第3話 スーリャが見つけたものとこれからのさがしもの



 戦争はまだ止められないのに、スーリャの部隊はイギリスに帰って、別の部隊と交代することになりました。




 スーリャはこれを機会に、ずうっと胸に巣食っていた疑問を調べてみることにします。




「お父さんはいったいどうして軍に入って、どうして辞めたのか」


 そして


「お父さんはどうして名前を変えたのか」




 このふたつの問いに答えが出れば、自分のさがしものの方向が見えてくる気がしたのです。お父さんを人生のお手本にしようと思ったのかもしれません。




 宿舎の近くの図書館に行ってみましたが、スーリャの国の事情を書いた本は数冊しかありませんでした。それらをささっと読んでしまってから、今度は軍の先輩に会ってみることにしました。




 幸いなことにイギリスには、同じ国出身の退役軍人の方がたくさんいます。


 イギリスの家に住み、子供たちはイギリスの学校に通い、普通に暮らしているのです。




 年齢の近い先輩から順々に紹介してもらって、ある日やっと長老と呼べる人に会うことができました。


 応接ソファを勧めてくれたのは、退役軍人と言っても60歳くらいの元気な方で、髪も黒々としています。お父さんよりちょっぴり年上なくらいでしょうか。




「やあ、いらっしゃい。君は、見たところもしかして、『ダウラギリの子供』かな?」


「あ、はい、そうです。スーリャ・グルンと申します」




 長老は嬉しそうに紅茶をすすめます。


「私は『アンナプルナの息子』だ」




「あの、それっていったいどういう意味ですか?」


「おや、知らないで言っていたのかい? 君のお父上はムスタンだろう?」




「はい、それは、そうなんですが、父がどうしてムスタンという名前を捨てたのか、わからないんです」


「それは困った」


 長老は全然困っていない様子で答えました。




「私たちの国は、エベレストに始まって背の高い山々が並んでる。山ひとつ違うと少しずつ文化が違う」


「はい」




「部族というか、血筋もちょっと違って君はダウラギリ系の顔つきだ。チベット族に近いんだね。アンナプルナも近いんだが、ダウラギリは最後まで王家が残っていた」




 長老はちょっと首をかしげてスーリャの顔色をうかがいました。


「ムスタンは王家の名前だよ」




 スーリャは一瞬カップを取り落とすかと思いました。




「君のお祖父さんはムスタンだった。でももう周りは多民族がひとつの国を作っていた。少々の違いは互いに尊重して、国として団結していこうとしていたんだな。お祖父さんもそれに賛成した」




「ダウラギリの王様……ですか?」


「そうだよ」




「父は、ヤギ飼ってるだけなのに?」


「不甲斐ないかい? お父上は東欧で、統一国家がバラバラに崩れていく悲惨さを見てしまったからね、ヤギを飼うことのほうが幸せに思ったのかもしれないね」




 スーリャはハッと手を口に置いて考え込んでしまいました。




「僕は間違ってたみたいだ。お父さんは自分の幸せを探していないと思ってた。毎日毎日同じことして、小屋も建て替えなくて、ただ死ぬのを待ってるみたいだって……」




 目を上げると長老さんがゆったりと紅茶を飲んでいました。まるでスーリャの反応を全部予測していたかのようです。




「僕の考え違いだ。お父さんはダウラギリを眺めながらヤギを飼ってるほうが幸せなんだ。お祖父さんも、王様でいるより普通でいたほうがダウラギリのみんなの幸せになるって思ったのかもしれない……」




 カップの中の紅茶を飲み干してから、スーリャは尋ねました。


「もうひとつ教えてください。父はイギリスで大学生だったと聞きました。どうして軍隊に入ったんですか?」




「ああ、よく憶えているよ。入隊試験の面接をしたのは私だから」


「そうなんですか?!」




 長老は優しく微笑みました。




「ダウラギリ国がなくなった時に、統一国家には吸収されたくないっていう若者もたくさんいてね。ならイギリスの軍隊で働くって国を離れたんだ。お父上は、王族だったからといって自分一人が大学に通わせてもらって、仲間が戦場に行くのは見過ごせないと言っていた……」




 スーリャにはすぐには信じられそうもないことでした。あの静かで優しいお父さんが王族であることもまだよくわかりませんし、ダウラギリの仲間のことを考えて行動したということも。




 今ではあの小屋にたったひとりで住んでいるはずです。自分も、召使いも、仲間もいない淋しいところで。




「あ、あの、ダウラギリ族のみんなはもういないんですか?」


 スーリャは恐る恐る訊きました。




「いや、ここイギリスにもいるし、ダウラギリ山のふもとの町にもたくさんいるはず。ただ自分が一族だと意識している人が少なくなっただけだね」




「そうですか……」




 長老はソファに座り直すとじっとスーリャを見つめます。


「今度は私から質問だ。『ダウラギリの子供』よ、君はムスタンに戻りたいかい? ダウラギリ国を独立させて王様になりたいと思うか?」




「そんな、考えたこともないです。みんなが、今の生活で幸せならそれで……」




「そうか、いい言葉を聞いた。ありがとう、スーリャ」




 スーリャは長老にお礼を何度も言ってから、宿舎に戻りました。




 そして軍に除隊を願い出ました。




 イギリスでのさがしものはもうないとわかったからです。


 さがしものは、白く輝く美しい、ダウラギリ山の見えるところにある気がします。








 およそ1か月後、スーリャは生まれ育った山小屋でお父さんとくつろいでいました。


「軍隊とヤギの仕事は使う筋肉が違うみたいで疲れるよ」




 スーリャが笑うとお父さんも笑います。


「それでおまえはイギリスまで行って、いったい何を探していたんだい?」




「僕のお父さんが何者か知りたかったんだ」


 お父さんは国内で取れる強めの紅茶を吹き出し、咳き込んでしまいました。




「私に訊けばいいだろう?」


 咳の間に涙目になったお父さんの背中を、スーリャはさすってあげました。




「実はね、僕の人生って何なのかなって探してたんだ」




「もう見つかったのか?」


「ううん、でももういいやって思った」




 お父さんは今度はびくっとして真面目な視線を寄越します。


「もういいっておまえ、生きるのがいやになったとかじゃないだろうね?」




 スーリャはお父さんの心配顔にアハハと笑ってしまいました。


「とりあえず、一通りのことは経験したからね。これからは、人生を探すより、お嫁さん探したほうがいいかなって」




 お父さんは紅茶を吹いた時より目を白黒させました。


「イギリスにいい人はいなかったのかい?」




「ここで見つけたい。ダウラギリの見えるところで。それが僕だと分かった。そしてふたりの人生を探すよ。町で英語塾でも開こうかと思って」




 スーリャはお父さんが一瞬淋しそうな顔をしたのを見逃しませんでした。




「ヤギの仕事が辛くなったらお父さんも混ぜてあげるから。もう少し若い頃の話とか、お祖父ちゃんの話とかをしてくれるんならね」




 スーリャがいたずらっぽく笑うと、お父さんも頭を掻いて笑いました。









 ー了ー

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白く輝く山に育まれた若者がさがしたものは? 陸 なるみ @narumioka

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