第14話 豚汁豚汁論争(1121文字)

 「そういえば知ってるか?最近この辺りに豚汁専門店が出来たんだってさ」

 昼下がりのオフィス内、その一角。仕事に区切りをつけたのか、同僚の中山が向かいのデスクから書類の小山越しに話しかけてきた。

 「豚汁? へー、そんなもんにまで専門店があるんだな」

 「少し昔に味噌汁専門店が話題になったのは知らないか? あれと同じ感じで、豚汁とおむすび、それと漬物が出されるみたいだぜ」

 「ふーん。でもどうせいい値段するんだろ? 俺はたかたが豚汁に金を出そうとは思わないけどな。そういう、何ていうのかな、変化球の店は誰が行くんだろうっていつも思うよ」

 「まぁ、まぁ。そういう店にも話の種に一回くらいは行ってみてもいいんじゃないか。それよりも気になってたんだけど、豚汁じゃなくて豚汁、だよ。恥ずかしいから今のうちに直しておいた方がいいよ」

 「いやいやいやいや!どこぞの田舎もんじゃあるまいし普通は豚汁って言うだろ」  

 「......っ! お前、それじゃあお前は俺が田舎もんだって言いたいのかよ!」

 「いやいや、別にそんなつもりじゃなかったけどさ、普通に豚汁は豚汁だろ。もういいよ、こんな話バカバカしい」

 俺は突如として激高した中山の豹変ぶりに少しばかり面喰いながらも、呆れを込めた声音で応じた。正直言って豚汁を豚汁と呼ぼうが、それとも豚汁と言おうが、そんなことは心底どうでもいい。言外に中山を田舎者呼ばわりしてしまう結果になってしまったことがそんなに腹立たしかったのか、それにしてもここまで怒りを爆発させるようなことなのか、俺には彼の心理を捉えることはできなかった。

 「勝手に話を終わらせようとしてんじゃねぇよ! 馬鹿にされて、はい、そうですか、って引き下がれるほどこっちは人間が出来てやしねぇんだよ! 」

 彼を落ち着かせようと発した俺の言葉はその期待したものとは逆方向の効果を挙げてしまったようで、中山はさらなるヒートアップを見せ、しまいには両の拳をデスクに振り下ろした。

 「こうなったら豚汁と豚汁、どっちが正しいかハッキリ白黒つけようじゃねぇか! それで豚汁が正解だってことが分かったら土下座して謝れよ! 分かったな!? 分かったなら表へ出ろ! 」

 こうして俺は中山に引きずられるようにしてオフィスの外へと出た。俺と中山はその後、就業時間を迎えるまでひたすらにビルの立ち並ぶオフィス街を歩きながら、豚汁と豚汁、そのどちらが豚汁の読み方として正しいのかを議論した。豚汁の名称に関わるこの果てしなくどうでもよく、不毛で、実りの無い会話の応酬は、しかしながらそれに費やされた時間の対価として、俺と中山の双方に納得のいく結論を用意してくれた。つまり、豚汁は豚汁がその名称として正しいのであり、豚汁は間違っているのだ。


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掌編のようなもののようなもの 似非学生 @ese_gakusei

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