第三話 作家と女子高生と買い物(2/2)
❁
「お!」
スーパーを出ると、雨はすっかりとあがっていた。
分厚い雲の隙間から、光の筋が
天使の
〝ちからのかぎり そらいっぱいの 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ〟
羨ましいくらいすごい感性。今の僕からは、こんな表現、絶対に出てこない。これほどまでに自在に言葉を操れたら、どれだけ気持ちがいいだろう。物語が
雨あがりの空気は、どこか澄んでひんやりとしていた。
「じゃあ、いこうか」
「はい」
僕たちは肩を並べて歩き出した。
と、同時に
「ホヅミ先生。もしかしてなんですけど、〝季節〟シリーズのラストシーンってこんな風景をイメージして書いたりしました?」
〝季節〟シリーズとは、僕のデビュー作の総称だ。
春から夏、夏から秋、秋から冬を描いた全三巻。売り上げは悪くなかったらしいけど、見込んでいたよりも伸びなかったらしく、途中で打ち切りになってしまった作品の一つだ。
そのシリーズの最後、難病の手術を終えたヒロインは、主人公と共に病院の屋上で空を見あげるのだ。手術の結果についてはあえて明示せず、ずっと暗雲の中を進み続けた二人がようやく
「わたし、あのシーンすごく好きなんですよ。手術の結果は明示されてなかったですけど、雨あがりに雲が割れて、空が晴れて、光が
「うん。合ってる」
いつしか、僕は必要以上に空の高いところへ視線を投げていた。
でなければ、瞳から
胸の中で、あの黄金の光にも似た
ここだけの話、〝季節〟シリーズの終わりは、きちんと文字で明示しなかったことで、読者から
僕としては段階を踏んで、しっかり説明をした上での比喩だったのだけれど、どうやら読み取れなかった人もいたらしい。最後がよくわからなかった、という文字と共に通販サイトで一番低い評価を付けられたりもした。もちろん、僕の力不足もあっただろう。それでも、その感想を見た時は悔しくて悔しくて、一晩中、泣いた。
だからこそ、今、誰かにちゃんと届いていたことがわかって、
本を書いていると、こういう瞬間がある。
気持ちとか、感情とか、本来、色も形もないものを、顔も知らない誰かと共有できる瞬間が。
もちろん、全部は無理だ。
それでも、一割とか二割とかでも、こうしてきちんと届くのなら、僕が見ていた景色を、
「ありがとう」
「あれ? 今、どうしてわたしはお礼を言われたんですか?」
「
「よくわかりません」
「大丈夫。それでいいんだ」
「そうなんですか?」
「うん」
「じゃあ、そのままにしておきますね」
角を曲がると、沈む
「
「もうすっかりと雨はあがったみたいだね」
「ですね」
「わざわざ迎えにくる必要もなかったかな」
「え?」
「これなら、君一人でも荷物を持てた」
今、
ひらひらと空っぽの手を振る。
それを見た
その長いまつ毛は太陽の光を受けて、キラキラと輝いていた。いや、まつ毛だけじゃない。雨の残した足跡が光を乱反射させて、彼女を囲う世界全てを輝かせていた。
「それなら、手を
「はい?」
「さあ、さあ。はやくはやく」
なにがどうなれば、それなら、に
誰かと手を
小さくて、冷たくて、細くて、力加減を間違えたら、折れてしまいそうなそんな手だった。
心臓が、ドクンドクンと大きな音を立てて、血液を速く回していた。
「必要ないなんて言わないでくださいよ」
どこかいじけたみたいな声。
「わたし、ホヅミ先生と一緒に買い物ができてすごく
「そんなことが
「だって、ラブコメのワンシーンみたいじゃないですか」
その瞬間だった。
なにかが僕の中に落ちてきた。
それは衝動であり、刺激であり、驚きであり、ずっと探していたものだった。
どうやら僕は難しく考えすぎていたらしい。
多分、〝ラブコメ〟ってこんなのでいいんだ。特別なことなんてなにもいらない。君がいて、僕がいる。鼻歌なんか歌いながら、手を
それだけでラブコメになるんだ。
だって、今、こんなにドキドキしてる。
この
僕と
影と歩幅を合わせて歩いていく。
「
「その分、心があったかいんですよ」
なるほどな、と思った。
❁
その夜、僕は
夕方に届いたメッセージに返信する
定型のあいさつ文を打ち込んで、こう続ける。
『これで、いきたいと思います』
次いで、テキストファイルを添付。
新作ラブコメのプロットだ。プロットっていうのは、まあ、要するに小説の企画書とか設計図みたいなもの。これをもとに編集と作品のイメージを共有して、作家は小説を書く。
テーマは、〝青春を取り戻せ〟。
主人公は仕事もプライベートも
そんな二人が、ふとしたきっかけで出会い、交流を深めていく物語。
主人公はこれまでろくに女の子と接する機会がなかったから、戸惑いつつ、それでもヒロインのいる日々に
それは案外と特別で、楽しいことのように、僕には思えた。
❁
深夜の三時を過ぎた頃、返信があった。
ひどく短い文章だった。
それでも、思わず笑っていた。
『はい、これでいきましょう』
そして、僕はようやく一文字目を打ち始めた。
ホヅミ先生と茉莉くんと。 葉月 文/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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