6話 妹さんとかお母様とかetc...

 校舎の玄関を出るとやはりそこは昨日と一切変わらぬ風景が広がっていた。


 熱い掛け声は夕焼けに溶けていき、模範的な学園生活がそこには広がっている。


「いやあすっかり日が長くなったなあ」

「お前年寄りみたいなこと言うんだな」

「年寄りってお前、お前だって去年までは同じようなこと言ってただろ」

「そうだったか」


 明るい時間が長ければそれだけ長く練習時間を取ることができる。きっとそれはその時の俺にとってはすごく嬉しいことだったに違いない。


「もう覚えてないな」


 佑介は少し寂しそうな顔をした。


「お前、もし優葉が学校に来れるようになったら部活には復帰するのか」

「どうだろうな、2か月も休部してたやつが高校総体前とかに急に出てきても鬱陶しいだろ」

「俺はそうは思わないけど後輩とかは混乱するかもな」

「せめて復帰するにしてもお前が主将になってからにするよ」

「そりゃ楽しみだ」


 佑介は今日初めて笑ったように見えた。


 その後も取り留めのない会話は続いた。


 どうしてこいつと話をするときはこんなにも自然体でいられるのか不思議なくらい、余計なことを一切考えずに会話ができる。


 離している間に目的地に着いた。表札には『香月』と書かれている。


 向かいの家の白い犬が佑介にじゃれついている。男前というのはどうやら動物からも好かれるらしい。


「お、元気だったかシロ!」


 安直なネーミングセンスである。黒い犬ならクロ、三毛猫はミケ、子犬を飼ったらチビと名前を付けるに違いない。今時そんな名前を付ける飼い主はそう多くないだろうからむしろ個性的であるといえるが、


 そして多分こいつの名前はシロじゃない


「多分そいつシロって名前じゃないぞ」

「でも元気に返事してくれるんだぜ」


 まるで会話でもしているかのようにシロがワンと吠える。どうにも空気が読めていないのは俺らしい。


「じゃあ、俺行くよ」

「あぁ、また明日な」


 一昨日見かけた黄色い百合の花はまだ庭に植えられていた。しかし、あの時のような匂いはしなかった。庭には他にも色々な草花が植えられていた。手ごろな石で仕切りが作られており、短い丈の草花は手前の方に長けの長い草花は奥の方に植えられている。手入れの行き届いた花壇だ。


 あまり庭を眺めていて、空き巣や変質者に間違われてはたまったものではない。ふと我に返り、ドアの横に設置されたインターホンを押す。


「ごめんくださーい」


 家の中から返事声が聞こえた。それはとても明るく元気な声で、下手の薬よりも元気になる、そんな気持ちにさせてくれる声だ。


「紬のお兄さんじゃん上がって上がって!」


 玄関を開けたのは優葉の妹、和咲かずさちゃんだった。性格こそ優葉に似ても似つかないが、その小さな顔と丸く大きな目は姉妹ともにお揃いのようだ。


 先程も述べたが、優葉と和咲ちゃんは姉妹とは思えないほど性格が違う。和咲ちゃんは天真爛漫という言葉がよく似合う少女である。16歳の高校2年生の男が14歳の中学3年生の女子について語るのもどうかとは思うが語らせて欲しい。


 和咲ちゃんは優葉の妹であり、俺の妹の紬の友達である。こういう関係性のため、そこそこ顔も合わせるし、かずさちゃんの性格上仲良くなるのにも時間はかからなかった。優葉が学校に来られなくなってからはこうやって顔を合わせる機会も増え、正直妹らしさで言えば紬よりも妹らしいといえるだろう。長い付き合いも相まって、正直妹のつもり接している。


「お邪魔します」


「長い付き合いなんだからそんなにかしこまらなくてもいいのにぃ」


「どうしてもな」


 長い付き合いとは言え、この年になって人の家に上がるのはそれなりに緊張するものだ。小学生と高校生では世間体や体面といったものの意識の仕方が違う。みっともない真似はできないというわけだ


