第5話も一時停止違反
「今度免許取るときの為に教えて頂いていいですか。一時停止のことで」
姪がそう言ったと姉から聞いたとき、ビビりの私はドキッとして「良かった」と思った。
私は姪の、悪意のない純粋な質問が、魔女に囁かれるように苦手になっている。いや勿論魔女にも美女にも囁かれたことはないが。
姪が質問する相手は警察官だ。3秒を厳格に守らせようとしている法の番人である。これなら姪も納得せざるを得ないだろう。
質問はこうだ。
夜間、ここはまったく車が通らなくなる。
なので、ここより前方の信号や、右の交差点の信号が黄色の点滅になるのだが、ここは標識だから一時停止しなくてはいけないままである。
それって矛盾していませんか? という疑問だ。
この前僕が同じ質問されたときには、「良い質問だね。調べておこう」という定型文を棒読みして逃げていたが、いまだに納得させる回答を与えていない。
本来、この交差点を囲む三つの信号機が設置されたとき、この標識の意味する内容と及ぶ範囲は考慮されなければならなかったのだが、何故かそのことを「公安委員会のミス」と説明することに、僕は若干の抵抗を感じていたのだ。だって中学生に「法だってミスをしてお巡りさんはそのミスを利用して点を稼ぐ……なんて言える訳が無い。
それを、法を取り締まる警官が答えてくれるなら願ってもない事だ。さぞや完璧な答えが得られたであろうと思い、餌を待つ子犬の如くよだれを垂らして姉の言葉を待った。
「で? 答えは……」
姉は「あんた。それでも……」と、僕を攻撃しかけて矛先をかえ、「本当にしょもないのよ」と言い変えた。
警官の答えは「決めたのは公安委員会だから」というものだったらしい。
尚且つ、姪には「自動車学校でちゃんと教えてくれるから心配しなくていい」と……。
なんじゃそりゃ。である。
姉は「自動車学校には、法を執行する権限などありません」と言ったら、「奥さん。そういうことをいっているのではなくてね、私らは公安委員会が決めたことを守って貰うようにするだけ」で、標識を設置したのは自分ではない。と言っているのだ。
その警官が言うことは正しい。だけどミスを犯した。
公安委員会に責任を転嫁したことで「矛盾だろうとなんだろうと知ったこっちゃない」といってるわけで、自分が取り締まる明確な根拠を喪失したことになるからだ。
姪が心でニマッと笑ったであろうことは想像に難くない。
もう一つの姪の質問は、一時停止をした後、左右から来る車が何メートルの時までこちらが先に動いても良いのか。ということだ。
すると警官は「少なくとも左右から来る車が危険を感じてブレーキを踏まなくてはいけないような距離では発進せずに待っていること」と回答したという。
「成る程」と思った。その文は私も見た記憶があった。そもそも法律はこういった書き方をする。何故そうしなければならないか。何故この法律は作られたかということを法の精神として明確に理解できなければならない。
だが一時停止3秒という具体的な数字は何処に書いてあったか、もう一つ思い出せない。姉が、あんた……と言いかけた所以である。
実は……僕は人の言葉の噓や不具合を、瞬時に見つけて切り返し追求するという能力に欠けている。つまり、決定的に法廷闘争とかができないのだ。
姪は「有り難うございます」と礼を言い、「つまりい……、右から時速50キロの車が来るとしたら、1秒で14メートルだから3秒停止してると42メートル向こうから来る車とぶつかる訳ですよね。一時停止が1秒でも2秒でもぶつからないのに、何故危険な3秒も止まらなくてはいけないのか分からないんです。それって、車同士がぶつかる危険があるから一時停止をするワケで、一時停止をしたかどうかを問題にするってことではないですよね」
僕にはそう聞かれたときのお巡りさんの苛立ちもまた、手に取るようにわかる。
天然かわざとか、設定をスリ変えた質問をして矛盾を引き出し、回答者を迷路に追い込むのは彼女の得意技なのだ。
お巡りさんは姪を無視することにしたようだ。
「そのときお母さんはね」と姪が言う。
もう一人のお巡りさんと「さっきから1台の車も通ってないじゃないですか」と言い合っていたの。と。
「私、地元ですから知ってますけど、この時間になると、ここ殆ど車が通らないんですよ。そこで一時停止の取り締まりっておかしくないですか」
「他の車の問題じゃないんですよ。あんたがね、法を無視したことが問題なんです。じゃあ免許証見せてくれる。持ってるでしょう」
姉が、まったく車の通行の途絶えた交差点で、2秒止まった。3秒止まれと言い合いしている間に、もう一人の警官はサラサラと他の紙に免許の項目を書き写したという。
署名して拇印を押したら「こんな紙渡された」と言って、
「だってどうしても認めないならもう1台パトカーを呼んで、刑事事件として現場検証から始めるって。2~3時間かかるって言うんだもの」
姪は、「どうせ止まっても捕まるんなら止まらないほうが余程まし」などと言い、「フンッ」と鼻を鳴らした。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます