ジュラ紀は現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高かった。そのため動物、植物はともに種類が増え、大型化していった。植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し、地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、始祖鳥が現れたのもこの時代である。三畳紀に登場した哺乳類(哺乳形類や、その母体であるキノドン類の生き残り含む)は、小動物としてのニッチを確立していた。例として彼らが掘り上げた巣穴が見つかっている。
ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。
ヨーロッパにある海にやって来た。リオプレウロドンが現れた。全長10メートル程度の首長竜だ。リオプレウロドンは水中でも嗅覚を発揮する。眼窩が大きく、視力に優れている。アゴには鋭い歯がたくさん並んでいる。
リオプレウロドンは砂浜に迫っていた。
このままじゃあふない!
そのとき、空から人間が降りてきた。
正体は斎藤涼子だった。涼子は巌流島でサファイアブルーの玉を見つけた。この玉には空を飛ぶ能力を備えていた。悪人を5人以上倒すと能力を発揮する。
吉川英治の小説『宮本武蔵』では、「武蔵が決闘にわざと遅れた」となっていたが、武蔵は遅れてなど来なかった。
小次郎は「三尺の白刃」を手にして決闘に挑み、武蔵は「木刃の一撃」で小次郎を倒したとある。このときの武蔵の必殺の一撃は「電光猶ほ遅きが如し」と表現されている。また碑文には「両雄同時に相会し」とあり、武蔵は遅刻していない。
武蔵は卑怯な奴だと涼子は思った。一対一の約束に反して弟子4人を引き連れ巌流島に渡り、決闘では武蔵は小次郎を仕留めることができず、小次郎はしばらく後に息を吹き返し、その後武蔵の弟子らに撲殺された。小次郎の弟子らは決闘の真相を知り、反感を抱いて武蔵を襲撃するが、武蔵は門司城に逃げ込み、城代沼田の助けにより武蔵は無事落ち延びた。、武蔵をかくまったという沼田延元の美談の一つとして武蔵のエピソードが紹介されている。決闘に至った理由も、弟子らが互いの師の優劣で揉めたことが発端と記されており、門人らの争いが一連の騒動を引き起こしたとされている。
この決闘で小次郎は刃長3尺余(約1メートル)の野太刀「
涼子はタイムスリップしたはいいが、飢えており小次郎の亡骸から銭を頂戴しようとした。そのときに玉を手に入れたのだ。
小次郎の跳躍技は全て、玉のお陰だったのだ。
涼子はライフル銃でリオプレウロドンを倒した。真っ赤な血を迸らせながら、リオプレウロドンは死んだ。海面はドス黒く染まった。
小次郎が亡くなった翌年の1613年、仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した。いわゆる『慶長遣欧使節団』である。
大航海時代にヨーロッパ勢力は、世界各地に植民地をつくっていた。植民地活動で先行していたのはカトリックのスペイン、ポルトガルであり、太平洋地域に於いてスペインはフィリピンを植民地としてマニラ・ガレオンなどで多くの利益を上げ、ポルトガルはマカオを拠点にしていた。一方、植民地活動で遅れをとっていたプロテスタントのイギリス、オランダも、遅れを取り戻すべく積極的な活動をしており、時の権力者徳川家康は、オランダの商船リーフデ号で豊後国(現・大分県)に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦安針)を外交顧問としていた。
こうしたなか、慶長14年(1609年)に前フィリピン総督ドン・ロドリゴの乗ったサン・フランシスコ号が上総国岩和田村(現御宿町)に漂着するという事件があり、慶長16年(1611年)には答礼使としてセバスティアン・ビスカイノがスペイン国王フェリペ3世の親書を携えて来日した。しかし家康は、スペイン側の要求であるカトリックの布教を許せば、それをてこにして植民地化されかねない、というアダムスの進言もあり、友好的な態度を取りながらも全面的な外交を開くことはしなかった。
このような状況のなか、伊達政宗は家康から許可を得て欧州へ使節を派遣することにした。慶長遣欧使節の主目的は仙台藩とスペインの通商交渉であったと言われる(スペインとの軍事同盟、さらにはそれを利用しての倒幕があったとする説もあるが、この説への反対意見もある)。一方、この使節はルイス・ソテロが自らの宣教師兼通訳と言う立場を利用して布教上の目的から企てたものであり、政宗らの権威がそれに利用されたに過ぎないとの主張もある。
