学校指定で揃えました

 で、その中学生ちゃんがあたしのベッドに腰かけて縮こまっている。


「スマホで110番する練習、しといたほうがいいよ」

「すみません……」

 かすれた小さな声だ。

「あの掃除機なに?」

「すみません……」

「コーヒー飲める?」

「すみません……苦いのは、ちょっと」

「だと思った。紅茶? 緑茶?」

「こ、紅茶……すみません」

「砂糖とミルクは?」

「両方で……」

 どう考えてもこの後面倒くさいことになる。さようならあたしの代休。ため息をつきながら二人分の水を入れて、電気ケトルのスイッチを入れる。

 


 最初はあたしも、ベランダの不審者に慌てて「警察!」となった。スマホを開いたら「再起動後にはパスコードが必要です」との事だったふざけんな。再起動? してないよ? アップデートは来てたけど! みたいな混乱もあってパスコードを連続でミスって「1分後にやり直してください」とか言われてさ。

 不審者はまだいるのかと、もう一度ガラス越しに相手を見たらバカバカしくなった。


 重そうな黒いダッフルコートとどっかの制服の紺スカートに臙脂のジャージをはいた野暮ったい子供に、三十五歳のあたしがビビり散らかすだと? みたいな考えがよぎったのもあったし、もっと単純にその子が弱そうに見えたっていうのもあった。

 やせっぽちの女の子が真冬のベランダでしゃがみこみ、歯をガチガチさせて「ごめんなさい。休んだら、すぐ、出ていきますから」とか言ったから、というのもあった。

 どうやって持ち込んだのかさっぱりわからないけど、その子がお守りみたいに抱えていた古い型の掃除機が、青森の実家に初任給で贈ったのと同じやつだったから、なんてのもあった。

 ガラス戸を開けて、あたしは「入んなよ。寒いでしょ?」と声をかけた。ちょっと本気で寒かった。



「あの……わたし、すぐ出ていきます。ごめんなさい」 

 砂糖たっぶりのミルクティーが入ったマグカップに、両手ですがるようして中学生が言う。エアコンを最強にして、あたしは立ったままコーヒーをすする。

「それはまぁ、そうしてもらうつもりなんだけどさ。どうやってベランダ入ったの? ここ七階なんだけど」

 こんな子でも入り込めるような経路があるなら、管理会社に言っておかなければならない。

「それは、その……ごめんなさい」

 すぐ謝るこの子。


 髪型から靴下まで学校指定で揃えましたみたいな、いまいち垢抜けない子だ。あたしも極暖ごくだんスエットの上下を着ているわけだし、服装にケチをつけるつもりはないんだけど、観察すればするほどパニくったのがアホくさい。



「質問にはなるべく答えてもらえる? 寒そうだったから中に入れたし、お茶の一杯ぐらいは出すけど、あんたは──」

 犯罪者だ、と言いそうになってやめた。

「──ともかく、あたしの家のベランダに勝手に入った。事情ぐらいは聞かせてくれてもいいんじゃないの? 今日水曜だけど、学校は?」

「……仮病で休みました」

「ごめん学校サボって不法侵入ってなに? ほかにやることないの?」

「来たくて、来たわけじゃ、ないです」

「あんたさあ──」

 歯切れの悪い応答に、あたしはいやな予感がした。

「もしかして、誰かから逃げてたりする?」

 中学生がビクっとして、途端に怯えた顔になった。予感が当たったように思えて、あたしのお腹の底がひやりとする。

 が、その子はコートのポケットをまさぐり、トンカチでも割れなさそうなゴツいカバーのスマホを取り出して、あたしとスマホをと見る。

 ブンブン言ってる。

「親御さん?」

「ち、違います。えっと、バイト先……」

 バイトだ?

「とにかく出なよ。マグはそこ、ローテーブルにでも置いちゃってさ」

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