没文

それに恋鐘の役割は舞台を整えることだ。その舞台に立つのは当事者である俺でなくてはならない。だから彼女の手を借りるのはご法度。自分の恋には自分で真正面から立ち向かわなければ、それこそ無責任というものだ。


「――うん、それもあるけどね、アタシがいいたいのはそうではなくて、」


 恋鐘は鋭く俺を指さした。


「このお弁当を作ったときに、こいつのことを頭に思い浮かべながら作ったのかってこと」

「え――?」

「恋をする上でエゴをぶつかり合わせることは確かに大事よ。でもね、恋におけるエゴっていうのは好きな人に対する想いのことなの。相手のことを忘れたエゴなんてただの醜悪な我儘よ」

 

 鹿苑は言葉に窮した。


同じ言葉なのに込められてる感情が違う! ここで話を切るわけにはいくまい。上手く立て直さねば!



 鹿苑の目に光が戻る。う……ここから曇らせるのは辛い、が言わなきゃならないっ。


「そうですよね……」




 俺の確認する問いに鹿苑はただ首を縦に振った。

 手作り弁当。手作り弁当だと?! あの彼氏が貰って嬉しいもの第1位(当者比)の!!

 そして、てんでばらばらだったクラスの喧騒が同じ感情の籠った戸惑いへと変化していく。


「貴方が好きなものが何か、嫌いなものが何か分からなかったので、たくさん作りすぎてしまったのですが……」


 鹿苑が風呂敷を解くと中から現れたのは3段積みの重箱だ。それを手際よく机の上に並べていく。


「えっと一段目が各種タネが入っているおにぎり、2段目が和食で、3段目が洋食でまとめてます」


 重箱の中には料理がびっしりと、いやみっちりと詰まっていた。卵焼きのような定番ものから、なんだか高級料亭にならんでそうな料理まである。あの見たことあるけど名前は知らないテレビに出てくるような奴だ!

 目の前の現実について、俺が正確なことを1つだけ言えるとしたら、それはただ圧倒されたということだけだ。

 鹿苑は作ってきたというのか? この量の料理を登校するまでの間に?


「あちゃ~~」


 左隣の恋鐘が深い、深いため息と共に天を仰いだ。その心底呆れた果てたという仕草に鹿苑はしだす。


「な、何か間違ったことしましちゃいましたかっ?」

「いやね、鹿苑ちゃんね、はしゃぎすぎ」

「うっ、流石に多いかなと思いましたけど、その、男性ですし、たくさん食べるかなって思って――」

「――うん、でもね、やりすぎ。というより、重い! アクセルべた踏みな展開やめなさいよ。流石に困っちゃうでしょうが、こいつが」


 恋鐘が鋭く俺を指さす。やめろここで俺に話を振るな。


「困ってますか?」


 鹿苑がつぶらな瞳で俺を見て来る。可愛いから止めて欲しい。可愛いの摂取過多で脳を病気にさせる気か? 死ぬぞ? 

 ここで「困ってない」というのは簡単だが、しかし、安易に認めてしまうのは間違っている、気がする。

 恋鐘の言葉を思い出す。恋人関係はエゴとエゴをぶつけ合わせ、すり合わせることが肝要だと。だからここは我慢しないようにしよう。


「困ってる、正直」

「そうですか……」

「重箱3つは流石に多い。俺でも流石に食いきれない」

「そうですよね……」


 鹿苑の瞳に影が落ちる。ただ俺が真に思っていることはそんなことじゃない。

 

「勘違いしないで欲しいんだけど、弁当を作ってくれたこと自体はめっちゃ嬉しい。こういうの憧れてたし、恋人の手作り弁当なんか嬉しくない訳ない!」

「そ、そうですよね!」


 鹿苑の目にみるみる元気が戻って来た。良し。上手く本心を伝えることが出来たのではないだろうか。

 エゴとエゴをぶつかり合わせるにしても、感情面でも容赦なくぶつかり合わせることが良しとされているわけではない。あくまでぶつかり合わせるのは意志と意志。無分別に感情を傷つけあって良いわけがない。