政宗は仙台領内において、セバスティアン・ビスカイノの協力によってガレオン船サン・フアン・バウティスタ号を建造した。この造船には、江戸幕府から派遣された船大工も参加していた。当時、フェリペ3世を国王とするスペイン帝国は、世界最大の植民地帝国であった。スペインは、ガレオン船の建造技術を国家の最高機密としており、造船技術を外国に漏洩した者を死刑に処していた。政宗はルイス・ソテロを外交使節の正使に、家臣・支倉常長を副使に任命し、ソテロや常長を中心とする一行180余人をヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)、スペインおよびローマへ派遣した。
使節団は、慶長18年9月15日(1613年10月28日)にサン・フアン・バウティスタ号で牡鹿半島の月ノ浦(現在の宮城県石巻市)を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ太平洋岸のアカプルコへ向かった。
出航から3か月後の1614年1月28日、アカプルコ入港。3月4日、使節団の先遣隊がメキシコシティに入った。先遣隊の武士がメキシコシティで盗人を無礼討ちにし、常長ら10人を除き武器を取り上げられた。3月24日、常長らがメキシコシティ入り。5月8日、メキシコシティを出発。6月10日、使節団はスペイン艦隊のサン・ホセ号でヌエバ・エスパーニャ大西洋岸ベラクルスのサン・フアン・デ・ウルアを出港した。
7月23日、キューバのハバナに到着。8月7日、ハバナを出港した。
10月5日、スペイン南部のサンルーカル・デ・バラメーダに到着。セビリアの貴族であるソテロの本拠地、セビリアに入った。10月27日、常長はセビリア臨時市議会に臨み、使命を述べた。11月25日、使節団はセビリアを出発した。
12月20日、使節団はスペインの首都マドリードに入った。1615年1月30日、常長ら使節はスペイン国王フェリペ3世に謁見した。2月17日、常長はフェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の付属教会で洗礼を受けた。8月22日、使節団はマドリードを出発した。
10月25日、使節団がローマに到着。10月29日、使節団がローマで、栄誉あるローマ入市式を行った。11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に謁見。11月20日、常長らにローマ市民権証書が授与される。1616年1月7日、使節団はローマを出発し再びスペインのセビリアへ。
1617年7月4日、使節団はセビリアを出発しヌエバ・エスパーニャまで戻り、1618年4月2日、迎えのサン・フアン・バウティスタ号でアカプルコを出港。同年8月10日、フィリピンのマニラに到着。
サン・フアン・バウティスタ号をマニラで売却し、常長は便船で元和6年8月24日(1620年9月20日)日本へ帰国。元和8年7月1日(1622年8月7日)、常長死去。
ソテロは、元和8年9月18日(1622年10月22日)、マニラから密入国しようとしたが捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)大村で火刑により殉教した(49歳没)。
そんな素晴らしい功績を涼子と一緒にタイムスリップして来た石原は本にしようとした。
しかし、家康の息子の秀忠は出版を統制した。
秀忠の下僕が深川にある長屋にやって来て、本を石原に投げつけた。石原とつきあっていた涼子は体を震わせた。
「石原ってのは貴様か!?徳川家に関することを勝手に書きやがって!」
狐みたいな顔の下僕は筆をバキッ!とへし折り、石原の両腕の関節をボキボキ!と、へし折った。
「これで2度とかけまい!」
プッ!と、狐は石原の顔にツバを吐きかけた。
「ふざけるな!江戸城に火を放つぞ!」
「捨て置けん!」
下僕は太刀で石原の首をズバッ!と、斬り落とした。1625年の8月のことだった。
涼子は辻斬りや、涼子の体目立てに襲いかかってきたデブを斬り殺した。殺害人数は6人。
狐は刀で襲いかかってきたが、涼子は宙に舞って攻撃を躱すと、吹き矢を狐の頸動脈にブッ!と突き刺して倒した。
狐は懐にオレンジ色に輝く玉を手にしていた。
この玉には体力を回復させる能力を秘めていた。
「致命傷を負わせておいてよかった」
涼子は変わり果てた恋人にすがりついて泣いた。
卑劣漢の徳川秀忠を倒すことを涼子は誓った。
ナインボール 鷹山トシキ @1982
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