第4話

 さて、アルドたちが向かったのはもちろんAD300年のザルボーではない。それよりもさらに過去、BC2万年のサルーパである。そこからチャロル草原へと足を踏み入れる。緑に覆われた大地が見渡す限り広がっていた。


「これはまた壮観だな」


 クレルヴォは感嘆した。大地が本来持つ緑を育てる力は素晴らしい。彼の理想とする光景がそこに広がっていた。


「ミディは水辺にセンユキラを育てていたと言っていたな。このチャロル草原は滝も綺麗だぞ」


 アルドはそのうちのひとつの滝に向かって歩き始めた。


 しばらく進めば、水の流れる音が耳にかすかに届き、その後は歩けば歩くほどますます大きくなった。そしてついにその姿が目に飛び込んできた。


 その高さは人の背丈の倍ほどであろうか、幅はさらにその十倍ほどであろうか。豊かな水量をたたえ、穏やかに、でも力強く流れ落ちていた。滝壺に跳ねた無数の細かな水しぶきが、彼らの体を包んだ。


「何度来ても気持ちいいな、ここは」


 アルドは目を閉じて水しぶきをめいっぱい感じた。


「そうだな、とても心地いい」


 クレルヴォはそう言ったきり言葉を紡がなかった。

 二人は時を忘れ、しばらくの間滝に魅せられたのだった。


 ふと、後ろから草を踏む音がした。


「おや、今日は先客がいるね。ちょっとお邪魔するよ」


 背に籠を背負った中年の女性だった。彼女は水際まで行くと、持ってきた籠からスコップを取り出し、そこにあった白い花を採取し始めた。アルドはその花に見覚えがあった。


「あ!それもしかしてセンユキラじゃないか!?」


 彼女は目を見開いた。


「あんたよく知ってるねえ。これは最近乾燥させて加工して行商人に広げ始めたばかりなんだけど……噂でも聞きつけたのかい?耳が早いねえ」

「えーと、まあ、そんなところかな!」


 アルドはもちろんごまかした。


「この花、綺麗だろ?綺麗なものは人の心を慰めるからさ。切り花だと遠くまで運んでる間にしおれてしまうけど、乾燥させたら長く楽しめるからね。綺麗なまま乾燥させるのにもちょっとしたコツが必要でさ、試行錯誤を繰り返したもんだよ」

「何にせよ新しいものを作るには長年の研究が必要だからね」


 クレルヴォは同意した。女性はカラカラと笑った。


「やーだ、研究なんて大げさなものじゃないって。ただ、そうだね、植物に触るのが好きで、だれかの喜ぶ顔が見たいってだけさ」

「そうか。僕もその気持ちは分かるかもしれない。好きすぎて何日も寝るのも惜しくて観察や実験に集中する時もある」

「おや、お仲間?珍しいね。私も何日もこもって食べるのを忘れてしまう時もあるよ。そんなことしてるから変人扱いされてるよ。一緒に付き合ってくれる旦那がいるから楽しいもんだけど」


 研究に没頭してしまうことも多い二人の言葉にアルドは二人から一歩下がった。


「オレの分からない世界だ……」


「僕にも志を同じくする仲間がいる。道は遠いが励みになっているよ」


 クレルヴォは研究室の同期である女性思い出した。大地に植物を取り戻す計画の仲間の一人である。


「ところでご婦人、センユキラをいくつか譲っていただいてもかまわないだろうか」


 クレルヴォは本来の目的を達成するべく女性に尋ねた。


「いいよ、いいよ。別に私のものってわけじゃない。自然のものさ。ただ、根こそぎ持ってくのはダメだよ。私たち人間はこの大地に間借りしているようなもんだからさ。ありがたく分けていただいている気持ちでいたいよねえ」


 それは、大地からエネルギーを奪い取り住めなくなった未来の人間であるクレルヴォにとって、心の痛い言葉であった。


「そうだね、あなたの言う通りだ。……では大地に感謝して分けていただこう」


 クレルヴォは土を掘り、センユキラを根元から採取した。花弁を顔に近付け、目を閉じ深く鼻から息を吸う。香りが全身を巡るかのようだ。甘いようなそれでいて爽やかなような、そんな香りであった。


