第26話 映画。感想などとは畏れ多いが。

 最初に断っときます。


 雨 杜和orアメたぬきさん。

 ここでは時折、コメントを頂いた方にも表に出させていただきますので、悪しからずご了承下さい。

 しかも、人称、視点、テンデバラバラ。俺が大将の唯我独尊的我が儘放題で書かせて頂きますので、そこのところをよろしくお願いします。


 それから、命を掛けるほどアニメに心髄している人……はこんなとこに来るはず無いからまあいいけど、一応気分を害さないでねと、警告しておく。


  さて、映画を見た感想ですが、”雨 杜和orアメたぬき”さんは、「テレビアニメの映像の美しさにどっきりした作品」とコメントに書かれています。


 帰りの車の中では緋糸が、(私のおかげで、普通なら絶対見ないアニメ映画が見られたんだから、感謝してよね)と言わんばかりに「ねえ。どうだった? 最後感動したよね。鬼って卑怯だよね。だって再生するんだもん」どうたらこうたらといっておりました……。


 うん。映像は綺麗です。それにキャラクターは可愛い者は可愛く、格好いい者はカッコ良く、キモイものも漫画よりもキモく描かれている。


 でも、僕的に一点。


 主人公の妹に好意を寄せる、読者1番人気の金髪の少年が、感激したときにドカーンと漫画のネギ坊主に姿を変えて、いきなりシュールであることを認めていた世界から漫画へと世界を変えてしまう。

 

 この、ネギボウズへの変化、必要なのか? 

 少なくとも俺はドン引きしたぞ。

 だが、緋糸は、上映中喰うことも忘れていたポップコーンを車の中にこぼしながら、あれが可愛いのよと、まくし立てる。


 あのなあ、俺とお前の間にはジェネレーションギャップという、暗くて深い川があるんだよ。


 でも、何とかして橋を架けて自分の感動を俺に植え付けたいらしい。

 

 基本的に、傷つけあい、殺し合うことが主軸のアニメなんだ。 映画では悲惨さは強調されているが救いの場面はない。

 これを文字だけで起こせば可愛いも、イケメンもなくなり、セリフは殺し合いの場面と殺す理由だけになってしまう……は言い過ぎかも知れないが。

 だから俺は緋糸がかけてくる橋を冷ややかに見る。


 ただリサが歌う炎の歌詞の意味だけは理解できた気がした。

 俺にはあの映画は、Lisaが歌う曲の長さに合わせて、早送りで流すぐらいが丁度良い。

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