第5話
ミディは薬屋の開店準備をしていた。今日も待ってくれている人がいる。毎週この曜日に薬草茶を買ってくれるおじいさん、美容のための化粧水やより美しく見せるための化粧品を求める女性たち、またケガや病気で駆け込む人たち。ミディの薬屋を必要としてくれる人たちのために、ミディはなんとか気持ちを奮い立たせていた。
カランコロン。玄関の呼び鈴が鳴った。そこから現れたのは黒髪の青年と、白衣と眼鏡を身につけた男性だ。
「ミディ、待たせたな!」
「アルド、クレルヴォ!……本当に行ってきたの?」
クレルヴォはあるものをそっと差し出した。この白い花は。
「センユキラ!?うそ、どうして?」
それはきちんと根元から採取されており、つぼみが今花開こうとしていた。
「なんで、なんで、なんで!?」
ミディは興奮してアルドに詰め寄った。
「あー、えーと」
アルドは返答に窮した。良い言い訳を考えていなかった。
「企業秘密ということで」
クレルヴォはさらりとかわした。
「あ、そうそう、企業?秘密だ!」
アルドはクレルヴォの言葉を繰り返した。
「何かわからないけど秘密なのね……そっかあ……」
ミディは全身から力が抜けた。張り詰めた糸が切れたかのように。ふらふらと椅子に座った。
「これで今まで通り精油を作れそうか?」
それでも、アルドのその問いに、ミディははっきりと答えることができた。
「うん、時間はかかるけど増やせる。でも今回みたいになくなった時の対策考えなきゃ。確かに水辺で咲かせるのが一番いいけどこっちの畑でも沢山育てられないかなあ」
クレルヴォの眼鏡がキラリと光った。
「それは土を入れ替えたり水やりの方法を変えたりしてできるんじゃないか?」
「ん?」
「カレク湿原の土を持ってきて、そこに植えて水分量も同様になるようにして、それから日当たりと温度も大事だな。温室を作ってみてもいいかもしれない。それは季節によって変わるから……」
怒涛のように語るクレルヴォにミディは慌てた。
「え!あ、ちょっと待って!メモする。」
そうして二人は議論を続ける。
「種は保存しているか?」
「いくつか保存してはいるけど、なかなか芽が出なくて取りに行くのが早かったりするのよ」
「それなら……」
「うーん……」
「……という方法もある」
「それならできそう。あ、ちなみにこの植物だと……」
「少しだけ難しいがコツをつかめば……」
そんな二人を、アルドは一歩引いて眺める。
「な、なんだか専門的な話になってきたぞ」
クレルヴォはいつもと違って熱量が増えているし、ミディも話せば話すほど生き生きしてきた。
「まあでも、うまくいきそうでよかった!」
ミディはクレルヴォに感心しきりだった。
「はー、あなたはいろいろ詳しいのね。すっごく参考になったわ。ありがとう」
「いや、これは全て先人達の知恵だよ。ぜひ使ってくれ」
なんてことないようにクレルヴォは言った。
アルドは二人の話が一段落するのがわかった。
「じゃあそろそろオレたち行くよ」
「あ!本当に、本当にありがとう!感謝してもしきれないわ!これからがんばるから!」
「きっと君ならできるさ。応援しているよ」
クレルヴォは微笑んだ。そして二人は手を振り店を出て行った。
「はー今度はクレルヴォみたいな人がいいなー。ま、いなくてもいいかな。いざとなったら養子という手もあるし……」
そんなことを口にしながら、ミディは手にしたセンユキラに視線を落とした。ついさっき、絶望して見つめた時とは全く気分が違った。もう戻らない、そう思った。けれど今、この生命力にあふれる白い花を見ると、チャンスを与えられたのだと感じた。今一度原点に戻るチャンスを。
父親が亡くなったばかりではあったが、慢心していたところはある。自分に受け継がれたものは永遠に続くと思い込んでいた。売れているものをもっと作ってもいいじゃないか、材料はいくらでも育てられるから大丈夫。そう思っていたのを神様に見透かされたのかもしれなかった。
これからは大事にしよう。さまざまな形で私たちを助けてくれる植物たちに感謝しながら、その力を借りていこう。受け継ぐだけでなく受け継いでいこう。ミディはそう決意した。
その時また玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい、今日はどうしましたか?……ってあんた」
それは中肉中背の少年で、ミディの幼なじみであった。
「おばさんのおつかい?ちょっと待ってて。あれついこないだ来たばっかりじゃない?」
定期的に化粧水を取りに来るのだが、つい一週間前に取りに来たばかりであった。
彼は深刻な顔つきで言った。
「なあ、あいつのこと聞いたよ」
「えー……もう噂になってる?心配してきてくれたの?結婚するかもなんていっておきながらこれよー。そうそう、親切な人たちが助けてくれてさー……」
「今度はそいつと付き合うのか?」
「は?たまたま通りがかって助けてくれただけ……」
彼はその言葉を食いぎみに叫んだ。
「俺じゃだめか!?いや、俺にしてくれ!」
さらに勢いのまま口走った。
「ん?」
ミディは目が点になった。
