番外編
番外編1『一行の空白』
交換日記をつけよう、と切り出したのは純恵だった。
「…嫌ですか? 陽奈さん」
「いや、あまりに脈絡がなさすぎて…。別にいいけどさ」
交換日記とは相手との関係を深くする効果がある。恋愛を題材として取り扱う創作物には、日記を通して親交を深めていくものも少なくはない。
「——で、OKしちゃって今更なんだけどさ、一体何を書けばいいんだ…?」
風呂上がり。タオルで髪を巻き、湯上がりの火照りを残したまま、陽奈は自室でうんうん唸っていた。
日記には一行の空白がいくつも連なって白紙の砂漠をなしている。
どうして筆が進まないのか。陽奈も、その理由には薄々気づいていた。
優等生というキャラを被ってきた彼女は、内情を告白しようにも、自ずと優等生フィルターがかかってしまうようになっていたのだ。
日記とは各々のプライベートを綴ったものだ。すなわち裸体を曝け出すことに等しい。
曝け出せば壊れてしまうものもある。積み上げてきたキャラクター属性とか。
(他人に対し、本当の自分を見せることがこんなに難しかったなんて)
心臓が重くなる。陽奈が転がしたボールペンはできたてのポン菓子のように転がって、そのまま空行のうえに覆い被さった。
あの雨の日に全てを曝け出した恋人よりも自身のキャラクター性を優先してしまっている自分が、陽奈にはとても矮小に見えた。
「——手こずっているようですね、陽奈さん」「うひゃぁ!?」
いきなり耳元で囁かれたものだから、陽奈は飛び上がって、その弾みで床に尻もちをついてしまった。蠱惑する吐息。純恵が口元を押さえつつ、によによ、とにやけ顔を浮かべていた。
「い、いきなり驚かさないでよ!? 集中してたんだから!」
「にしては、何も書けていなさそうですが」
「…っ」
純恵の声色が低くなる。陽奈には、純恵の眉尻がほんのちょっとだけ下がっているように見えた。胸が苦しくて、抑え込む。
「…ごめん。ずっと優等生キャラをやってたからかな。どんな文章も優等生のフィルターがかかっちゃって。でも、純恵には濾過してない、私のことを読んでもらいたくて…」
陽奈は恐る恐る純恵を見上げた。
純恵は、一瞬だけ、キラキラした目を大きく開けて、そしてくしゃっと、顔を綻ばせる。さながら、蛹からかえったアゲハ蝶を見つめるような面持ちで。
「愛されてますね、私」
幸福が純恵の五臓を急速に満たし、表面張力をも破って、溢れでる。
「…大好きだよ、純恵?」
「わたしも、大好きですよ、陽奈さん」
純恵が伸ばしてきた手を、陽奈は掴んで起き上がる。
「というか。そういうことを書けばいいんじゃないですか?」
「そういうことって?」
「優等生フィルターのせいで内面が上手く書けないこと。でも、わたしのために全部曝け出したいって思ってること。
貴方がわたしのこと、大好きだって思ってること」
両目をしぱしぱとまばたきして。陽奈の肩の強張りが緩くなっていく。
「なんだ。そういうのでいいんだ…いいんだな…」
「陽奈さんは考えすぎなんですよ。だったら、考えすぎな貴方の一面を書けばいい。
内面を曝け出すって、そういうことでいいんじゃないかなって思います」
陽奈は再び机に向かう。交換日記の相手である、最愛の恋人が後ろで見守っている。これから一文字ずつ、無数に並ぶ一行の空白を埋めていく。
「…やっぱ、見られながら書くの、恥ずかしいんだけど」
「わたしも照れちゃうそうなので、おあいこですね。ふふ。最後まで見守っててあげるのでゆっくり書いてくださいね…♪」
頬の火照りと唇のむず痒さを頬杖で隠しながら、陽奈は交換日記の一日目、その一文を切り出した。
パパ活よりもセフレよりも、わたしとキスがしたいんですね? 音無 蓮 Ren Otonashi @000
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