第五十四話「追い出し部屋の終焉 1」

 チームを追い出された伊谷見は、行く当てがなくなっていた。

 会社中に大失態の噂が広がり、どこの開発チームも受け入れてくれない。

 事実上の社内ニートになった伊谷見は、追い出されるきっかけになった真宵を強く恨んでいた――。



 プリプロダクションの審査会まで、あと二週間。

 本来なら自分がディレクターとして発表するはずだったのに、忌々しくてたまらない。

 なにもかも、真宵が江豪に馬鹿正直に話したせいだ。


 そもそも真宵は入社二年目でしかない。

 ほんの半年前までは優柔不断で頼りなく、何よりも経験ゼロの若造だった。

 それが何でこうなった?

 今ではベテランの風格がにじみ出ており、伊谷見にとって不思議でたまらない。


 考え抜いたあげく、思い当たることは一つ。

 ――『追い出し部屋』が怪しい、ということだった。


 真宵が迷いなく仕事し始めたのは、追い出し部屋から出てきた途端のことだ。

 開発設備のない部屋のはずだけど、絶対に何かをしていた。


 追いだし部屋の秘密を暴けばどうなるだろう?

 鬼頭局長に教えれば、ご褒美がもらえるだろうか。

 仕事をあっせんしてもらえるだろうか。

 この不遇な状況を覆すためなら、あの下賤な追い出し部屋に踏み込んでやる。


 今まで決して近づこうとしなかった追い出し部屋に、伊谷見は足を踏み入れようとしていた――。



   ◇ ◇ ◇



 それは私、夜住 彩が休憩を終え、追い出し部屋に戻ろうとしていた時のことだった。

 倉庫区画に入ると、廊下の入り口にやけに大きな人影がある。

 どうやら廊下の角から追い出し部屋の扉をのぞき込んでいるようだ。


 あのまん丸い後ろ姿は機材管理室で見たことがある。

 真宵くんに嫌がらせをしていた伊谷見さんだ。


 なぜここに?

 そんな疑問と同時に、背筋が凍る想いにかられる。

 今、追い出し部屋に入られてはダメ!

 部屋の中は開発の真っただ中。ノートパソコンを広げている姿を見られただけで、すべてが終わってしまう。


 私は無我夢中で伊谷見さんの目の前に飛び出した。



「ここ、こ、こんにちはっ!」


 声をかけると彼は一瞬驚いたように見えたものの、薄笑いを浮かべ、私を上から下まで嘗め回すように見つめ始めた。


「おやおやおや。抱き枕とセットの女の子。これは奇人で有名な夜住嬢ではないですかぁ~」

「えへ、えへへ……」

「わざわざ話しかけてくれるとは、光栄だよぉ。近くで見ると、本当に小っちゃくて可愛いねぇ」


 その視線があまりにイヤらしすぎて、全身に悪寒が走る。

 それでも私に興味を示してくれたならラッキーだ。

 このまま追い出し部屋から離れた場所に連れて行こう。


「あの、その……。伊谷見さん、ちょっと休憩室でお話をしませんか?」

「あれぇ? 夜住嬢って、なんでぼくの名前を知ってるのかな?」


「それは……真宵くんから聞いていて」

「そうそれ! 真宵のことを聞きたかったんだよぉ! あいつ、追い出し部屋で何してた?」


 いきなり困る質問をされてしまった。

 わざわざ聞かれるってことは、怪しまれてるに違いない。

 これ、絶対に追い出し部屋に入れちゃダメな奴だ……!


「も、もちろん雑用ですっ! 来る日も来る日もいろんな備品のお掃除をしてました~」

「ふうぅぅん。あっそう」


 あからさまに怪しんでる目で見つめてくる。

 こんな時、どう対応すればいいんだろう。

 私がしどろもどろになっていると、大きな顔が密着するほどに近づいてきた。


「いや、そもそも夜住嬢も怪しいなぁ。あの企画書の絵を描いてたでしょ? どうせその後もコソコソと活動してたんじゃないのぉぉ?」

「そんなわけ、ないですよ……えへへへへへ」


「いいや、怪しいねぇ! 部屋、調べさせてもらうよぉ~」

「待ってぇぇ!」


 伊谷見さんの巨体が動く。

 私は食い止めようと立ちふさがったけど、あっけなく弾き飛ばされてしまった。

 彼は「ごめんごめん」とつぶやくけど、すでに意識は追い出し部屋に向いている。

 自分の非力さが憎い……。

 なんで私はこんなに小さいんだろう!?



 ……その時、倉庫区画の入り口側から髪の長い女性が駆け寄ってきた。

 いや、あれは女装した創馬さんだ!

