月の息吹

春野訪花

月の息吹

 穏やかな陽気が降り注いでいる。柔らかなその日差しは、道に並ぶ木々に木漏れ日を作っていて、肌寒いながらに温もりを感じさせていた。

 駅から少し離れたこの通りは、それなりに広い。車道にはバスが通っていたり、歩道にはちょっとしたスペースとしてベンチが置かれていたりする。

 並ぶ木々はほんのりと色づき始めている。まっすぐな緩やかな坂道、バランスよく行儀よく並ぶ木々がその景色をより美しいものに仕立て上げていた。

 肩に引っ掛けたカバンを引き上げる。外出のため、いつもよりも荷物を少なくしたお気に入りのカバンだ。石がついたキーホルダーがぶら下がっている。透明な石の中心に、石の中心で弾けたように金色が散っている、綺麗な石だ。それもお気に入りの一つ。

 足取り軽く、坂道を上る。今朝起きて、天気が良かったから買い物に行こうと飛び出してきた。何を買うかは決めていない。ただぶらぶらして、気に入ったものを買おう。

 坂道の向こうのデパートに寄ろうと思っていた私は、坂道の途中で足を止めた。

 【GOLD BREATH】

 何かのお店だ。出入り口の上に、そう大きく書かれていた。ドアのそばには、「金の息吹」と、金色で書かれた看板が置いてある。

 店構えがオシャレで、ピカピカに磨き上げられた窓が太陽光にキラリと輝いている。窓からそっと中を覗き込んでみると、どうやら雑貨屋さんのようだった。目の前にはディスプレイの置物の家が置かれている。ツヤツヤとしたその家は、小人でも住んでいてもおかしくないほど細かく作られていて、よくよく目を凝らしてみれば家の中の家具まで用意されていた。

 店の奥へと視線を移せば、置物の他にも食器やハンカチ、お菓子などもあるようだった。

 まじまじと見つめていると、不意に人影が視界に入った。ハッとして顔を上げる。そこには初老のおじいさんが立っていた。真っ白な髪と髭のおじいさんは、目を細めて穏やかに笑った。ちょっとだけ恥ずかしくなった私は中途半端な笑顔を返した。

 おじいさんが店のドアを開ける。からん、とドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 おじいさんが手で私を中へ促した。私は会釈をしながら、「どうもぉ……」と体を縮こませて中に入った。

 店の中はゆったりとしたピアノの曲が流れていた。コーヒーの香りがする。奥のレジのそばに湯気が立つカップが置いてあった。

 店内の壁一面は様々なものが置かれた棚で埋め尽くされていて、空間の中心にはいくつかのテーブルがある。細々としているものが多いのに、全然ぐちゃぐちゃになっている印象がない。パッと見ただけでもとても丁寧に置かれていて、キラキラと輝くそれらが大切にされているのがよく分かった。

