第五十三話「老兵の帰還(逆襲 4)」

 ユニゾンソフトを率いる男、与脇よわき社長。

 創業者である王城おうじょう游哉ゆうやの亡き後を継いだ二代目社長である。

 開発出身であり、社員を『人材』ではなく『人財』と呼ぶ、情に厚い男……だった。


 しかし近年の開発費の高騰と売り上げの減少に打開策を打ち出せず、ユニゾンの勢いは失速。

 鬼頭の台頭を許すことになり、今では鬼頭の言いなりとなっていた。



 社長の椅子に座り、与脇は苦悩する。

 思い浮かぶのは鬼頭の見下すような顔だけだ。


「社長の粉飾ふんしょく隠し。黙ってやってる恩を忘れんなよ!」


「ルーデンスに救われたにも関わらず、いまだに赤字を出し続けるとは社長失格だな」


 ……そう言われても、ぐうの音も出ない。


 粉飾とは『粉飾決算』のこと。

 赤字である事実を隠し、黒字に見せかける。

 立派な詐欺罪。犯罪行為である。


 『ルーデンス・ゲームス』は赤字体質のユニゾンを救ってくれた上に、老舗のブランドを維持するために『ユニゾンソフト』の名前と作品の権利を据え置いてくれている。

 自社開発能力を持たないルーデンスがユニゾンの開発力を欲したという背景があったとはいえ、格別の待遇だ。

 それなのに赤字は続き、些細なことから始めた赤字隠しがあっという間に膨れ上がってしまった。

 恩をあだで返すとはこのことだ。


 鬼頭はその大きな穴を埋めるために奔走してくれている。

 彼のやり方が悪質といっても、与脇は責めることができなかった。



 与脇は目の前の書類に目を落とす。

 そこにあるのは鬼頭から依頼された業務命令の指示書。

 これを出せばユニゾン側の審査者全員が企画を不合格とみなし、棄却ききゃくすることになる。

 ルーデンスがどんなに合格を出そうとも、「開発できない」と突っぱねることができるのだ。仮にルーデンスが続行しようとするのなら、どこか別の開発会社で一から始めることになるだろう。


