第3話
ミグランス王都は、大陸中から商品が集まり、それを求めて多くの商人やそれを買いに求める人が数多く集まってくる街だ。一番の大通りを歩けば売り買いをする人々の声が響いてくる。
また王都はこの時代の文化の発祥地でもある。絵描きや音楽家たちも路上で芸を披露している。その芸を見に来た人々が歓声をあげながら楽しんでいるのもよくある光景である。
街自体は石造りであるが、屋根などは温かみのある色で着色され、花や植物を飾っている家も多く、より華やかな印象を受ける。
そんな賑やかな通りを抜けてアルドとクレルヴォは王都の外れへと向かう。喧騒が遠くなった住宅街のはずれに、その井戸はあった。
「ここか?」
クレルヴォが聞いた。
「多分。でもここは……」
アルドが持つ、とある記憶を話そうとした時に後ろから声がかけられた。
「アルド?」
それは色鮮やかな紫色の髪を高く一つに結んだ少女だった。名をディアドラと言う。防具を付け、剣を差している。彼女はミグランス王宮の騎士として王都の警備をしている。
この井戸はミグランス王宮からの抜け道でもあり、ディアドラとアルドにとっては忘れることのできない出来事が起こったところでもあった。
「ディアドラ?どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞だ」
低い声で返された。
「いや、実はさ……」
アルドは簡単にミディの話を説明した。
「なるほどな、最近ここらで怪しい人複数見かけたという情報があり、重点的に見回っていたところだった。しかしなかなか有力情報が得られていなくてな。薬関係ということであれば少し調べやすくなる」
「そうか。ディアドラが調べてくれると助かるよ」
「ああ、では少し聞き込みをしてくる」
「ありがとう。オレたちはここで怪しい奴が来ないか見張っておくからさ」
「ああ頼む。何かわかったら伝えにくる」
ディアドラは長い一房の髪を揺らしながら走って行った。
☆
しばらくの間二人は物陰に身をひそめ、井戸を監視する。
ふらりと一人の優男が現れた。
「あいつか?」
その男はきょろりと周りを見渡した後、井戸の中にすっと姿を消した。
「追いかけよう」
アルドは確認し、クレルヴォと井戸の中へと追った。
井戸の中、その側面にはさらに奥に入れる裂け目があり、暗がりに目が慣れてからそっと覗けば、そこにはもう一人男がいた。体が大きくかたぎではない雰囲気である。
ふたりは耳をすませ様子を伺った。
体の大きな男が優男に尋ねた。
「売れたか?」
「この上なくいい値段でな。売るのは金持ちに限るよ。手と思えばいくらでも金を積むからな。またあの女は安い値段で庶民に売るんだから」
心底馬鹿にしたように優男が言った。
アルドは怒りのあまりかすかに声を漏らした。
「こいつだな、ミディを騙していたのは」
クレルヴォはアルドを横目に見、人差し指を唇に当てた。アルドは唇をぎゅっと引き結んだ。
「まあ、でも腕はいいな。聞いた通りに処理したつもりだがあそこまで匂いはしなかったから。まあ、まがい物でも売れればこっちのもんよ」
「純情な娘を騙して悪い男だな」
男はせせら笑った。優男はため息まじりに応酬する。
「話を持ってきたのはそっちだろ。まあ、そろそろ潮時だな。センユキラとやらももうこれで終わりだし」
優男は井戸の中に隠していた一輪の白い花を手にした。
「本当に酷い男だな。」
「じゃあそろそろ次の仕事だな。次に行ってもらうのは宝石商のばあさん家だ。ボケが始まっているからお前にかかれば簡単だろ?」
優男はいやらしく口の端を片方だけあげた。
「あーそれはありがたいな。なぜあの女は警戒心が強くて情報を引き出すのに時間がかかったからな。一年もかかるとは思わなかったよ」
その仕事はまず自然な出会いを演出することから始まった。一人で街を出て行く女と偶然出会った風を装い、信頼させるためにとにかく優しく語りかけた。諦めず根気強くただひたすら女を思いやる演技をし続けたのであった。より警戒心を解くために恋人のような関係になったのは少し計算外ではあった。
「お前だから一年で済んだんだよ」
「違いない」
そう言って男と優男は笑いをこらえきれず大声で笑った。
「とりあえず前も言ったが、またあの女も消しとけよ早めに」
「……ああ。だが女の前から消えてからあまり時間が経ってないからな。頃合いを見てそうしとくよ」
