第47話 書くことができない。或いは書けないということ

 眼の前のことに一杯で、気がつかなかったのですが、私も水ぎわさんとほぼ同じ期間書いていませんでしたね。

 オース。偶然やん。 


 友達友達。


 その間、皆様には、ご心配頂いたことをありがとうと言うべきか、申し訳ないと言うべきか分からずにいますが……、両方なので。ペコペコと。


 私の場合、一つには障害者の人権問題が結審に近付いていたのでこちらに来るどころではなかったり、 知人の癌治療の問題に全力で取り組もうと決心したりもしていて、こちらのエネルギーが減少していた。


 それでも本来であれば、しばらくお休みするよ、、、、ぐらいは載せておくべきなのだろうけれど、それも僕が書いていることに気がついたふしのあるあの連中が読むと、『自分たちのために筆を置いた』と取られかねない。


 それに、、、、静かにそっときえれば、静かにそっと復帰ができる、、、かな? みたいな美学みたいなものもあった。

 加えて、

 カクヨムはそんなプライベートの内容を話す場所でもないし、知らせる場所である筈も無く、結局沈黙することだけしか方法が無く、 それでも不思議なもので作品は読んで欲しくて他のサイトに応募したりもしていますが……(カテゴリーが合わなかった旧作だけどね)


 まあ、そんな訳で、今後は全く自分勝手に我が儘に……であれば書き続けることができそうな気配なのでと、書き始めのモチベーションを貰おうと、寄った茶店で、素敵な女の子から言われた言葉が、『物を書くのはサービス』ですよ。ってお言葉だったりする。


以前、黒鉄ヒロシという大家が、「物を書けなくなるというのはガラスの筒を被せられたようで、そこから出るための手がかりも足掛かりもツルツルなんだ。と、仰有ってまして、いつか自分にもそんな大それたことが訪れるのだろうか……と思ったりもして、それは心が何も掴まえられなくなったということなのか、自分が世界から見放されてしまったということではないか……。と考えたことがあった。

 

 そうか、ツルツルは自分の内面だけを見ていた結果なのだな。だから取っ掛かりが出尽くしてしまうのだ。サービスだという原則を忘れなければ、思う事は外から得られるのだ。


 それでは僕は、『誰かの何かの為になること』それを考えればいい。そうすれば『書く』ことは続けられそうだ。

 そう思ったら、あの女の子は観自在菩薩だったように思えてきた。

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