 恋鐘が教えてくれた恋愛の秘訣は諸刃の剣だ。恋人関係を長く続けるコツでもあるし、恋人関係を早く終わらせる理由にもなる。自分の言葉と態度に繊細な注意を張らなければならない。


(上手くやったわね)


 恋鐘がそう言いたげに微笑んでいる。武器商人にいわれると悪役感が強いなほんとな。

 さてこのまま開きっぱなしというのも、なんだ。折角用意してくれたのだから、いただくとしよう。

 だがその前にこの大量のお弁当を食べきるために、1つの提案をしなければなるまい。


「鹿苑、相沢も一緒にこのお弁当食べても良いか?」


 この提案に驚いたのは鹿苑ではなく、相沢の方だった。


「いや和治。それは不味いんじゃ……」

「いえ、相沢さんも是非召し上がってください。食べきれなくて、残してしまうのはよくないですから。私も頑張って食べちゃいます!」

「でも、これは鹿苑さんが和治のために作ったものなんだよね? しかも初めて。だったら、これは和治だけが食べた方が良いんじゃないかなぁ」


 相沢の疑問を鹿苑は認めた。


「確かにそういう気持ちもあります。ですが、この惨状は私が舞い上がったことで生まれてしまったものです。私の失敗が生んだものですから、その失敗を雪ぐためには私の気持ちを挟んで良いわけがありません」

「つまり、食べきることが最優先というわけ?」

「そういうことです」


 力強く頷く鹿苑に相沢はしぶしぶと言った様子で俺の提案を受け入れた。

 鹿苑も俺と同じくこの大量のお弁当を食べきってしまうことが肝要であると考えていてくれたらしい。このような何を良いこととするかの判断基準について、俺と鹿苑は極めて近い感覚を持っており、馬が合うのだった。

 

「恋鐘さんもいかがですか?」


 鹿苑は恋鐘も誘う。しかし恋鐘は首を振った。


「ごめん。アタシはかなりの偏食家でさ、決まったものしか食べられないのよね」


 なんて言って、野菜や漬物が入った小さい弁当箱の蓋を開けた。ヴィーガンなのだろうか?

 断られた鹿苑はほんの少し気落ちしていた。だから彼女を元気づけようと、俺は受け取った割りばしで重箱の中の卵焼きを口に運ぶ。

 そして一言。


「美味い!」

「本当ですかっ?」


 鹿苑が花が咲いたような笑顔になった。

 ちなみに俺はおためごかしを言っているのではない。ほんとの本当に美味しいんだ。


「砂糖がほんのり効いていて、ふわっふわしてる。卵焼きというよりは和菓子みたいな感じだ」

「良かった……もし甘い卵焼きがお嫌いだったらどうしようかと思っていました……」


 鹿苑が胸をなでおろす。


「これだけの量。何時に起きて作ったんだ?」

「4時くらいですかね」

「よ、4時?! いや、でも、待てよ。朝の早さより、調理時間の短さに驚くべきか?」


 青石高校の始業が8時30分だ。ギリギリ間に合う8時に家を出たとしても料理時間に使えるのは最大4時間。朝の準備等を考えればもっと短いだろう。だというのに、重箱3つにみっちり入るような量の料理を作り上げてしまったというのか。

 戦慄している俺に、鹿苑は自慢げな顔で、「花嫁修業はきちんとしてますから。料理の腕には自信があります」と告げる。

 

「愛の力ってすごいなー」


 相沢はおにぎりを口に頬張りながら感心する。そう改めて言われると恥ずかしいな。鹿苑も照れ顔してるし。

 

「ほ、ほらお食べください。こちらの竜田揚げもおしいですよ?」

「あ、あぁ、食べる食べる」


 誤魔化すように動き出した俺達を見て、笑う両サイド。竜田揚げ美味いなー(棒)。

 箸は自然と進む。止まらなかった、というのが正しいか。お嬢様だと思って見くびってた。料理がこれほど上手いとは。

 そんな俺を見て、恋鐘が羨むような声色で言った。


「美味しそうに食べるわね」

「実際、美味しいし。恋鐘も食べれば良いのに」

「だから偏食なんだってば」


 どんな偏食なんだよ~~~~っ、すっぱ! このおにぎりのタネの梅干しすっぱいな。口はさっぱりするけども。



観覧車から跳び下りる時はいつもほんの少しの勇気がいる。ゴンドラの進む速さに置いてかれてしまいそうで恐ろしいからだ。そして、その恐ろしさは未来へ向かう最初の一歩を踏み出す時のそれと同じだ