優男はなぜか返答に間があったことには自分では気づかなかった。
アルドは我慢の限界だった。正義感のとても強い彼からすると、人を傷つける人間を許せそうもなかった。
「おいお前ら!」
「アルド待て」
クレルヴォはアルドを止められなかった。
割って入ってきた声に男たちはたじろいだ。
「なんだてめぇは」
「ミディをだまし、あまつさえ命を狙うなんて許せさないぞ!」
その名に優男が反応した。
「ミディ……あの女の新しい男か。こんなに早いなんて意外と軽い女だな」
優男はどこか面白くなさそうに言った。アルドはミディの名誉のために否定した。
「ちがう!困っているから話を聞いただけだ。お前は人の気持ちを何だと思ってるんだ」
「気持ちはいかようにも変わる、うすっぺらいものだね。頼りになるのは金だけだよ」
大男が優男に呆れたように言う。
「だから早くあの女消しとけって言っただろ?」
「まさか別の男に頼ると思ってなかったのさ。うーんもう人を信じられないようにしたつもりだったんだけどな?」
優男は不服そうだ。
「……おまえ!」
アルドは思わず剣を抜いた。
大男が笑った。首をならしながら背負っていた斧を手にする。
「あーあ、余分なものが二体増えちまうなあ……処理が大変だぜ」
「嬉しそうにして何言ってんだか」
優男も細身の剣を抜いた。
アルドは男たちをにらみ剣を構えた。
「そんな顔していられるのも今のうちだ!」
彼は優男へ向かって走り、剣を振りかぶった。
☆
優男は自分の腕に自信があった。幼くして両親を亡くした後闇組織に拾われ、人の心を掌握する技術はもちろん暗殺のスキルから剣術まであらゆる戦闘技能を磨いてきた。そのおかげもありいくつもの仕事を成功させてきた。
今日はいけすかないがそれなりに付き合いのある大男と二人、簡単に勝てるはずであった。しかし、
(重い……)
これまでに戦ってきたどんな相手よりも剣は重く、そして速く全く隙がなかった。嫌な汗が額に浮かんだ。
(いやこちらは二人、粘ればこちらは勝つはずだ)
そう考えた時、急に体の動きが鈍くなった。
「何だ?」
大男に視線をやれば、やつも斧を床についていた。
「そろそろ体がマヒしてきただろう?」
後ろにいた眼鏡をかけた男だった。武器を構えるでもなく鍛えている様子もなく、後からやればいいと思っていたのに。
「お前が!」
剣を向けようにも、もう力が入らなかった。優男と男は膝を地面につけた。
「君はミディと一緒にいたのに思いいたらなかったのか?毒は薬にもなるがその逆もそうだよ。……薬は毒にもなる。安心するといい。しばらくすれば抜ける」
クレルヴォは冷ややかな目で男たちを見下ろした。彼は花を信念なくいたずらに己の欲望のままに利用する者を許しはしなかった。
「クレルヴォ、さすがだな!」
「アルドが気を引いてくれたからね。さあ、こいつらを届けよう」
クレルヴォはロープを取り出し男たちを縛り始めた。
「あ!そうだ、センユキラは……」
☆
「おっも……!」
アルドとクレルヴォは男たちを縛り上げ、二人がかりで井戸から引き上げた。体に力の入っていない成人男性を引き上げるにはかなり骨が折れることであった。
なんとか時間をかけて男たちを引き上げた。
「よし、じゃあディアドラか巡回の騎士に来てもらってひき渡そう」
「ああ、僕が見ておくよ。必要になったらまたマヒさせるから」
「助かるよ」
アルドが探しに行こうとした時、建物の陰から女性の姿が現れた。
「アルド、クレルヴォ!」
それは自分の店で待っているはずの人であった。
「ミディじゃないか!」
「やっぱりどうしても気になって……」
二人が店から出た後、ひとしきり優男への恨み辛みを吐き出すと、二人のことが気になり始めたミディはいてもたってもいられずに駆けてきたのだった。
「ああ、捕まえたから安心してくれ。クレルヴォも大活躍さ!」
アルドは男たちに視線を向けた。
ミディは目を丸くした。
「あなたたち本当に強かったのね」
「まあな、でもこいつらそんなに強くなかったぞ?」
心底不思議そうに言ったその言葉を聞いた優男は、血が頭に上るのを感じた。アルドを憤怒に満ちた目で睨みつけた。砕けたプライドの最後のひとかけらを守るかのように。
