出会いは痴漢から

「ちょっとサキ、あれ見て。マジありえなくないあの格好」

「っ!?」


 全身の隅々まで緊張が走った。勝手に目がぎゅっと閉じられて、暗くなった視界にぼんやりとした赤が浮かび始める。


「……広告なんだし、多少は奇抜で目を惹く衣装でもおかしくはないでしょ」

「いやそれにしたって着ぐるみで教室にいる写真はおかしいっしょ。これはあれだよ。ウチら学生をバカにしてるね。あの広告の塾訴えたら慰謝料取れちゃうよきっと」

「ふふっ、じゃあ分け前を期待してるから頑張って」

「はっ……ぁっ……ふっ……ぅぅ」


 どうやら女学生たちの会話は翔斗に対してのものではなかったらしい。だからと言って安心はできない。右も、左も、前も、後ろも、満員電車では他人との距離が近すぎる。手摺の近くに座っている人間がふと顔を上げただけで。手摺を狙っている人間がちらりと目線を向けただけで。目の前の人間が不意に振り返るだけで。


「もう、どうして……!」


 どうしてあの時無理やりにでも外に出ることが出来なかったのだろうか。募る後悔は止まることなく。時が戻ればと願わずにはいられず。何も出来ないまま俯いて手摺に縋りつく。


「……?」


 お尻に何かが当たる感触。形状とその固さから、おそらくこれは人の手の甲だ。ぎゅうぎゅうに人が詰まっている満員電車だ。今だって、翔斗の両肩は知らないおじさんの体に密着している。揺れた拍子に手の甲が他人に触れてしまうこともあるだろう。


「?」


 しかし翔斗の尻にくっついた手は離れる気配がない。それどころか、どんどんと押し付ける強さが強まっていっている。


 痴漢。頭の中にその言葉が浮かび上がった。まだ確証はない。満員電車の揺れの中、支えが無い状態でバランスを取るのが難しいというのは紛れもない事実なのだから。まだ決めつけるのは早計だと自身を落ち着かせようとした矢先に、尻に当てられた手が擦りつけるように左右に動き出した。


(うわぁ……)

 あまりにも露骨な手つきに思わず引いてしまった。こんな人間を少しでも擁護しようとしてしまったことが恥ずかしい。


 自身が痴漢の被害に遭っていることが確定した。ならば次は対処を考える必要がある。


 手を捕らえてこの人痴漢です、なんてのは難しいだろう。痴漢は変質者であるが、変態の度合いでいうのならこちらもそう変わらない。あまり目立つことはしたくない。


 抓るなどして追っ払うのが妥当だろうか。犯罪者を見逃すことにはなるが、目立たずに行動するのならそれくらいが関の山だろう。


 このまま無視するという選択肢もある。目立たないということを一番に優先するのであれば、何も行動をしないのが理に適っている。他者に触れられているのは落ち着かないが、服の上から手を押し付けられても特別不快ということもない。


 ここはあえてじっとしていることにしよう。翔斗はそう決めた。


「えいっ♪」

「っ!?」


 突然、穴に指を突き立てられた。デニム生地によって侵入こそ防げたものの、痴漢の指は翔斗の穴にめり込んでいる。ぐりぐりと、えぐる様に、まるで生地を貫かんとでもするかのように。


(えっ……な、なっ!?)

「こんにちは。気分はどう?」


 痴漢が大胆な行為に及んだことも衝撃だったが、それよりも翔斗を驚かせたのは声だ。耳元に吐息といっしょにかけられた痴漢の声。それは女性のものだった。


 痴女は翔斗の耳に口を寄せ小声で話しかけてくる。とても犯罪行為を犯しているとは思えない気軽さで。


「ダメだよ、こんな大胆な格好でこの電車に乗っちゃ。この時間帯は痴漢が多いって有名なんだから。それとも、えっちなことされたかったのかな?」

「……っ……くっ」

「もしくは……女装に舞い上がっちゃって、碌に調べないで乗っちゃったのかな?」

「え……っ?」


 悪寒が背筋を走り回った。


「ふふふ、バレてないと思ったのかな? 残念♪」

「ぁ……ぅ……」

「そんなに怯えないで。別にキミが変態だってことを言いふらしたりしたいわけじゃないの。お姉さんがしたいことは……わかるよね?」


 痴女の手に腹を撫でられる。弱味を握られた翔斗は、それを拒否することができなかった。


「大丈夫、他の人にはキミが男の子だってバレてないから。お姉さんがそういうのに特別敏感なだけ。だから安心して。おとなしくしてれば、気持ちいいだけで済むからね」

「……っ!」


 痴女の手が太ももと腹を撫で始める。さわさわと滑るような手つきは、明らかに慣れたものだった。


「や、やめっ……ろっ……」

「止めてほしいってことは、みんなにバラしてほしいってこと?」

「ち、ちがうっ!」

「もうお話を忘れちゃったのかな? それとも伝わらなかった? キミは今、お姉さんに脅迫されてるんだよ?」

「う、うるさいっ……ち、痴女のくせに……っ!」

「ふふっ、ひどいこと言うんだね。でも、威勢がいいのはお口ばっかり。そんなに嫌なら抵抗したらどう? ほら、ほらほら~」


 痴女の指がへその周りをなぞりあげる。くるくるとフチを指が周り、まるで内臓を撫でられているような感覚で気持ちが悪い。それでも、痴女の手を払いのけることはできない。痴女の言う通りだ。口では虚勢が張れる。でも、バラされたくない。怖くてたまらない。両手が手摺を離してくれない。


「そうだよね。見せかけだけでも拒絶したかったんだよね。でも、もっと素直になっていいんだよ。本当は、痴漢をされて嬉しかったんでしょ?」

「そ、そんなわけっ!」

「しーっ、もっと声を抑えて。じゃないと、みんなが見ちゃうよ?」

「っ……」


 慌てて周りを見渡すが、こちらに視線を送っている人間はいない。運の良いことに近にはイヤホンをしている人しかいない。


「ふふ、そんなに必死になるってことは、逆に図星っぽいよね。ね、そうなんでしょ?」

「ち、痴漢されて喜ぶ人なんて、そんなのいるわけないだろっ」

「女の子だって認めてもらえる」


 ドクン、と心臓が大きく跳ね上がった。


「痴漢が狙うのは可愛くて、綺麗な女の子。男性に対して痴漢を働く人間はごく少数。痴漢をされたということは、少なくとも痴漢はキミを魅力的な女の子だと捉えたということ。そう思ったんでしょ?」

「ち、ちが……」


 痴漢に対して、どうして無視するという対応を選んだのだろうか。見ず知らずの他人に性器の周辺を触られているというのに、どうして不快感を覚えなかったのだろうか。


 そんなこと自分でもわかっていた。


「ちゃーんと見てたよ。お尻を触られて、キミのオトコノコが喜んでるところ♪」


 振り返ることなんてできないから気付かなかった。痴女は翔斗よりも背が高く、肩越しに彼女は見ていたのだ。翔斗の表情も、反応も、全てを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女装少年たちとお姉さんの淫らな日々 @papporopueeee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