編集済
ああああ
面白い!そしてためになる!
「『作為』というものはいつか破綻しますが、それに比べて真実は証明しやすくて壊れません」
これね、人生における真実ですよ!
ほんとにそうなんです。
どんなことでも作為なく、そのまんまで勝負している人ほど強いものはありません。
失うものがないからでしょうね。
このエッセイ。本日の「ガラケーより愛を叫ぶ 第49話」にてご紹介させていただきました。
ウンチクあり、知識あり、意見あり。
そしてちょっと笑えるパートあり、と。水ぎわも勉強させていただいています!
ありがとうございます。
追記)
ありがたいっす! 水ぎわも、妖さんが書かれる限りついていきますよ。
ついでに、こっちでも書くっす!!
作者からの返信
おおお。有り難うございます。
なにはともあれ、ものを書いているいじょう読者が増えるのはモチベーションの上昇エナジーの補給であります。
加えて水ぎわさんのコメントは、この読者がいる限り俺は書く。と決意を新たにさせるものであります
とても、勉強になります。
やはり逃げてはならないのですね。
あの時、逃げなくて良かった。と、心から思います。
私が追突事故を起こしてしまい、事故に会われた方が、とても良い方であったことも、大変な幸運です。
そして、私が逃げずに謝罪して、警察にも連絡してもらって、出来る限りの誠意を尽くしたことも、おおごとにならなかった理由の一つではないかと思います。
あそこで逃げていたら、きっと、人生がもっと悪い方へ変わっていました。
そして、前回のコメントに頂いた返信で、法曹界(と言うか裁判官かな?)の一般的が、現実の一般的とかけはなれているのだな。
と認識しました。
現代の一般的な認識では、四十代を老人と思う人は少ないと思います。
これは推測ですが、もしや、『初老』=四十四歳。
を、一般的としているのでしょうか……勿論、全ての裁判官がその考え方ではないと思いますが……四十代、老人、を一般的と考える……はっきり言って、ゾッとしました。
四十代、老人、が一般的なのは、明治時代辺りまでではないでしょうか。
私の認識が間違っていて、四十代、老人、が現実の世間一般的ならば……四十四歳ちょうどの美人女優さんを老人と言っても、侮辱にならないことに……💧 美しい、若々しい。そんなイメージ商売の人に老人と言っても侮辱にならないとは……(営業妨害とかでは訴えられそうですが)恐ろしい……。
変えてはならない法律は沢山ありますが、変えなければならない法律も、新しく作らなくてはいけない判例も、多くあるだろうと思います。
しかし、変えなくてはならない法律は変わらず、新しい判例は殆ど作られない。
私はこの作品を読んで、裁判で戦わなければならないのは、相手だけでなく、法律と法曹界の一般的常識その物にも思えて来ました💧
長文コメント大変失礼致しました<(_ _*)>
作者からの返信
水守さん。
実はこの『裁判』のシリーズは後からぽろっと出す予定の仕掛けがありますが、水守さんのコメントはいつも的確にソコをついてくるので、つい、推理仕立てになりそうです。
一般的に『老人』という概念は、60歳ぐらいからと言われていました。
これに対する根拠はありませんが人生50年と言われていた時代に60まで生きていればあとはおまけ。という社会通念によるものと思われます。
現在は65歳ぐらいからをそのようにいってもよい、という『感覚』ですが、これは年金の関係だと考えられています。
姉が『老人と言われた』と感じるように書かれたのは、あくまで相手が姉を不愉快な目にあわせるための『作戦』の一環であり、『老人は視力が劣る』はあくまで一般論としての視力低下のデーターによるものですから、そこで争うことはこちらに不利になります。
逆の見方をすれば、相手の弁護士先生は、例え1割でも有利にしたい。決して妥協や和解を求めているのではない。ということだったのです。
これは勉強になります。
ほんと裁判って、特に民事は痛みわけってところがありますから。最終的な結果。まっております。先生、頑張って欲しいです。
私も作為は破綻するという事実、よくわかります。
作者からの返信
アメ様ありがとう。
ほんとにそうで、飲酒で事故を起こした俳優さんが逃げ出した気持ち、解ります。ですが今は絶対といっていいほど露見しますからね。
それに民事の殆どは意地と欲のせめぎ合いで、そもそも明確な判断ができるぐらいなら裁判になりません。それでどうしても準備書面の月一のやりとりで長期化して、裁判に倦むかして、妥協というケースが多くなります。
このあと、裁判の闘い方、みたいに話しを展開していきたいと考えておりますが、どうも筆力が……。どこかに安く才能売ってるとこ知りませんかねえ。