ミディは優男を見つめた。なんと強そうな恐ろしい顔なんだろう。自分に見せていた優しい顔は彼の一部でしかなかったのだと、まざまざと突きつけられたようだった。
そこに、紫を身にまとった騎士がやってきた。先ほどは居なかった騎士も二人ついてきていた。アルドは声を上げた。
「あ、ディアドラ!」
「アルド、聞き込みをしてきたが、希少な香水の売り込みに貴族の屋敷を回ってた男がいたそうだ。短い茶髪で優しげな風貌をしていたそうだが……」
ディアドラはアルト達の後ろで縛られている男二人に目をとめた。
「もしかしてそいつらか?」
アルドはうなずいた。
「ああ、そうだ。ミディを騙していたことしっかりこの耳で聞いた。他にもなんかしてそうだぞ」
「なるほど。詳しくは詰所で吐かせよう。つれていけ」
「は!」
ディアドラと一緒についてきていた騎士は、よく訓練されたきびきびとした動きで男たちを立たせ歩かせ始めた。
ミディは優男とすれ違おうとするその時に、彼に声をかけた。曲がりなりにも一年間付き合ってきたのだ。きちんと終わりにしたかった。
「あんたのことは許せない。許すつもりもないけど……この一年助かることが多かったわ。ありがとう。さよなら」
男は目を見開いた。その顔は彼女がよく知っているもののような気がしたが、すぐにも見えるのは後ろ姿だけで、幻だったのかもしれなかった。
男達とディアドラの姿が見えなくなっても、ミディは目に浮かぶ残像が薄れるまで見つめ続けた。それでもやがて大きく息を吐き、アルドとクレルヴォに振り返った。
「巻き込んでごめんなさい。色々とありがとう」
アルドは首を振った。
「気にしないでくれ。こっちがやっただけだから。……それで、センユキラなんだけど……」
クレルヴォは白い花を一輪そっと手にし、ミディに見せた。
「すまない。見つけた時にはもう……」
花が咲き誇っているものの、その盛りを過ぎていた。そして何よりも。
「ああ、根を残すようにあんなにも言ったのに」
それは茎のところで切られており、もはや枯れるのを待つだけになっていた。
アルドは首をかしげる。
「なんでまた増やし方聞いててもしてなかったんだ?増やせた方が利益になるだろ?」
「刹那的にしか生きられない人間もいるということだろう。続けることつないでいくことの意味が分からない者が」
怒りと哀れみがないまぜになったような声音だった。クレルヴォは研究者であるが、研究とは一朝一夕にはできず、また何千年何万年前のデータを利用することもある。気の遠くなるような年月人類が積み重ねたものがなければ未来の発展はないのだ。
ミディは意識の遠いところで、優男の上辺しか見ないで、彼の本心に気づこうともしていなかったのだと気づいた。自分のことだけが可愛くて、都合よく現れた彼に安易に都合のよい理想を押し付けたのに過ぎなかったのかもしれなかった。
そんな中、アルドは可能性を一つ見出していた。
「なあ、ミディ。ひとつ思ったんだけどさ。さっきセンユキラはご先祖が持ってきたって言ってただろ?元々はどこにいたんだ?」
ぼんやりとこれまでのことを思っていたミディは返答が遅れた。
「……え?……あえっと、サルーパよ。今はザルボーってて呼ばれてる砂漠だけど、昔あの辺りは草原が広がっていたのよ。水辺もたくさんあって、そこでセンユキラが育ってたの。何がだんだんなくなって緑もどんどんなくなって。どうしようもなくなってこっちに移ってきたのよ」
それを聞いたアルドは、ほぼ確信した。きっと、手に入る。そう口にしたが。
「えっと、かろうじて残ったのを持ってきたくらいだからもうないと思うわ。しかも今はもう砂漠だし」
アルドは目を泳がせた。過去に行ってちょっと取ってきますとは言えなかった。
「あー、ちょっと行ってみるだけ行ってみるよ。クレルヴォ、行こう」
アルドは誤魔化すようにクレルヴォをうながした。
「ああ、ミディ、また報告に来るよ」
「え、ああ、うん……」
ミディは納得はできなかったが二人を見送った。
二人が見えなくなると、ミディは手にしたセンユキラに視線を落とした。
「これが最後のセンユキラ、か……私が弱くてごめんなさい……」
自分が身を立てるのを助けてくれた花を、このような形で失ってしまうことを後悔しきれそうもないのだった。ただ優しく腕に抱くのみであった。
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