第五十六話「追い出し部屋の終焉 3(終)」

 結論から言うと、追い出し部屋こと『キャリア開発室』は閉鎖されることになった。



 私からのヘルプメッセージを見た真宵くんが、労働基準監督署の人たちに連絡してくれたのだ。

 真宵くんは以前からずっと労基に相談してくれてて、彼なりに踏み込むタイミングを狙っていたらしい。


 労基の人たちの今回の目的は『追い出し部屋の実態』の調査。

 開発者である私たちが『開発できていない』現場を確認しに来てくれたのだ。

 そう考えると、機材を隠してて本当によかった。

 普段の開発中に来られでもしたら、「開発業務はできてるようですね」と言われたかもしれないのだ。

 真宵くんがちょうどいいタイミングを見計らってくれたことに他ならない。


 また、長さんが準備してくれた雑用のダンボールも重大な証拠になった。

 何の意味もない電話帳の書き写しはどこからどう見ても雇用契約書の内容に反しているわけで、これで言い逃れができるはずもない。



 あ。

 ちなみに伊谷見さんは解雇されることに決まった。

 決定的だったのは高跳さんに飛びかかって骨折させたことでの傷害罪。

 配属先を失った逆恨みからの行動とみなされ、情状酌量の余地なしと判断された。

 ついでにロッカーを壊して弁償することになり、何から何まで悲惨な末路といえる。



 ――とにもかくにも、雇用契約と著しく異なる現況が明らかになり、会社は改善の勧告を出された。

 結果、キャリア開発室は消滅することになったわけだ。



 ……だけど、いい結果だったと手放しに喜べない。

 待っているのは別の地獄だったわけだから――。


「自由に開発させてやってるぞ。ほれ、始めてみろ。ほれ」


 いらだつような局長さんの言葉が忘れられない。


 常に局長さんに監視される中での開発室。

 新しい開発機材を与えられても、今までの開発がバレればむちゃくちゃにされる。

 全員にその確信があったから、何もできるわけがなかった。


 追い出し部屋で使っていたノートパソコンはこっそりと長さんが回収してくれたらしい。

 でも、あまりに危険なので受け取れていない。

 見つかった途端に壊されるような危機感があった。


 なんとも皮肉なこと。

 追い出し部屋こそが安息の地だったというわけだ。



『ごめん。……僕が労基を呼んだせいで……』


 電話の向こうで真宵くんは泣きそうだった。

 自分が労基の人たちを呼ばなければ追い出し部屋が消えることはなかったし、局長さんが腹いせに嫌がらせをすることはなかったかもしれない、と。


 でも、そんなことはない。

 私は冷静に答える。


「疑いをかけられた時点で、終わりは決まってたんだよ。むしろ真宵くんのおかげで労基ににらまれることになったわけだし、局長さんも今以上に動けないんだと思う……」


『でも、局長に見張られてる状態だと彩ちゃんたちも動けない。……彩ちゃんチームのゲーム、最終調整が残ってるんだよね?』


 それは真宵くんの言う通りだ。

 残り二週間弱で最後のクオリティアップとバグ修正がされる予定だったし、田寄さんが言うには最終的な実行ファイルROMが未作成の状態。

 今のままでは審査会を迎えることはできなかった。


『あと……彩ちゃん自身が二日も休んでる。抱き枕を破かれたって……聞いたよ』


「えへ。えへへ……。うん。でも大丈夫。外側にかぶせてたカバーのすみっこが破れただけで、本当に大切なドラスフのカバーは無傷だったの。二枚重ねにしててよかった~」


『そ……そうか……。でも、一枚目の方も宝物だったよね?』


「平気平気! 真宵くんも、私のことなんて気にしないで仕事に戻って! ちゃんと復帰するから、心配しないでだいじょーぶ! じゃね!!」


 最後のほうは涙声になってしまったので、慌てて電話を切ってしまった。

 高ぶってしまった気持ちを抑えたくて、深呼吸する。



 目の前にはほつれを縫った抱き枕カバー。

 ごめんね、とカバーに向かってつぶやく。

 本当はドラスフだけじゃなく、どっちのカバーも大切な宝物なの。


 抱き枕君たちに頼りすぎてたせいで、局長さんたちに狙われて、破かれてしまった。

 二度とあんな危険な目に合わせたくない。

 外にもって出るのは、もうやめよう。

 私自身も巣立ちの時が来たんだ。



 私はもう一度だけ深呼吸し、スマホを握りしめた。

 電話帳にずらっと並ぶ名前。そのはじめの一つをタップし、耳に当てる。

 何回目かのコール音。

 そして相手が電話に出た。


「おはようございます。夜住 彩です」


 私は本当に怒ってる。

 好きだったユニゾンソフト。その名を穢した人たちが許せない。

 この時、私は一つの決断を下したのだった――。



   ◇ ◇ ◇



 彩ちゃんと電話をした翌日。

 この僕、真宵 学は不安を胸に新開発室をのぞいた。

 しかし、やはりというか彩ちゃんの姿はどこにもない。


 それだけではない。

 新開発室には田寄さんと創馬さんの姿もない。

 高跳さんは骨折して療養中だから分かるとして、この二人がいないことが不思議だった。