「色恋にうつつを抜かして勉学をおろそかにするほど私たちは腑抜けではありません」


 鹿苑が毅然とした表情で言い渡す。鋭い怒りが混じっているのは、彼女の誇りを傷つけたからだろうか。良家の娘として色々と背負っているのは付き合いが短いながらも感じ取っている。そして背負っていることこそが彼女自身の理由なのだということも。



 ただ、まぁ、テストについては大丈夫だろう。


「そこらへんは抜かりない。そもそもとして俺達が成績上位者ってこと忘れてないか?」


 俺も鹿苑も学年順位は1割以内に入る程度の学力だ。基本として勉強を疎かにする思考回路を持たない。

 

「でも、確か鹿苑さんって上位5位以内の常連じゃなかったっけ?」

「はい、そうですが?」

「はい、和治君、君はいつもどれくらいだい?」

「ぐ……っ、に、20前後だが……」

「彼氏としちゃあ、彼女と差があるのは情けなくない?」


 くそっ、この親友。痛い所を突いてきやがる。


「な、なんとかする」

「なんとかなるものなの? 僕らみたいな成績上位だと成績上げるの難しくない?」


 正論パンチやめてくれ……。


「私は成績の差とか気にしませんよ? 成績で好きになったわけじゃないですから」

「違うんだ、鹿苑さん。これは男の誇りの問題なんだよ」

「男の、誇り。



 不味い、とそういう思考が浮かぶ。何が不味いかといえば、冷静な思考が頭に浮かぶことに他ならない。頭が沸騰してもおかしくないこの状況。それでも頭が冷静なのは、体と思考が切り離されているから、もう体は勝手に動き出してしまっているから、体が頭で動いていないからに他ならない。



だったら、もっと、もっと深く繋がるべきだって、そう思ったんです」

「そのための名前呼び、と」

「名前呼びは恋人の特権だと学びました。主に、少女漫画で」

 


「さぁ、和治さんもお呼びください。『茉莉花』と。さぁ、さぁっ」

「ま、待て、まだ心の準備が……っ」


 初恋の告白から鹿苑の名前呼びと温度差が激しすぎて、精神が悲鳴を上げている。

 けれども鹿苑が熱心にねだって来るので、つい耐え切れずに、


「ま……茉莉花」


 と蚊が鳴くような声で絞り出す。


「こ、これでいいだろっ?」

「駄目です。もっと大きな声で、はっきりとお願いします」

「~~~~っ」



隣にいる恋人が一番近い人間であるということ。一番に隣にいる恋人を助けられる場所に立つ人間であるということ。世界で一番好きな人を


「え、えぇえ?! 前は否定してくださったのにッ?!」


 だって内容が違うじゃん。蠱惑的にキスを要求してくるのはもう満場一致でエッチじゃん。


「駄目だと思うよ? 駄目だと思うよ、そういうのは」

「エ、エッチな私はお嫌いですか?」


『おまけに転校してきてから最初に貴女が行った逸脱行為、恋愛相談の募集。』

『恋愛相談の募集という発想は貴女の名前から来ているのではないですか?』


 そんな時、ピコンとCルームの通知音が静けさを破る。

 アイツからの返信かっ? そう思うと、思わず勢い勇んでスマホを確認してしまった。

 だがロック画面の通知に示されていたのは『恋鐘愛』の名ではなく、『鹿苑茉莉香』の名前だった。

 普段だったらありえないが、この時ばかりは肩落としてしまった。彼女に申し訳ないが、今回ばかりは許して欲しい。

 さて、茉莉からの文面を改めて見るとこんなことが書いてあった。


『愛さんから返事が来ないんだけど、何か知らない?』


 一瞬、息が詰まった。

 そして吐き出す。


「茉莉にも返ってきてない……?」


 奇妙な出来事だった。だって恋鐘に茉莉を拒否する理由なんてないはずなのだから。俺同様に返信しないことはちと考えにくい。

 つまり恋鐘には返信できない理由がある。


「風邪を引いた、とか?」


 だが、茉莉の雑談に返さないなんてことあるか? それくらい重症って言うんならわかる。ただそれならそれで友人である茉莉に風邪を引いたと一言でも言わないのはおかしいような気がした。恋鐘は俺に対しては攻撃的だけど、茉莉とは仲良しだ。彼女を心配させない気遣いをしないのは今までの恋鐘像と合致しない。

