第2話
アルドとクレルヴォは、青白い世界を通り時空を超えてAD300年のカレク湿原にやってきた。
ここは一見緑豊かな草原であるが、水が入り込み、少しぬかるんだところも多い。様々な鳥や動物などが集まり豊かな生態系が形成されている。
クレルヴォは時折アルドに着いて自分の時代よりも過去にやってくるが、その度に自然の豊かさに目を奪われる。
「本当に美しいね……」
「ああ。未来に行ってから気づけるようになったけど、花とか木とかいろいろなものが素晴らしいと思うよ。気付けたのはクレルヴォのおかげだな」
「そうか」
「さあ、さっそくセンユキラを探そうか」
二人がカレク湿原を歩いていると、一人の若い女性が魔獣に追いかけられているのを見つけた。随分と走って逃げていたのか、息が上がり、スピードもだんだんと遅くなっていった。
「大変だ!助けないと!」
「ああ!」
女性がついに足を止め座り込んだその瞬間、二人は魔獣と女性の間に割り込み魔獣に対峙した。女性は二人の影に気付いた。
「え?」
「もう大丈夫!任せろ!」
アルドは剣―名前をオーガベインといい、偶にしゃべったりする―を抜き、魔獣を一閃した。旅をして力をつけてきたアルドにとってはなんてことない相手であった。
クレルヴォは女性の手を取り、立ち上がるのをそっと助けた。紳士的な振る舞いである。
「あ、ありがとう助かったわ」
女性の礼に対し、アルドは注意する。
「間に合ってよかった。けど一人でこんなところに来て危ないぞ」
「そうなんだけど……」
女性は言葉を濁した。
「何かあるのか?」
「必要なものがあって取りに来たのよ。あるかどうかわからないけれど」
「あるかわからない?」
女性は疲れた声音で彼女の現状を話し始めた。
「私は薬師をしているの。薬はもちろん作るのだけど、みんながいい気持ちで日々生活できるように、それ以外にも花や薬草を使って香りを楽しんでもらえるように精油や香水やポプリとかを販売しているわ」
「そうなのか」
「ええ。その中でも人気の商品があって、そのために取りに来たのよ。でもねえ」
「何かあるのか?」
「…………」
女性は黙り込んでしまった。
「えっと……」
「アルド、また魔獣が来るかもしれない。まずは彼女が取りにきたものを取って送っていこう」
「ああ、そうだな。……どこにあるんだ?」
「……こっちよ」
女性はアルドたちをカレク湿原の奥へと誘った。
そこは人の気配がほとんどなく、更に濃厚な植物の香りがしていた。しかし、一部に荒れた形跡があった。
女性は絶望的な顔になった。
「ああ、やっぱりないわ」
「ないのか……いや、周りを探せばどこかにまだ生えてるかもしれない。探すの手伝うよ」
女性は首を振った。
「もうここしかなかったの……もっと増やそうとしたけど間に合わなかったわ」
その目に涙が浮かんだ。堪えきれなくなったものが頬をつたっていく。
やがて、彼女から押し殺そうとしてできなかった声が漏れ出てくる。クレルヴォはそっと背をさすってやった。アルドはいたたまれない気持ちで声を絞り出した。
「あー、とりあえず戻らないか?ここにずっといるのも危ないしさ」
彼女は頷き東に指を指した。ミグランス王都の方向だ。
「わかった、じゃあ行こうか」
アルドが先導し、クレルヴォは彼女を支えながら進んでいった。
王都が近くなると彼女も少し落ち着いたようだった。
「……ありがとう。助かったわ」
「無事戻ってこれてよかったよ」
「ええ、ねえ、私の話聞いてもらえないかしら。誰かに話したくて……」
「それは構わないけど……」
「美味しいお茶をご馳走するわ。うちの薬草茶とても人気なのよ」
アルドはクレルヴォと顔を見合せた。クレルヴォは頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらうよ」
彼女はほんの少しだけ口の端を上げた。
「ありがとう。こっちよ。私の店はちょっと外れにあって……」
先ほどまでおつかない足取りだった彼女であるが、いくぶんしっかりとした足取りでアルドたちを案内した。
彼女の家はカレク湿原から王都に入ってすぐであった。案内された彼女の店に入ると、カウンターの中には様々な薬草がつるされていた。独特ではあるがとても心地の良い香りである。壁に備え付けられた細長いいくつかの板の上に商品も整然と並べられている。
正方形の木製のテーブルが二つそれぞれに四つずつそれに似合う椅子が並べられ、休憩するためであろうスペースが設けられていた。
彼女は二人に席を勧めた。
「どうぞ座って」
アルドはテーブルについた。アルドは周りを見渡し、雰囲気に圧倒された。
「わーすごい量の商品だな」
「一応王都一の薬屋よ。って自負しているわ」
クレルヴォは店の中に置かれた品々を興味深げに眺めた。
「これは……」
「ああ、それ?乾燥して粉にしたやつ」
カウンターの奥でお茶の準備をしながら彼女は言った。
「なるほど。これも……もう僕の時代にはないものだね」
クレルヴォはまた別の瓶を見つめて小さい声でつぶやいた。
「珍しいのか?」
「ああ。名前だけが伝わっているものも多い。今にも残っているのもあるが。開けて香りをかいてもいいか?」
クレルヴォは奥にいる彼女に聞いた。
「どうぞー。そこにあるのは見本だから気にしないでどれでも好きなものを試してみて」
クレルヴォは許可を取れたので香りを確かめた。
「やはり、香りは本来はこんなに強いものなんだね」
「そんなに違うのか」
「ああ。本当に変わってしまっているんだね…」
彼女が湯気がたっぷり出ているティーカップをテーブルに置いた。