 これが鬼頭の個人的な怒りから来ているものだとは、与脇も分かっている。

 しかし弱みを握られている以上、逆らうことはできなかった。


「……先代から受け継いだユニゾン。私の手で終わらせるわけにはいかないんだ……」


 震える手を必死に鎮め、引き出しから社長印を取り出そうとする。

 その時、視界の隅にゲーム筐体が見えた。

 昔をしのび、倉庫から出してもらったアーケードゲーム機。

 ……与脇自身が開発した思い出の機械だった。



 アーケードゲーム全盛だったレトロゲームの時代。

 プランナーとプログラマとグラフィッカー。ほんの三人もいれば一本のゲームが作り出せた、懐かしき時代だった。

 見つめるだけで、開発時代の仲間の顔がよみがえるようだ。


 与脇は立ち上がると、筐体を操作する。

 軽快な音楽が流れ、動き出すドット絵。

 心が摩耗しきった与脇にとっては、これが心の拠り所になっていた。



 ――その時、内線電話が鳴り響いた。

 受話器を取ると、聞こえてくるのは心許した同志の声。

 機材管理室のちょうさんだった。



   ◇ ◇ ◇



「そ、そうか。長さんも定年か……」

「定年のない社長なんかやってると、ビックリするだろ? 俺たちも年を取ったもんだよな」

「ああ。現役時代が懐かしくなるよ」


 長さんこと長屋ながや長爾ちょうじは一か月後の定年退職を目前にし、同期であり友人の与脇に挨拶をしにきたのだった。


 社長室で二人、思い出話が花開く。

 与脇社長と長さんは同期入社のゲーム開発者だった。

 かつてはアーケードゲームを共に作り、先代の王城社長と共に会社を盛り上げていったのだ。


「あと一か月後と言えばな、活きのいい若手が作る新作の審査会だぜ。わきさんは出んのかい?」


 長さんが楽しそうな顔で語る横で、与脇は心臓が締め付けられる思いに駆られた。

 それは今まさに、自分の手でつぶそうとしている企画だ。

 社員に顔見せできない与脇は、首を横に振るしかなかった。


「……いや。私は忙しくてね。コンシューマの方は鬼頭さんに任せてあるんだ」

「ふぅん。鬼頭さん・・、ねぇ。……脇さんも、もっと現場を見たほうがいいぜ。酷いことになってらぁ」

「あ……ああ、うん」


 あの鬼頭が指揮を執っているのだ。酷いことになっていることぐらい、想像に難くない。

 しかし利益が確実に出ているのも事実。

 赤字がしぼむのであれば、見て見ぬふりをしたいところだ。


 ……そんな暗い気持ちを見抜かれたのだろう。

 長さんは詰め寄り、声を低くつぶやいた。


「脇さん、そろそろ目を覚ましな。会社を守るのも、そろそろ十分だろう?」

「長さん……! いったい、何を知って……」

「王城さんから受け継いだものを守りたいのはわかるさ。だがな、やっちゃいけねえことはあるだろう?」


 なぜかわからないが、粉飾のことを知られている?

 それとも企画潰しの方か、両方か?


「……な、何もしてない。私は何も……」


 与脇は困惑し、呼吸が乱れる。

 長さんは静かな怒りの目でにらみつけてきた。


「俺は鬼頭と違う。怒鳴って言うことを聞かせようなんてしたくねぇ。……だがな脇さん。この震える気持ちはどうすればいいんだい?」


 長さんの顔が怖い。

 与脇は目を泳がせ、自分の罪を恥じた。

 ……しかし、言葉がつっかえたように出てこない。

 口をパクパクさせるしかできなかった。



「ったく、しょうがねぇなぁっ!」


 唐突に声を上げる長さん。

 与脇が驚いて目を見開くと、長さんはズカズカと歩き、社長室の中に飾ってあるゲーム筐体の元へと向かっていった。

 そして筐体の電源を入れると、おもむろに与脇に笑いかける。


「スコアアタックで勝負しねぇか?」

「長さん? ……突然、何を言うんだ?」


 与脇は困惑した。

 しかし長さんはかまわず続ける。


「……ゲーム屋のケンカは昔っからゲームで決着をつけるって決まってんだよ。脇さんが勝てば、俺はもう何も言わねぇ。……けどな、俺が勝てば洗いざらい公にして、スッキリしろ!」


