吸引力の衰えないただひとつの掃除機

「や、やる意味は……あるんです」

「意味がないなんて、言ってないよ」

「わたし、よく怒られますけど、電話の人もホントはいい人で。本当はお給料とか、待遇とか、もっとちゃんとできるように頑張ってるところだって言ってて、だからしばらくは我慢で、わたしも、飛び方を教えてもらいましたし、空を飛んでると、わたしにもできることあるぞって嬉しくて……」

 だったら


「だったら──空だけ飛んでなよ」


 高校生ちゃん自身も、おかしいな、と思うことがたくさんあったんだろう。だけど、やりがいを感じているのも本当なんだろう。

 自分では使命感をもって素晴らしいことをやっているつもりでも、大人が介入してきてそれを取り上げてしまう。

 あたしにも、そんな経験がひとつふたつある。

 そして今のあたしは、大人の側にいるのか。


「人の命に関わるからとか、しばらくは我慢とか、そんなのはさ、あんたがやる事じゃないよ。大人に任せなよ。あんたは、普通に学校に行って、テレビとか、マンガとか、そういうもんに夢中になって、友だち作って、飛びたくなったら掃除機に乗ってどこでも飛んできゃいいじゃんか」


「でも、ニュースでもやってましたよね? 大寒波が来てるって。その寒波が悪意を持ってるんです。わたしがやらないと。わたしは、飛べて、掃除機でその悪意を吸い取っちゃえるのに」

「その掃除機だって壊れたじゃないよ。さっきの電話の人に連絡して、今日はもうダメだって言いな? ダメなときはダメだって伝えるのも仕事だよ」

 高校生ちゃんが口を引き結んでうつむく。紅茶の残りを飲み干してマグを置くと、意を決したようにゴツいスマホで電話をかけた。


「あの、すみません、掃除機が壊れました。はい。どうやっても動きませんでした。わたし? ですか? わたしは大丈夫です。なんともありません。あ、はい。どうにかして帰ります。──それであの、電車のお金って、どうしたらいいですか? ……いまいるところは、ええと」

 あたしは最寄り駅の名前を教えてやった。都心と小田原を結ぶ私鉄の駅だ。高校生ちゃんには聞きなれない名前だったのか、いちど聞き返された。

 電話を終えて、ぐったりとしたため息をついてから、高校生ちゃんは言った。


「遠くないから、電車代持って来てくれるそうです。駅で待ち合わせることになりました。いろいろと、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「まぁ、いいよ。道わかる?」

「マップアプリで見れるので、大丈夫です」

 そういって、ベランダの壊れた掃除機を持って行こうとするので、止めた。

 掃除機抱えて電車には乗れないだろうし、粗大ゴミに出すぐらいやってあげたっていい。お金を払おうとするので、バカ言うなって言ってやった。


 これでこの話は終わりだ。


 そう思ったのだけど、玄関までの短い廊下に置いてあったんだよね。買ったばかりのあたしの掃除機が。




「いい!? ぜったい土曜日に返しなさいよ!」

 強めに念を押した。高校生ちゃんは目をキラキラさせて、吸引力の衰えないただひとつの掃除機に跨がっている。

「これ、すっごいいいやつじゃないですか!」

 そのキラキラであたしを見るな。話きいてんのか。


 全身学校指定だった高校生ちゃんの服装に、ブカブカのスキーウェアを無理やり追加してコーディネートは大きく下方修正された。

 スキーウェア下、制服スカート、ブラウス、カーディガン、ブレザー、スキーウェア上、ダッフルコート、ニット帽、ゴーグル。

 すげえな。

 ジャージは掃除機のノズルに結んである。

 ウェアはあたしのだ。八万円の掃除機を貸すのだ。やけっぱちでスキーウェアも貸すことにした。大寒波に飛び込もうっていうのに、ダッフルコートじゃどうにもならないだろ。


 ひぃぃぃぃぃん、と調子良さそうな駆動音を立てて、スティックタイプの掃除機の、機首と言うか、ノズルが水平に浮き上がっていく。


 壊したり無くしたりしたら、バイト先に請求してやることになった。バイト先と高校生ちゃんと、連絡先もがっちり押さえたし、話もした。

 言いたい事はたくさんあるけれど、まずは当事者で話して欲しい。

 高校生ちゃんを乗せたダイソンちゃんが、するりとベランダの柵を飛び越える。

「親御さんときちんと話をしなさいよ」

 そこなのだ。あたしなんかより先に、親と話せ親と!


「子どもにお説教とかホントに嫌なんだけど、イヤだと思ったり、おかしいと思ったことは、ちゃんと相談しな。それで何とかなることだってあるんだ。それから学校はやっぱりちゃんと行っときな。あんたが空の悪意とやらを吸えない日があっても、あとは大人でなんとかするって。消防官とか、自衛隊とか、あと気象庁? そういう専門家がこの国にもちゃんといて、あたしはまあ何もできないけど、それでもお金は出してる。あんたは他の誰にもできない事をやってるかもしれないけど、空だの天気だの、そんなもんの責任をあんたひとりが背負うことないんだ」


 はい! と高校生ちゃんが返事をする。わかってんのかね。だいたい、クソ寒そうな真冬の空へ向かうのに、なんであんなに嬉しそうなんだか。


「今夜から冷えるんで、気をつけてください!」

「気をつけるのはあんただよ。終わったらいちおう連絡しな。ぜっっったい土曜日に返しなよ」

「はい!」

 と、スキーゴーグルをつける。高校生ちゃんが不審者ちゃんになった。

「じゃ、行ってきます。また土曜日に!」

 そう言って白い歯を見せると、不審者ちゃんはあっというまに上昇して、ひゅん、と冬空を飛んでった。



 魔女っ子の映画に出てきた女将さんを真似ようとしたけど、あたし口笛吹けないんだよね。

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