「どうぞ、ご自由にご覧ください」

 おじいさんが微笑んで私に告げる。私は会釈をして返した。

 早速、近場のテーブルに近づく。丸いテーブルにはアクセサリーが置いてあった。テーブルの中心に行くほど高さがついていて、階段のようになっている。

 一番高いところにチェスの駒くらいの大きさの猫が置いてあった。ペンダントのようで、その猫の首輪にチェーンがついていた。

 真っ白な猫で、尻尾の先だけが黒い。閉じられた瞳が優雅な曲線を描いている。しなやかで細い体つきは、どこか上品さを感じられた。

 その猫を手に取る。磨き上げられているのか、とても滑らかな手触りだ。光沢のある体はキラリと輝いている。

「おや、その子が気に入りましたか」

 いつの間にか、おじいさんが隣に立っていた。その手にトレーを持っていて、コーヒーの入ったカップが乗っている。その脇にはミルクの入った小瓶と砂糖の入った瓶が。

「その子、素敵ですよね。とても品がある。ちょっとだけイタズラ好きなのがたまにキズですが、それもまた魅力の一つなのでしょうね」

 なんだか、この猫が動いているのを見てきたようなことを言われた。

 私は猫を指先で動かす。優雅なその猫は微笑んで見えた。

「よろしければコーヒーは如何ですか」

 おじいさんに言われ、私は猫を一度元の場所に戻した。

 いい香りがしている。湯気が立っている。出来立てだ。少し見ない間に淹れてきてくれたみたいだ。

「いただきます」

 私はミルクも砂糖も入れずに口をつけた。どちらかというと苦味の強いコーヒーだ。だけど癖がなくて飲みやすい。

 チビチビと口をつけながら軽く辺りを見渡す。棚にコーヒーのコーナーがあった。その中の一つかな。後で見よう、と目星だけつける。

「突然ですが、あなたは金の息吹を感じたことがありますか?」

 突拍子も無い質問に、誤魔化すように笑った。

 おじいさんは少し申し訳なさそうな顔をした。

「すみません、困らせてしまいましたね。少し気になってしまって」

 ちょっとおかしな人なのかもしれない。ボケていたりしているようには見えないけども――不思議な人だ。

 コーヒーを飲み干した。おじいさんがカップを回収して、会釈をして店の奥へと去っていった。レジの奥、死角になっているところにドアか何かあるみたいだ。

 金の息吹……。私はポツリと、その単語を脳内に浮かべる。

 このお店の名前にもなっていた。何か意味があるのかもしれない。

 ゆったりと流れていたピアノの曲が変わる。次もピアノの、ホッとするような穏やかな曲だ。

 私はまたさっきの猫を見る。座らせたつもりだったけど、コーヒーに気を取られていたからか倒れてしまっていた。

 手に取って持ち上げる。しゃらしゃらと垂れ下がったチェーンを手で絡め取って握り込み、猫をあちらこちらから見つめる。

 ピンと立った耳。形のいい鼻。微笑んでいるような口元。くるりと丸められた尻尾。

 伏せられた瞼の下――金色。

「!?」

 思わず猫を離してしまう。割ってしまう!と思っておかしな声が出た。けど絡め取っていたチェーンのおかげで、猫は宙ぶらりんになっただけ済んだ。

「早速イタズラされたようですね」

 楽しげなおじいさんの声がした。おじいさんはまたいつの間にか店内に戻ってきていて、ニコニコと笑っている。

「あ、あの……この子、目、閉じてましたよね……?」

「いいえ、『もともと目が開いている』子です」

 おじいさんは朗らかに言った。

 私はチェーンをたくし上げて、猫をまた確認する。その瞳は閉じられていて、金色は見えなくなっていた。

「……??」

 私は指先でくるくると猫を回す。どこからどう見ても閉じていた。

「気に入られたみたいですね」

 おじいさんが私に手を差し出してくる。猫をその手に乗せて渡すと、おじいさんは猫の頭を指先で撫でた。

「名前をつけてあげてください」

「え、私がですか……?」

「買う買わないは気にしないでください」

 おじいさんが手のひらに猫を座らせて、私の目の前に差し出してきた。

「この子がそれを望んでいます」

 猫は目を閉じて、こちらを見つめている。お願い、とおねだりするように。そんな気がした。ついさっき見た金色が頭から離れない。びっくりはしたし、今もしてるけど……とても綺麗だった。

「悩まず決めてあげてください。こういうのは直感が大事なんですよ」

 おじいさんの声が、次から次へと名前の候補を考える思考をやんわりと止めた。パチンパチンと弾けるようにたくさんあった名前の候補が消えていき……一番最初に思いついていた名前が残る。


ルナ


 ゆっくりと猫の瞼が開く。そこにはまん丸な月が見えた。

「……う、動いた……」

 ルナと名付けた猫は、金色の瞳で見つめてくる。キラキラと輝いているのは光が反射しているからだろうか。

「気に入ったようですね」

 おじいさんがチェーンのフックを外した。そして、あっという間に私の首にお月様の瞳を持った猫がぶら下がる。

「えっ」

「差し上げます」

「えっ?」

「大切にしてあげてください」

 私の背後から前に戻ってきたおじいさんは目尻の笑い皺をくしゃくしゃにしている。

 お店の品物をタダで受け取るわけにはいかない。私はカバンに手を突っ込んだ。

「にゃーん」

「えっ!?」

 胸元から声がして、私は動きを止めた。

「ご機嫌ですね、ルナ」

 前屈みになったおじいさんが、ルナへと声をかける。にゃーん、と返事が聞こえた。

 ――おっと……?

 キュッと口元を結ぶ。

 喋って動く猫のネックレス。その子と話をする店主。……私はなかなかにとんでもないモノに関わってしまったのでは……?

 今更そう思った。

 ――夢なのかもしれない。

 おじいさんはイタズラっぽく笑った。

「夢ではありませんよ」

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