「いい香りだろう?」

「ああ、本当にいい香りだ」


 アルドも香りを嗅いでみた。


「うん、すごく安心する香りだ」


 その時、かさりと草むらから音がして、魔物が飛び出してきた。アルドはさっと剣を抜いた。


「危ない!下がっていろ!」

「いや、ちょっと待って」


 アルドを女性は淡々と制した。


「でも!」

「大丈夫。ほら、見てごらん」


 なんと、魔物はふらふらと水際のセンユキラの側で止まり、体を横たえ、目を閉じたではないか。


「あれ?」


 アルドは拍子抜けした。なんて気持ちよさそうなんだろうか。


「この香りはこいつらも好きみたいでさ。よくここで横になってるよ」


 女性にとってはいつものことであった。


「そ、そうなのか」

「魔物でも眠らせるこの香りを使って、次は安眠のための何かを作りたいんだよねえ。安定して作れて、使いやすくするってのも譲れないね。……やることはいっぱいだ!」


 心底楽しそうに彼女は笑った。


「それは楽しそうだな」


 クレルヴォは彼女に言う。


「うん楽しいよ。できるまで失敗とかあっても、色々試して、完成した時の快感ったらないねえ」

「わかるよ」


 そんなふうに自分に同調してくれるクレルヴォに、女性は少し話したくなった。


「……私は昔から植物を使って、お腹が痛い時、頭が痛い時、怪我をした時にそれを和らげてくれるものを作ってるんだ。でも怪しく思われて使われないんだよねえ、魔女とも言われるし。だから、花とか香りとかから親しんでもらえたらなーって。いつか作ったものをみんなに当たり前のように使ってもらえるようにするのが、今の私の夢なんだよ」


 彼女のその始まりは幼い頃であった。遊ぶものといえば周りにある植物や花で、彼女はそれらが大好きだった。ある時彼女は転んで膝を擦りむいた。その瞬間、天啓のように彼女の頭に閃いた。そばにある草をすりつぶして患部に貼るといいのではいいのかという考えが。実際にしてみると痛みがすっと引き、いつもより治りが早かった。


 それからだ。植物を使って薬を作り始めたのは。もっぱら実験台は自分であった。腹痛の時、頭痛の時、熱がある時。様々と試しこれはという効果がある植物を導き出した。時にはいくつか混ぜたりもした。


 そんな日々を過ごしていると、大怪我をして行き倒れていた男を拾った。その知識で介抱したら、彼はそのまま居座るようになった。一番の理解者を得た彼女は自信を持った。ますます植物の効能を確かめ、活用することにのめり込むようになった。そして、少しでも多くの人に植物による癒しの力を知ってほしいと、精力的になっているのだった。


 それでも、知り合いなどは少しずつ使うようになってくれているが、偏見は根強い。まだまだであると彼女は感じていた。そんな今、クレルヴォに出会い、少し話せば似た者同士だということがわかり、志を理解してもらいたくなったのだった。


 クレルヴォは彼女の葛藤に寄り添う。彼自身にもその感情に覚えがあった。


「あなたならきっとできる、僕はそう思う。あなたがそうやって積み重ねてきたものに僕は敬意を表するよ」


 その言葉を聞いた彼女は、腹の奥から込み上げてくるものを感じた。唇が震える。


「ありがとう……」


「あなたが今していることは、絶対未来でだれかを助けることになる。だから、何かくじけそうになっても諦めないでほしい」


 クレルヴォは強く言葉にした。


「うん、うん。がんばるよ」


 彼女の瞳から透明な雫が一つ、頬を伝っていった。


「僕もこれからも研究がんばるよ」

「そうか、お互いがんばろう」


 アルドは二人を側で見つめた。植物という分野で取り組む二人の、時を超えた友情が結ばれたように見えた。


 女性は気持ちが落ち着くと、籠を再び背負った。


「じゃあ、私はそろそろ行くよ。話せて楽しかったよ」

「こちらこそ。ありがとう」


 女性は慣れた足取りで去っていった。アルドは彼女を見送るとクレルヴォを振り返った。


「じゃあ、オレたちも戻ろう」

「ああ」


 二人の姿がなくなれば、そこにはもう滝の音だけ響いていた。その音を子守唄に、センユキラの香りとともに魔物は心地よいまどろみの中へと誘われていた。

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