 恋鐘愛の事情を考える。考えて、考えて、考えて……。

 ……………。


「ぁぁったく。考えててもしょうがねぇ」

 

 答えは出ない。不明の苛立ちを頭を掻きむしって晴らす。

 考えたところで一体何がわかるというのか。あいつが13年間何処で何をしていたのか、13年前のあの日に何も言わずに俺の前から消えたのか、あまつさえ本名すらしらなかった俺に、一体何が。

 畢竟、俺に出来ることなんて、ただ待つことだけ。置いてけぼりにされた13年前から、ずっと何も変わっちゃいないんだ。

 パコーンと気持ちの良い音がグラウンドから聞こえてくる。金属バットが硬球を遠くへ弾き飛ばした音だろう。こんな鬱屈とした気持ちも空へ飛ばして、何処かへやってしまえないかと、そう思った。

 思わず見上げる窓の外。見上げた空は昇りかけの朝日で少し白んでいた。




 そして恋鐘愛はその日から3日間、学校に来なかった。



おかえりなさいっ、私の和治さん!


冷静に考えて見ればおかしいじゃないか。だって10年以上も前の話の償いのためにわざわざこんなにも労力を割くか? 

俺のように過去の傷として引きずっているのはあるだろう。それを解消したいと考えるのも理解できる。だが、だったら素性を隠すのは遠回りだ。転校してきた最初の日から素性を明かして、真実を話した方が間違いなく話が速く済む。病気という不確実要素を抱えた恋鐘が時間をかけることはただそれだけでリスクとなる。シンプルな目的の達成のために手段があまりにも複雑化しすぎている。


  そう、そうだ。恋鐘はまだ自身の理由を言ってない。恋鐘自身のためだけの理由を言っていない。


 

 




公然の秘密が出来上がってしまっている。

 




 だが、素性を隠していた理由はそれだけなのか? 俺は恋鐘の弁に違和感を覚える。恋鐘が言っているのはあくまで俺に恋人を作らせる計画を実行するための理由でしかない。

 過去に不可抗力でしてしまった仕打ちの償いとして俺に恋人をつくってあげたかった。だから恋愛相談されるように素性を隠す。これは分かる。理屈が通っている。分からないのは、俺が違和を感じているのは、恋鐘が俺の幸せに固執している理由だ。

 恋鐘は償いをする前にまず謝るべきだろ。今この場で話したことを転校初日に話して、真実を明かすべきだったんだ。だが恋鐘は恋愛相談されないリスクを恐れて、今までずっと謝らなかった。俺に対する償いを優先した。冷静に考えて見ればおかしいじゃないか。不可抗力の出来事に労力を割いてまでの償いを道理と言う恋鐘が謝罪を蔑ろにするなんて。

 だから理由があるはずだ。恋鐘が謝罪よりも優先してまで俺の幸せを願う理由が。



「どうしてこうなるのかなぁ、こうなっちゃったのかなぁ」


 震える声で恋鐘は言う。


「何もかもは上手くいかないなぁ」 



 毎度毎度思うが、学校の掃除って毎日する必要あるか?

 そんなことを音楽室の窓から曇り空を眺めながら思う。


「対して汚れてないのに掃除しろっていうのはすっげぇ時間を無駄にしてる気がする」


 床を箒で掃きながら、俺はぼやいた。

 掃いても掃いても大して埃は出てこない。ないものを掃除せよ、というのは大いなる矛盾を感じる。


「学校側としては掃除の習慣を身につけて欲しいという意図があるじゃないかと思うんですけど」

「やらされてる感マシマシだから、余計に掃除に対するやる気がなくなるよ」


 




「掃除して心の整理がつくとかなんちゃら言ってるけどさ」


 乱れ切った俺の心が整理されていない。

 