 彼女らは彩ちゃんチームのコアメンバー。

 いったい何が起きているのだろう。


 妙な胸騒ぎに襲われていると、スマホが震え始めた。

 電話の着信だ。

 急いで電話を取ると、明るい第一声が聞こえてきた。


『真宵く~ん? ボクボク。阿木内だよ~。ちょっと表まで出てこれるかなぁ?』



   ◇ ◇ ◇



 会社を出ると、阿木内さんは高そうな車に乗って僕を出迎えてくれた。


「今日は打ち合わせの予定はなかったはずですが……」

「まあ、いいからいいから。乗って乗って!」


「……あの。これからどこへ?」

「社会見学だよ~」


 助手席に乗せられて向かった先。

 ……そこは、幾度となく訪れたルーデンス・ゲームスの本社ビルだった。


 いつものように会議室に通されるのかと思いきや、会議室のフロアを通り過ぎ、エレベーターはどんどん上昇していく。

 そして通された部屋は、あらゆる設備が整った開発ルーム。

 でも、どんな設備よりも目を引いたのは目の前の可愛らしい女の子。

 抱き枕を持たない彩ちゃんだった。


 彼女だけではない。

 田寄さん、創馬さん、そして高跳さん。

 元追い出し部屋のコアメンバー。僕の盟友たちが勢ぞろいしていた。


「え、どういうこと!?」

「阿木内さんにお願いして、残りの期間をルーデンスで作らせてもらえることになったの」


 そう言って彩ちゃんは微笑む。

 僕が呆気に取られていると、他の三人も近寄ってきた。


「はは。さすがに全員が引っ越すわけにはいかないからね。どうせ最後の調整だけだから、アタシら四人だけが集合したってわけさ」


「うん。わたしたち以外のメンバーにもこのことを伝えて、内緒にしてもらってるんだ」


「ホントーは直行ちょっこう直帰ちょっき扱いにしたかったんすけどね! 言えばクソ鬼頭が邪魔するに決まってるんで、有休扱いで集合してるんす」


 それぞれが笑顔で答える。


 直行直帰とは、一度も会社に立ち寄らずに社外の目的地に出向き、仕事をして帰宅するということだ。当然出社扱いにできるけど、新開発室は鬼頭の直属組織にされてしまったので、報告をためらわれた。

 だから仕方なく有給休暇を申請し、内密に行動しているということだった。


 数日前までの陰鬱な新開発室と異なり、みんな生き生きとしている。

 その笑顔を見るだけで、僕も元気をもらえるようだった。


「……っていうか高跳さん! 肋骨が折れてるのに、平気なんですか!?」


「ダイジョーブっすよ! 激しい動きは無理っすけど、アニメーションデータの微調整はやっておきたいもんで」

「もう……。無理は絶対にダメですよ!!」


 高跳さんの無茶には本当に驚かされる。

 今すぐ帰宅して欲しいのに、テコでも動かないのだった。



 改めてみんなの顔を見渡す。


「それにしても……すごい行動力ですね。やっぱり田寄さんの発案ですか?」

「違う違う。全部彩ちゃんが動いてくれたのさ」


 あまりにも意外な返答に、僕は驚きが隠せない。

 彩ちゃんは照れながら答えてくれた。



 阿木内さんに事情を説明し、ルーデンス本社の一室を用意してもらえるようになったこと。

 今までの開発データは長さんがサーバにアップロードしてくれたおかげで、ルーデンスの方でも引き出せたこと。

 ルーデンスとユニゾンは親子関係にある会社なのでネットワーク関連も一部共有化しており、無事にデータを引き出すことができたらしい。


 そして何よりもスムーズに事が運んだ裏には、阿木内さんの努力があった。

 ルーデンスの経営層と情報を共有することで、すでに受け入れの準備が整っていたわけだ。


 大事なことは、あくまでも名目上は『社会見学』であること。

 彩ちゃんたちは有休のついでにルーデンス社内を見学しているだけで、仕事をしているわけではない。

 たまたま・・・・来客用のパソコンが見学用の部屋に置いてあって、たまたま・・・・自由に触れているだけ。

 どう使うのも自由だし、ルーデンスは来客の行動をとやかく言う道理もない。

 ……そういう理屈だった。



「彩ちゃん。……抱き枕がなくても大丈夫なの?」

「うん。抱き枕あの子は家を守ってくれてるから。……今の私は、真宵くんやみんなからもらった元気があるから、大丈夫。もう、一人で歩けるよ」


 そういって微笑む彩ちゃんは、確かに強いオーラに満ちていた。


「真宵くんと私たち。それぞれに最高のプロトタイプを作ろう! そして必ず合流しようねっ!!」


「うん。僕のチームもラストスパート。最高の状態でぶつけるよ!!」


 僕らは固く握手を交わし、そして別れた。



 追い出し部屋から飛び出して、彼女たちは大きく羽ばたこうとしている。

 僕も負けられない。

 ユニゾンという名の固い殻を打ち破り、大空に羽ばたいてみせる。


 そして鬼頭。首を洗って待っていろ。

 審査会でお前の罪を暴き出し、どこまでも追い込んで見せる!



 波乱の審査会が、ついに幕を上げる――。

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