 いったい何を言い出すのか。

 粉飾の秘密は誰にも漏らすわけにはいかない。

 与脇は首を横に振った。


「会社の決断だ。ゲームで決めるわけにはいかないだろう」

「わはは。何を大人みたいなこと言ってんだ! 経営もろくにできないガキの癖によぉ」


 長さんは大笑いしながら、ゲームの筐体をトントンと叩く。


「それとも開発者の癖にゲームに自信がないのか? どうせずっとプレイしてたんだろ?」

「……勝負なんて願い下げだよ。ただの余興なら付き合う。一度きりならな」


 そう。こんなことで大きな決断をしていいわけがない。

 勝負なんてしない。

 しかし長さんはそれで十分だと言いたいのか、にやりと笑った。


「一度きりでいいぜ。……ただし、フリープレイのモードはナシだ。自分の財布から百円玉を取り出せ」

「あ……ああ」


 たかが百円ぐらい、どうってことない。

 与脇はうなずき、財布から硬貨を一枚取り出す。


 長さんとこのゲームで遊べるのもこれで最後。

 思い出のためなのだと、与脇も腕をまくった――。



   ◇ ◇ ◇



「……二人ともカンストしてしまったな」

「さっすが脇さん。腕が衰えてねぇな」

「……長さんこそ」


 業務が終了した深夜のユニゾンソフト。

 煌々と輝く社長室で、与脇と長さんは大きく深呼吸をしていた。



 二人ともこのゲームを知り尽くした開発者。数時間の激闘の末、スコアの表示が上限に達することで勝負は結末を迎えたのだった。

 緊張感から解き放たれ、程よい緩んだ空気が立ち込める。


「ここが当時のゲームセンターなら、今ごろ背後はギャラリーで埋め尽くされてら」


 お互いにカウンターストップをたたき出す名勝負。

 当時のゲームセンターなら、壁に張り出された上位ランカーを抜き去ってトップに君臨した事だろう。



 時計を見ると、すでに深夜に差し掛かっている。


 今のゲームはそれなりの短時間で百円を消費するように設計してあるが、昔は百円一枚で延々と遊ぶことができた。

 そんな時代もあったのだ。


「たった百円一枚で数時間も粘られちゃ、店としてもたまらなかっただろうな」

「しかしその百円。子供たちにとっては、なけなしの百円だったんだぜ」


 長さんの言葉で、与脇はふいに当時のゲームセンターを思い出した。


「……たしかに。百円玉を手に、どのゲーム機で遊ぼうか迷っている子供をよく見かけたもんだ」


 開発していた頃は視察のため、自分のゲームが置かれている店舗によく足を運んだものだ。

 あの時代はお客さんの顔が見えて、どんなふうにゲームを選び、遊んでいたのか、よくわかった。


「脇さん、覚えているかい? コインを回収するときの、あの重さを」


 覚えていないわけがない。

 ゲームの筐体から取り出される硬貨は、二百枚もあればそれだけで一キログラムになる。

 ずっしりとした重みを感じ、自分のゲームがどれだけ人を熱中させたのか、感慨深くなったものだ。

 子供たちが自分のゲームを選んでくれた証。

 あの重みは子供たちの笑顔そのものだった。


 そのことを思い出したとき、与脇はハッとした。


「……まさか、これを思い出させるためにゲームをしたのか?」


「今は何億円って金を動かしてるから麻痺してるかも知んねえけどよ。すべてはこの百円玉の集まりでできてんだよ。……金はただの数字なんかじゃねぇ。一枚一枚が子供たちの迷いと笑顔の結晶だ。数字の向こうに遊ぶ人間がいるってことを、忘れちゃなんねぇんだ」


 その言葉に、与脇の心が震えた。

 忘れていた感覚。

 アーケードゲームの文化が衰退し、今ではゲームをオンラインで買えるまでになった。

 気軽に決済し、データを買う。

 すべてを画面越しに見ていたからか、数字の向こうに人間がいることを見失っていた。


 粉飾に手を出してしまった事も同じだ。

 経理の数字を書き換えただけの意識になっていた。


 今さらの気付きに、与脇は言葉を出せない。

 経営者として、開発者として、何から何までお粗末すぎる。

 気が付けば、嗚咽しながら泣きじゃくる自分に気が付いていた。



 長さんはうずくまる与脇に声をかける。


「脇さんの罪は自分で責任を取らなきゃいけねぇ。だから、俺がお願いしたいとすれば一個だけだ」


 そして長さんはスマートフォンを取り出すと、画面に何枚もの写真を映し出した。

 画面にはこのアーケードゲームのキャラクターがリファインされたイラストが並んでいる。


「……これは……一体?」


「今度の審査会にかけられる企画。それに携わってるデザイナーの絵だよ。最高だろ?」

「……ああ」


 与脇はイラストに目を奪われた。


 見ただけで吸い込まれそうになる。

 確かに自分が作ったゲームがモチーフになっているが、今の時代に蘇ったキャラクターは生き生きと描かれ、未来の活躍を予感させる。

 こんなデザイナーが、まだ我が社に残っていたのか……。


「本当に才能があり、まっすぐな心を持ってる若者たちだ。これを描いた子を……若者たちを、応援したいんだ。邪魔だけはしないでくれないか。……それが俺の、最後のお願いだよ」


 つまり、鬼頭から依頼されている業務命令の指示書を出さない・・・・、ということだ。

 

 鬼頭への反逆。

 それは粉飾決算の事実を口外される危険を伴っている。

 与脇は社長として、決断の窮地に立たされるのだった――。

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