「ミディはずっと家の事を一生懸命やってて、嫌そうな顔してなくて、嬉しそうにやってて。とても綺麗だなと思って、ずっと前から好きだった。ミディは全然気づいてなかったけど。時間を味方にしようと思っていたのに、あいつがいつの間にか……」
「そ、そうだったのね(本当に全く気がつかなかったわ)」
幼なじみの彼はミディをまっすぐ見つめた。
「だから、もう時間をかけるのをやめる!俺と結婚前提に付き合ってください!そりゃ親父さんみたいには腕は立たないけど、支えられるように頑張るからさ……」
先ほどの勢いはどこへやら。だんだんと声が小さくなり最後には消えそうになった。ミディの心には、こんなに近くにこんなに自分を想ってくれる人がいることが染み入った。
「ありがとう。……えっと、前向きに考えさせてもらうわ……ってことじゃダメ?正直まだそんな気分にはなれなくて」
「待つ。待つのは慣れてる」
「うん。それからさ私を支えるってだけでなく自分のやりたいこともやってほしいかなあ……」
ミディは、これからは相手に依存するのではなく、お互いのことを理解し支え合う関係でありたいと思った。
カウンターの花瓶に一輪飾られた、長持ちするように乾燥された白い花が、そっと二人を見守っていた。
☆
アルドはクレルヴォとともにラウラドームへ戻ってきた。小麦畑が、傾きかけた太陽に照らされて輝いていた。アルドは首をぐるぐると回して、最初にセンユキラのことで悩んでいた少女を探した。通りの向こうに、肩のところで髪を切り揃え、アルドよりも低い背丈で、膝丈のすっきりしたスカートを身に付けている、そんな後ろ姿を見つけた。
「いた!おーい!」
アルドの大きな声にその少女は振り返った。
「よかった!見つけた!」
その少女は怪訝そうにアルドを見上げた。
「えっと、あの?あなたはどなたですか?どなたかとお間違えでは?」
「え!?いやえっと、センユキラが手に入らなくて悩んでただろう?だから……」
少女は首をかしげた。
「センユキラ?うちで取り扱ってますよ?まあ、 過去に絶滅しかけた時はあったらしいですけど。……やっぱりどなたかとお間違えですよ。あ、でもセンユキラがご入り用でしたら、ぜひ薬屋メディへ!看板娘のこのマディが懇切丁寧にご案内いたします!」
アルドはこの状況への理解が追いつかず、言葉を発することが出来なかった。マディと名乗った少女は、アルドとクレルヴォを見て、ふと気づいた。
「あの、うちの薬屋のご先祖様の話なんですけど、センユキラがなくなりそうな時に助けてくれた人がいたらしくて……それが黒髪の剣士さんと銀髪の研究者らしくて……なんだかその人たちはお二人みたいだったんじゃないかなー、なんて」
マディは幼い頃から聞いていた話を思い出した。なんてすごい人たちなんだろう、と憧れていた。その物語に浸ったが、気付けば黒髪の青年が口をあんぐりと開けていた。
「あ、初対面の人にこんなこと!すみません!」
マディは我に返って慌てた。恥ずかしくなってこの場を離れることにした。
「では!薬屋メディをよろしくお願いしますー!日々研究に励んでより良いものを提供していますからー!」
そう叫びながら彼女は走り去った。帰ったらまた、ご先祖様が助けられた話を両親にしてもらおうと思った。
「えーと、あれ?どういうことだ?」
アルドの思考回路はつながらないままだった。
「ミディはセンユキラを無事この時代まで引き継ぐことができたんだね。だからさっきの子、マディがもうセンユキラを必要としてなかったんだ」
クレルヴォのやさしい声音だった。
「あー!そっか、なるほど!ミディはマディの先祖だったのか!」
「そうだね。多分チャロル草原の彼女はさらに二人のご先祖様なんだと思うよ」
同じ植物を愛するものの系譜であろう。彼女たちと語り合ったクレルヴォにはそう感じられた。
アルドは、これまでの出来事を振り返りほっとした。
「そっか、何にせよ上手くいってよかった、よかった!クレルヴォも今日はありがとう」
「こちらこそとても勉強になったよ。それに……」
クレルヴォは言葉を止めた。
「それに?」
「とても活力をもらった。僕は大地に花を咲かせようと研究を続けてるけれど、時折ね、意味があるのだろうかと頭によぎることがあった。繰り返してもうまくいかない時、うまくいっても急に止まる時、無力感に苛まれることがなかったとは言えない」
その暗い気持ちを追いやるかのように首を横に振った。
「だから今回、過去に行けてみずみずしい植物たちを見て思った。やっぱり今の自分の時代でその姿を見たい。それに彼女たち先人達の苦労や歩みを垣間見させてもらえて、まだまだ僕も頑張れると、そう思ったよ」
「そうか……」
アルドにはその想いを慮るしかできなかった。
「いつか、あんな光景があの大地で少しでも広げられたら、アルド、君にもぜひ見てもらいたい」
「うん、楽しみにしているよ」
今のクレルヴォにとって、その美しい光景は遠いものではない。きっと多くの人がその姿を見ることができるだろう。
少しずつ橙色に染まる空に照らされた、決意に満ちた彼の横顔はとても美しかった。
芳しき白い花と受け継がれし想い @twotwo22
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