いつもの会話に彼女の姿はない。




「それでは皆さん、寄り道せずにお帰りください」


 2月26日。判を押したようないつも通りの言葉で帰りのホームルームが終わる。

 


「「先生!」」

 

 俺は茉莉と共に担任教師を呼び止めた。


「ねぇ、カズ君」

 

 恋鐘は昔の呼び方で俺の名を呼んだ。


「恋ってなんなんだろうね」

「それをお前が言うのか。転校早々、恋愛相談を募集したお前が」


 茶化してやると恋鐘はただ寂しそうに笑った。笑うだけだった。

 俺は出会った頃の恋鐘が全て欺瞞の産物であったことを知っている。あの勝気で傲慢な女子高生は偽物で、恋鐘愛は俺の知る『キュー』という臆病で弱腰な少女がそのまま成長しただけの女子高生であると識っている。

 もう取り繕う必要もなくなった彼女の心はむき出して、彼女の言葉には偽りのない本心が現れている。

 だから答えなければならない。嘘を吐き続けた彼女の、童話の魔女を被り続けたと嘯く彼女の誠実さには。


「思うに、恋っていうのは何処までも自分勝手なものなんだ」

「よくある『恋は自分本位、愛は他人本位』って話?」


 恋鐘の返事に俺は頷いた。

 拍子抜けな答えに思われたかもしれないが、たかだか高校生が到達できる真理などたかが知れている。掴み取れるものなんて、手垢にまみれた俗説レベルでしかない。

 

「人が恋をするのはいつだって自分の中の誰かのイメージだ」


 何か特別なきっかけがあって人に恋をするであっても、日々の積み重ねが恋になるであっても、其処に他者はいない。あるのは自身が直面した他者の切り取られた一面――恋に落ちた理由だけだ。

 人が恋をする理由は自分ではない誰かを知ったからではなく、自分にとって都合が良い幻想を相手に抱けるからでしかない。


こい、コイ、恋。

 恋に戸惑っていた俺と鹿苑を導いてくれたキューピッドが問う。


「私は和治君の幸せを願った。和治君が幸せであればそれで良いってそんな風に思ってた。それじゃあ、駄目だったのかな」


 「駄目だったんだよね」と恋鐘は内心を顧み、吐露する。

 俺は迷える子羊のような恋鐘に対して、無作法に答えた。 


「それをお前が言うのか。転校早々、恋愛相談を募集したお前が」


 茶化してやると恋鐘はただ寂しそうに笑った。笑うだけだった。

 



 何か特別なきっかけがあって人に恋をするであっても、日々の積み重ねが恋になるであっても、其処に他者はいない。あるのは自身が直面した他者の切り取られた一面――恋に落ちた理由だけだ。

 人が恋をする理由は自分ではない誰かを知ったからではなく、自分にとって都合が良い幻想を相手に抱けるからでしかない。





「恋っていうのは基本的に自分勝手なものだ。相手に自分勝手な幻想を重ねて、その幻想に夢を見る。きっと好きになった相手の本質なんてどうでも良くて、自分勝手に期待をすることを恋と呼ぶんじゃないか」


 恋なんて感情は、はっきり言って傲岸だ。俺が恋鐘に対してそうであったように、俺が鹿苑に対してそうであったように、相手のことなんて何にも知らなくても人は恋に落ちて、自分ではない誰かに想いを寄せる。

 俺は恋鐘が病気であることなんか知らなかった。それでも恋に落ちた。

 俺は鹿苑が人助けをする善性を持っていて、硬い表情のお嬢様で、俺のことを嫌っていると思っていたが、情が深くて、表情豊かで、俺のことを好きでいてくれるなんて知らなかった。それでも恋に落ちた。

 相手のことなんか全然知らなくても、人は恋に落ちる。つまるところ恋なんてものはどうしようもなく自分本位なもので、エゴでしかない薄汚い感情だ。


「そんなの許されないよ」


 恋鐘が縋るような声色で言う。


「和治君が言っているのは、相手の事情を考えないで、自分勝手な理想を押し付けて、自分が思うままに相手をどうにかしようって考え方だもん。


「遠回しなナルシズム……と鹿苑は言っていたよ」

「ギリシアのナルキッソス。水面に映る自分自身に恋をした少年だっけ」

「お前もたいがい博識だな」

「少女漫画に出てきたから」


 嘘をついていた時も、嘘をつくのをやめた今も恋鐘は少女漫画を読んでいた。彼女にとって少女漫画とは嘘を吐きたくない大切なものに違いない。

 恋鐘は腹の中の重たいものを吐き出すように呟く。

 

