第24話 証拠 

 こちらが打った手を、さも前から自分が考えていたように、同じ文書で返してくる、千日手のような相手……。

 正直こんな相手は初めてです。 

 以前であれば、「良い勉強をさせて頂きました」と感謝するところですが、今はムカつきますね。


 ところで――

 僕は23話辺りから、いとも簡単に『証拠』(しょうこ)と書いていますよね。

 でも厳密に言えばこの言い方は間違いなんですね。

 

 裁判に於ける『証拠』は重要です。なんせ、事実認定の基になりますし、裁判の行方、或いは人の人生を左右する事もあります。ですから、何でもかんでも証拠だと言えば証拠になるってもんではありません。


 刑事訴訟法では「事実の認定は、証拠による」と決められていて、証拠とは裁判によって取り調べられたものに限る。と規定されています。


 では証拠の取り調べって何よ。ということですが、  


 証拠になるものには、書類、刃物などの凶器、証人や被告人の言葉など、いろいろな種類がありますが、書類の場合は法廷で検察官や弁護人が朗読する書類の内容を聞くこと。 凶器などの証拠品の場合は法廷で凶器などの状態を見ること。また、証人の場合は法廷で証人の話を聞くことが、それぞれ『証拠を取り調べる』ことになります。

 民事の場合は、血のついた刃物などが物証として出されることはまずありません(笑)

 たいていは、(甲4号証)のように、写真を添付してそれを三者で確認した後、証拠とすることが殆どです。

 多いのは証文、証書。

 ところで血のついた刃物と言えば、皆さんが刑事事件の裁判員になる可能性があるわけですが、裁判員についても、裁判官同様、勝手に現場検証をすることはできません。


 それは、裁判官や裁判員は、そもそも捜査官や訴追官ではなく、まして弁護人でもなく、あくまで彼ら刑事裁判の当事者が自ら法廷に提出してきた証拠に基づき、公平中立な立場で結論を下す判断者にすぎないからなのです。


 ただし、どうしても必要であれば、検察官や被告人、弁護人が立ち会う日時を調整した上で、検証としての手続きをすれば可能です。

 その場合、検証の結果を記載した「検証調書」と呼ばれる書面をきちんと作成しなければならないので、かなりハードルが高くなります。実際に行われた例もこれまでに数件しかありません。


 そんなわけで、Aの弁護士W先生は、Aの加入する保険会社のアジャスターに、Bの主張する事故態様とAの主張する事故態様の図面を描いて貰い、これを『別紙』として添付しました。


 僕はファックスで送ってきたその別紙を見て、「これはまずい」と思わず口に出してしまいました。


 その、原告第2準備書面の別紙1は、Bの主張する事故態様が描かれていて、しかも、Bの車体の半分が左車線に出ています。


 しかし、Bの車は停止直前まで右車線で前の車に接近しているので、そこからハンドルを切ったのであれば、後輪の軸はまだ右車線に残っていて、前輪だけが左車線に出るという、角度のついたものになっているはずです。

 しかも重要な、前に四台の転回待ち車両がいたことについては描かれていません。


 次に別紙2の図。

 これにはAのいう事故態様が描かれていて、後方から接近してきたB車が、A車と併走になると同時に左に移動、接触したことが解ります。ただしこれにしても、接触後にB車が前に出て、A車の進路を塞いでいることは描かれていません。

 僕はすぐにW先生に電話をかけました。

「あの別紙はマズいので差し替えをお願いしたいのですが」

「どこがマズいですか?」

「Bの言い分だとBの車は図よりも、もっと角度を付けて左車線に出ることになります。その場合後方から来たA車と接触するBの車は左前角だけです。そしてA車はBの前方に走り抜けますから、前フェンダーから後部側面一帯に擦過痕がつくはずですが、そうはなっていません。それが判るような図にしないと」

 するとW先生はこう言いました。


「大丈夫でしょう。多分、裁判官はその程度の虚偽は見抜きますよ」


 多分! 多分ってなに? 法律事務所で多分って初めて聞いた。それって美味しいの?

 「もう一つあります。別紙2ですが、実際には事故後、BはAを追い抜き様接触したのだから、Bのほうが前方にいます。だからこそ消防署の空き地にBが先に駐まり、その後にAが止めたわけです。ところがBの主張する態様だとA車がB車の前に出るわけだから、BがAの前に出て駐車する事はできないですよね。これで、Bの言う態様を崩すことができませんか」


「しかしもう書面発送しちゃいましたし、アジャスターの方に、もう一度苦労をかけるわけにはいきません。それより、なんか、確実な物証になるようなものないのかなあ」


 隠していたんですが、どうやら僕がW先生より2期後輩だって事がバレたみたいで、最後の言葉は助手かなんかに指示するような言い方でした。だからこの世界は嫌なんだ。



 

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