 玄関で靴をそろえ、用意してもらったスリッパを履き、和咲ちゃんに連れられるままにリビングへ通される。


「優葉は?」


 優葉は神出鬼没である。玄関で待ち構えていることもあれば部屋で閉じ籠っていることもある。本人曰く気分次第らしいが、法則はいまだによく分かっていない。


「部屋にいると思うよ。さっきまで、まだ来ないの?って10分おきに聞いてきたくせに来た途端に閉じこもっちゃうんだから」


「何……。俺、嫌われてるのか……」


「なわけ。お兄さんも分かってるでしょ。お姉ちゃん、お兄さんのこと大好きだよ」


 これは真実なのか和咲ちゃんの悪戯心がそうさせたのかは分からない。


『大好き』


 嫌でも意識してしまう言葉だった。いくら好きじゃないとはいえ、少しの優しさも好意と勘違いしてしまうほど多感な年頃である。もしかしたらが頭の中を駆け巡るのは一瞬だ。


 俺は、浮つきを悟られまいと努めて冷静に取り繕った。


「そうだといいけどな」


 和咲ちゃんはにんまりと笑う。にっこりではない。にんまりだ。その笑みには純粋な喜びだけではない、何かしらの含みがあった。


「お兄さんじゃなくてお義兄さんって呼ぶ日も来るかもね」


「それはあれか、義理の兄になるとかそういう意味か?」


「そゆこと。あり得ない話じゃないと思うけどねえ」


 和咲ちゃんは何か勘違いをしているようだ。なぜ俺が頑なに優葉のことを『好きじゃない』と言っているのかを彼女には説明しなければならない。


 それは、もういつのことだったかも定かじゃない。少なくともここ2,3年の話なんかじゃない。もっと前の話だ。


 ある日、俺は休み時間に教室の扉を開けた。そこには優葉と何人かの女子がいた。俺が教室の扉を開けた、ちょうどその時だった。


『別に、柊人のことなんか好きじゃない!』


 扉を開けた俺と優葉は目が合った。その光景だけが一枚絵のように焼き付いている。


 その後、優葉から直接、佑介のことが好きなだけで俺のことが嫌いなわけではないと弁明を受けたような記憶がある。


 この時からだ、優葉を諦めようと思ったのは。


「あいつ佑介のこと好きなんだろ。和咲ちゃん知らない?]


「え、そうなの?」


 ただでさえ丸い目を余計に丸くして驚いている。反応を見るに本当に知らなかったようだ。


「まああいつのことだしそういうことはべらべら喋らなさそうだけどな」


「そっかあ、お姉ちゃん橘さんのこと……。ふうん」


 和咲ちゃんとおしゃべりをしに来たわけではなかった。


「まあいいや、優葉の部屋行ってくるわ」


 2階にある優葉の部屋へと続く階段は玄関の脇に設置されている。


 リビングのドアを開けると、優葉のお母さんが今帰宅したところだった。


「あ、お邪魔してます」


「そんな挨拶なんていいのよ~。自分の家だと思ってもらって」


「いやぁ、そういうわけには」


「ほら、居間にいらっしゃい。お茶出すから」


 一度は出たはずのリビングに逆戻りである。俺はもしかしたら追体験をしているのかもしれない。


「いえいえ、お構いなく。今から優葉のとこ行ってくるんで」


 という俺の言葉を聴きながら優葉のお母さんはせっせとお茶を入れてくれる。お茶を用意してもらったからにはテーブルに着かないわけにはいかない。


「今日は早めに晩御飯にするから、晩御飯一緒に食べて行ってちょうだい」


「えぇ、そんな悪いですよ」


「毎日わざわざ来てもらってるのにこっちももらいっぱなしじゃ心苦しいのよ。人助けだと思って!」


 ただご飯を頂くのはどう考えても人助けだとは思えない。しかしこういう言われ方をするとどうしても弱い。子供である以上、素直に好意に甘えた方が向こうとしても気が楽なのではないかと思ったり、素直にがっついてくるなんて遠慮を知らない図々しいやつと思われたらどうしようと思ったり、優葉のお母さんが後者のようなことを考える人でないことは重々承知の上だが、どうしても『最悪』が頭をよぎる。


