もう会うことはないと思うんですけど
電話口、怒鳴られてる、とまではいかないけれど、詰められてる空気があった。せっかくの代休に、仕事を思い出させてくれやがる。
「──はい、すみません。掃除機の調子が悪くて。すぐ行きます。はい。わかってます。すみません。でも、他に掃除機なくて。はい。ちゃんとやります。はい。はい。ごめんなさい」
あたしを相手にするのと違って、比較的しっかりと謝っている。慣れた相手だからだろうか。あたしの職場にも電話応対の時だけハッキリ喋るのがいるが、そういうタイプの子か?
ひととおり謝り倒して電話を切り、縮こまっていた中学生ちゃんが立ち上がった。
「あの、わたし、もう行かなくちゃいけなくて。お茶、ごちそうさまでした。残しちゃってごめんなさい」
「ああ、それはいいけどさ。あんた、中学生で学校休んでバイトしてんの?」
「わたし
高校生かよ。
「どっちにしてもだよ」
コーヒーを飲み干してカップをローテーブルに置き、中学生あらため高校生ちゃんに向き直った。百六十センチのあたしが見下ろせる背丈しかなかった。
「学校休んでバイトしなきゃならないって、よっぽどだよ」
「でも、わたしがやらなきゃいけないんです」
「保護とか、補助とか、調べればそういうのもあるって」
あたしも調べたことはない。無責任な大人の知ったかぶり。不本意ながらその通りなんだけど、この、見知らぬおばさんが説教してる感じにモヤモヤする。
高校生ちゃんは、今度は謝らなかった。
「わたしがやりたくてやってることです。あなたには関係ありません」
「そりゃ他人だけどもね」
勝手にベランダ入って来といてなに言うの。
「とにかく、貧乏とか、不良とか、お姉さんが想像するのとは違うんです。人の命に関わったりもするんです。ベランダに降りちゃったのは、ごめんなさい。どうやったのかは、話しても信じてくれないと思うんですけど……」
最初の質問に帰ってきた。
ベランダへの引き違い戸を開けて、黒いローファーを履いて、高校生ちゃんが掃除機の本体を持ち上げる。
「でも、今から見てもらうことになりますから」
と、いくらか強気な顔を見せて、持ち上げた本体を股で挟んだ。
は?
「はあああああぁぁぁ!?」
浮いた。浮いたよこの子!
掃除機本体に乗って、水平に浮くノズルに掴まって。なにこれ夢?
「できれば内緒にしてください。ネットに上げても丸山さんが消しちゃいますけど」
誰だよ丸山しらねぇよ。
高校生ちゃんは狭いベランダの手すりを文字通り飛び越えた。
「中に入れてくれて、お茶も入れてくれて、ありがとうございました。嬉しかったです。もう会うことはないと思うんですけど、お元気で」
そのまままっすぐ昇っていくのをただ茫然と見送ったあたしは、間抜けな顔をしていたと思う。口が開けっぱだったことを、あふれそうな唾液で知った。
あわてて唾を飲んだあたしの視界を、高校生ちゃんが上から切った。
「ちょっと!」
裸足で飛び出す。五階あたりであたふたして、高校生ちゃんがまた昇ってくる。不安定なアップダウンを繰り返す。こんな場面を子供の頃に映画で見た。数年前の金ローでも見た。映画の子はデッキブラシに乗っていたけれど。
あたしはベランダから身を乗り出して手を伸ばす。
「お姉さん、危ないです、危ないですから!」
うるさい危ないのはあんただチビっ子!
ダッフルコートのフードを掴み、ぷすいーん、ぷすいーん、と変な音を立てる掃除機ごと倒れこむようにして、高校生ちゃんをベランダの中に引き込んだ。
子どもの髪から、ありふれたシャンプーの匂いがした。
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