「これ、特製ブレンドの薬草茶。元気が出るって人気なのよ」
アルドとクレルヴォはティーカップを手に取り、黄金色に輝くその液体を口に含んだ。
「これは、甘い?いや辛い?でもさっぱり。いろんな味があるのに邪魔せず調和している。すごいこれはおいしい!ん?体が温かくなってきたような気がするぞ」
その様子を見て彼女はニヤリとした。
「すごいでしょ」
「ああ、これはすごい!元気になる!」
彼女は嬉しそうに声を上げて笑った。しかしやがて真剣な眼差しになった。
「まだ名乗ってなかったわね。私の名前はミディ。さっきは助けてくれて本当にありがとう」
「オレはアルドだ。気にしなくていいさ」
「ありがとう。カレク湿原に行ったのは、センユキラという花を探すためだったの」
アルドはミディが口にしたその花の名前に驚いた。
「センユキラ!?オレたちもそれを探してたんだ」
「そうなの?……でもごめんなさい。多分もうないわ。私のせいで……」
ミディは目を伏せた。
「そうか……私のせいって?」
「センユキラを使った秘伝の調合の精油があって、それが変わりが良くて安眠効果も本当に会ってた大人気なの。前までは何を使っているのかは秘密にしてたから問題なかったんだけど、この間恋人に、もう恋人なんかじゃない……話してしまったの」
「それで?」
「そいつは恋人のふりをした詐欺師の仲間だった。売れてるものを横取りして稼ごうっていうただの輩だったの」
一つ息を吐くと、彼女はまくし立てた。
「とったってあれは特殊な加工が必要なのにそんなこともわからないで材料を根こそぎよ。それでもセンユキラの他は割とどこでも手に入るから良かったんだけど、センユキラはご先祖様が持ち込んでカレク湿原で代々育ててたようなものだし」
アルドは眉をひそめた。
「じゃあこれまでもう一人でカレク湿原に行ってたのか?危ないじゃないか」
「いえ、腕の立つ父親が一緒だったのよ。センユキラは安眠効果があるから魔物もその周りにはあんまり出なくてそこまで危険でもなかったし……でもまあ、父親が一年前に亡くなってから、たまたま出会ったそいつと一緒に行ってて……。そいつもわりと体格の割に強かったから頼りにしてたんだけど場所を知るためだったっていう……裏の人間だからそれなりに力あるわよねえ……結婚するつもりだったから、センユキラが生えているほとんどの場所に連れて行っちゃったし秘伝のいろんなレシピを色々色々話しちゃった……本当ご先祖様に顔向けできない……」
ミディは話しながら顔がどんどんどんどん下へと下がりついにはテーブルに突っ伏した。
今彼女の頭の中では走馬灯のようにこれまでの出来事がめぐっていた。
王都に店を構える薬屋で生まれ、母親から薬の知識を仕込まれ、早くに亡くなったあとは父親と二人三脚で切り盛りして。その父親も流行り病に倒れたのがたった1年前。心を弱くしていたミディの心に入りこんできたのがその男だった。騙されたことに気づくまで、優しくて強いこの人とまた薬屋を盛り立てていこう、そう思っていた。もう、終わったことだった。
「そ、そうか大変だったな」
「そうよ大変だったのよ」
重い沈黙が訪れた。静かに聞いていたクレルヴォが提案した。
「アルド、そいつがまだセンユキラを持っているかもしれないよ。そいつから取り戻せばいいんじゃないか」
アルドは手を叩いた。
「そうだな!取り戻そう!人を騙すなんて許せないよな!」
アルドは拳を握った。ミディは慌てた。
「ええ?そんなありがたいけど、腕は立つし、あいつらこの店の裏の割と大きな薬草畑から一晩でごっそり持っていくくらい結構大きな組織みたいだし……」
「オレたちの実力さっき見ただろ?まかせてくれ!」
「でも……」
「いざとなったら他の人の力も借りるさ。これでも知り合いは多い方なんだ」
そのアルドの言葉にクレルヴォも太鼓判を押す。
「アルドは多くの修羅場を乗り越えて本当に力があるから、まかせて大丈夫だよ」
ミディはそんなクレルヴォをじっと見つめた。
「あなた……えーと、名前何て言うの?」
「クレルヴォだ」
「そう、クレルヴォがそう言うなら」
ミディは魔獣に襲われた後、静かに支えてくれたクレルヴォにほのかな好意を持った。ほんの少しの時間ではあったが信頼するに値すると感じていた。アルドは何かが引っかかった。
「ん?オレは?」
「ああ、いえ、アルドがどうこうというわけではなくて……」
ミディは言葉を切り、クレルヴォへのほのかな気持ちをかき消すかのように強く言った。
「お願いするわ」
「ああ、まかせろ!」
アルドはクレルヴォと顔を見合わせ、強くうなずいた。
「それで、そいつがどこにいるか見当はつくか?」
「そうね、王都のはずれに枯れた井戸があるんだけど、あの辺りにいたのを見たことがあるわ。その時は深く考えなかったけど……怪しいわよね……ほんと何で気づかなかったんだか。そうよ最初に会ったのだって自然よ。向こうから……」
どこまでも低くなりそうな声音でぶつぶつと続けるミディ。アルドは話を遮るように言った。
「えーと、じゃあとりあえず行ってみるよ」
アルドとクレルヴォは出された薬草茶を飲み干し、そそくさとミディの店を出た。その後もミディの独り言は続く。
「『親がいなくて一人で店を切り盛りして薬草の知識もすごいね是非そのいろんな話聞きたいな』、なんて褒められたこともあったわね。嬉しくて色々聞かれるがままに……ほんとバカだなあ……」
ミディの回想はしばらく続きそうだった。
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