「今日、お兄さんもご飯一緒?」


「そうよ」


 まだ『はい』とも『いいえ』とも言っていないがどうやら俺はご飯を頂けることになったらしい。ここまで押されてはもう断る必要もない。素直に好意に甘えよう。


「紬ちゃんも呼んじゃダメ?お母さん」


「いいじゃない。いっぱいいた方が楽しいわよ」

「わぁーい!」


「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。紬に連絡してきますね」


「もしもし?」

「お兄?」


「あぁ。お前、もし今日和咲ちゃんの家にご飯食べにおいでって言われたら来るか?」


「え、なに?お兄、和咲の家でご飯食べてくの?」


「断り切れなくてな。和咲ちゃんがお前も呼びたいんだと。お母様からも許可下りてるから来たいなら来い」


「なんか持っていくものとかあるかな?」

「まぁ、菓子でも持ってくればいいんじゃないか」


 和咲ちゃんが


「お兄さん!紬ちゃんに宿題持ってきてってお願いしといて!」

「あと、宿題持ってきて」


「ん、分かった。15分くらいしたら着くと思う。伝えておいて」

「あいよ」


 心無しか紬の声が弾んだように聞こえた


「紬、あと15分くらいで来るそうです」

「やったー!」


 和咲ちゃんはとても嬉しそうだ。なんだか見ているこちらまで嬉しくなってくる。


 電話を終えテーブルに着く。はて、俺は一体香月家に何をしに来たんだっけか。


「何か手伝いましょうか?」

「いいのよ~ゆっくりしてて」


 しっかりと遠慮されてしまった。大人しくテーブルに着いて紬を待つほかないらしい。


 和咲ちゃんが勉強をしている様子を見ながらお茶をすする。ほどなくして来客のチャイムが鳴った。


「お邪魔します」


 リビングに通された紬がなんとも言えない表情でこちらを見て言った。


「お兄ちゃん、なんて言うか、すごく自然だね」

「うん、手伝おうにも何していいかわからなくてな……」


 ほとんど家事というものを母親と紬に任せているせいで、こういう時に気の利かない男になってしまったのだ。


「いいのよ~。ゆっくりしてて」


 優葉のお母さんは頑なに俺たちに手伝わせるつもりはないらしい。


「じゃあお兄さん私たちの宿題見てよ!」

「あぁ、いいぞ」


「わ、私は別に……」


 紬は露骨に嫌そうな顔をする。友達の前で兄に勉強を見てもらうなど嫌に決まっている。俺も同じ立場なら同じ顔をするだろう。


「ほら紬もここに座って!」


 和咲ちゃんの押しに完敗した紬は渋々といった様子でテーブルの上に課題を広げる。


「悪いわねぇ、優葉だけじゃなく和咲まで」

「いや、いいんですよ。これくらいならいつでもやりますから」


 にぎやかなリビング。我が家ではこういうシチュエーションはまずない。遠足の時の小学生時分を思い出す。この非日常が心地よい。


 階段を下りる音が聞こえた。静かで小さな音だったのにしっかりと響くような不思議な音。その音はゆっくりだが着実に近くまで迫ってきている。


『嫌な予感』というよりはそれは確信に近く、全ての原因は俺にあることも自明だった。


 連絡の一つでもしておけばよかったと今更になって思う。


 ドアノブが回る音がやけに大きく響いた。ドアから顔をのぞかせた少女はじっとこちらを見据え、そして口を開いた。


「……いつまで待たせるつもり」

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心が見えたり、読めたり、聞こえたりetc...する女の子たちに悩まされています サヨシグレ @sayoshigure0417

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