「少女漫画に出てくる恋はさ、キラキラしてて、純粋で、眩しいものなの。冴えない女の子が王子様みたいな男の子に助けられて、其処から一生懸命頑張って結ばれる。そんな、そんな恋なんだ」


 だけど、それはフィクションだから、偽りだから。

 虚構はいつだって純粋だ。純粋だからこそ虚構なんだ。美しい、醜い、素晴らしい、愚かしい、楽しい、悲しい……。テーマを持って作られた作品はテーマ以外の雑然とした濁りが見えない。持たないではなく。テーマ以外の物事も描かれるのは事実。でもそれはあくまで脇道であって本道じゃない。読者に最も強く印象付けられるのは本道であるテーマで、脇道は本道に塗りつぶされてしまう。

 少女漫画の本道は恋。そしてきっと、恋鐘が呼んできたのは何処までも純粋な恋の物語だったのだと思う。

 だから俺の言葉に恋鐘は嘆息と共に吐き出すのだ。


「現実の恋って醜いね」

「それに気づかないままに俺達は恋をする。自分自身の欲望のままに、自分勝手の押し付けを」

「そんなことが許されるの」

「許されちゃうから恋がなくならないんじゃないか。ドラマも小説も、少女漫画も」


 身も蓋もない結論に恋鐘は力なく笑う。結局は『赤信号、みんなで渡れば怖くない』だ。みんながやってれば糾弾できるものはいないという共犯の理屈で恋は見逃されている。

 純粋な恋を描く少女漫画を恋の規範としてきた恋鐘からすれば、深く肩を落とさざるを得ないだろう。現実の恋と少女漫画の恋を同一視してしまった彼女からすれば。

 恋鐘は宙に放るような口調でと言った。


「私の何が悪かったのかな?」


 それは疑問の体を取りながら、諦めの色が強い言葉だった。

 全てをわかっていて、それでいてなお認めたくはないという余りにも脆い意地。だからこそ口をつかずにはいられなかった。自分以外の誰かからくだらない意地を突き崩してもらいたかったために。

 俺はただ1つの答えを突き刺すように言ってやる。


「恋鐘は他人に優しすぎたんだ。悪いところはただその一点。それだけが失敗だった」



「うん、知ってる」



10年近く前と同じことの繰り返しになるじゃねえか。何も言わずに居なくなられることの辛さをキューは思ってくれたのに同じことを繰り返しちゃ駄目だろ」




エゴのぶつけ合い。

 




「だったら、だったらっ、私が後1ヶ月で死んじゃうかもしれなくて、それで和治君は


 あまり時間が残されていない。もうすぐ死んじゃう。

 だったらどうした。

 そんなことどうでも良い。知ったことか。私は私の恋を成就させるんだ!

 恋をするには相手の気持ちを無視するくらいの気概がなきゃダメだった。

 だから、


「恋鐘は恋してない。ただ『好き』でいただけだ」


「恋鐘……」


 掛ける言葉が見つからない。こういう時、自分が自分で情けなくなる。



「残念そうにしてましたよ?」

「あぁ……また今度上がらせてもらうからその時に埋め合わせするって伝えて置いてくれないか」


 なぜだかは分からないが、茉莉花の父、つまりは鹿苑家の一番偉いお人に俺は結構気に入られてて、交際についても寛容に認めてもらっている。その分、本当に訳が分からないが。普通、逆じゃないか、これな。


 今となっては懐かしく、そして忘れられない記憶。3年前の冬のこと、恋鐘の手によって俺と茉莉花は恋人関係になった。強引な、人の気持ちも考えない無理矢理な方法で。


思い返せば俺達は、初恋と二度目の恋と初恋 

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裏切りお姫様はハッピーエンドをお望みです!~初恋と二度目の恋と初恋と~ 御都米ライハ @raiha8325

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