 創馬さんは笑顔を振りまきながら伊谷見さんに声をかける。


「ああっ伊谷見さん!! こんなところにいらっしゃったんですか~~!」

「ん? ……誰?」


 伊谷見さんはいぶかしげに振り向くが、その表情は一瞬でデレデレになってしまった。

 無理もない。

 相変わらずの完璧な美人さんに笑顔を向けられては、耐えられるはずがないのだ。


「ふひ。な、なんの用かなぁ?」

「はじめまして! わたし、第四企画部の片山玲奈と申します~。実は新企画の立ち上げで、経験豊富な伊谷見先輩のご助言をいただきたくって! 席にいらっしゃらないから、会社中を探し回っていたんですよ~~!」


 もちろん嘘だと思う。

 きっと創馬さんは状況を察して、助け舟を出してくれたのだ。


「し……新企画の立ち上げ?」

「はい! 企画の作り方が分からなくって知り合いに相談してたら、伊谷見さんが相談に乗ってくれるかもって伺いまして!」


「そ、そっか~。いやぁ参っちゃうなぁ。ぼく、これでも忙しいんだよぉ」

「そうですか……。そうですよね、伊谷見さんならご多忙でしょうし。じゃあ、別の方に相談を……」


 創馬さんはあたかも残念そうに背を向ける。

 伊谷見さんは見事に食いついたようで、創馬さんに追いすがった。


「あ、待って待って。今ならちょうど暇だから! ちょっと休憩室にいこっか!」


 伊谷見さんを連れ去る創馬さん。

 彼女は私を振り返ると、こっそりウインクしてくれた。



 創馬さんたちと入れ違いになるように、高跳さんが駆け寄ってくる。


「夜住さん、大丈夫っすか?」

「創馬さんが助けてくれました……」


「俺らも休憩を終えて戻るとこだったんすよ。そしたら夜住さんが絡まれてるのを見ちゃって……。会話が聞こえたんで、これはまずいと駆け付けたんすよ!」


「ありがとうございますっ! ……でも創馬さん、よく女性の服を持ってましたね」


「あ~。アイツ、最近は常に女装してて、帽子とダボダボパーカーで隠してるんすよ。さすがにスカートじゃなくってパンツスタイルっすけど、口紅ぬれば、どう見ても女って感じっす」


 ……創馬さん。なんというか、さすがだ……。

 そういえば最近の創馬さん、あくまでもナチュラルなお化粧だけど、男性的な特徴をうまく消して、かなり中性的な顔立ちに変化していた。

 お化粧があまりに上手なので、私もいろいろと教えてもらってたぐらいだ。


「とにかく、創馬が時間稼ぎをしてる間に、なんとか機材を片付けるんすよ!」



   ◇ ◇ ◇



 私と高跳さんは追い出し部屋に戻ると、みんなにすべてを伝えた。

 とにかくやるべきは、パソコンを含むすべての開発機材や書類の隠蔽いんぺいだ!

 確実に隠さないと、この半年間の努力がすべて無駄になってしまう。


 審査会を二週間後に控え、私たち追い出し部屋の開発はすでに最終盤を迎えていた。

 プログラムもグラフィックも細かい部分の調整のみになっていて、デバッグとクオリティアップの真っ最中。とにかく「順調」の一言なのだ。

 この土壇場でこんなことになるとは驚きだけど、むしろ今の今まで何もなかったほうが奇跡なのかもしれない。

 いや、真宵くんや長さんのサポートのお陰に違いなくって、そこは感謝しかない。


 とにかく私たちは事前に決めていた通り、鍵付きのロッカーにすべてをしまい込む。



 その時、バンッという音とともに扉が開いた。

 驚きで心臓が止まると思ったけど、顔をのぞかせたのは創馬さんだった。

 すでに帽子とパーカーを身に着けてて、女装は隠してある。

 創馬さんはひどく焦った顔をしていた。


「ゴメン。伊谷見を殴っちゃった」

「えええ!? 変装がバレちゃったんですか!?」


 殴ったなんて尋常じゃないっ!

 いったい何ごとなのかと聞くと、創馬さんは痛そうにこぶしをさすりながら、気分悪そうに言葉を漏らす。


「変装はバレなかったんだけど……。打ち合わせしてたらドンドン接近してきて、『君可愛いね』とか、『連絡先教えて』とか、もうほんとに気持ち悪くて!! 出来る先輩ぶって近づくから、ああーーー気持ち悪っっ!!」


「……で、気が付いたら殴ってたんですね……」


「うん。……ゴメン」


 その気持ちになるのは仕方ない。

 だって私も伊谷見さんに嘗めまわすように見つめられて、本当に気持ち悪かったから……。


「そうだ、急いで伝えないとって思ったんだ。ロッカーはヤバイよ!! 伊谷見との話の途中で追い出し部屋への愚痴を聞いたんだけど、『どうせ機材を隠してるから、絶対に見つけてやる』って言ってた。鍵のかかってるロッカーなんて、絶対に疑われるっ」

「ふぇぇ……!? じゃあ、どこに隠せば……」


 すると、田寄さんも困ったように考え込み始める。


「困ったね……。引き出しやダンボールなんて真っ先に調べられるし、個人の鞄も同じだよね……」


 私も頭をひねるけど、まったくもってアイデアが浮かばない。

 こんな時に真宵くんがいれば、思ってもみない事を言ってくれるのに。

 一緒にいれないことが、こんなにも心細いなんて……。


 せめてメールで助けを求めようと、パソコンを開く。

 ――その時、ドアがノックされたのだった。

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